内外ニュース懇談会 講演要約
講演
「私は立て直す」
衆議院議員
石破 茂 氏
2016年10月4日、内外ニュース東京懇談会10月例会は、ザ・キャピトルホテル東急で行われた。「私は立て直す」と題し、日本を、自民党を立て直すために、国家主権から集団的自衛権、人口減少問題、地方創生まで、多岐に渡り熱く語った。
私たちは国をつくりなおしてきただろうか
再来年は、明治で言えば150年にあたる。楡周平さんの言葉を使えば、「我々は50年に1回、この国をリセットしてきたのではないか」。
最初の50年には明治維新があり、大日本国憲法が制定され、日清戦争があり、日露戦争があった。次の50年には日中戦争があり、太平洋戦争があり、わが国は敗戦し、国土は廃墟となり、日本国憲法が制定され、高度経済成長を歩み、バブルが崩壊し、そして今日である。
しかし1968年以降の50年間、グレートリセット、国というものをつくりなおしてきただろうか。自分に対する反省を込めて言えば、過去の遺産で食べていないか、次の時代に先送っていないか、そのような認識を私自身強く持っている。
国民主権と国家主権
私たちは小、中、高、大学で、国民主権について嫌というほど学ぶ。しかし、田中美知太郎先生は「国民主権とは何か」、「この国に国民主権は存在するのか」という論考をしている。
市民革命などを経て、国民主権という概念が確立され、戦争をするかしないか、税金をどう使うかも国民が決める。しかし、いちいち国民投票をするわけにはいかないので、議員や議会が国民の代わりに決めるというのが、国民主権の今日の姿である。
しかし、私は国家主権ということを小、中、高、大学でも教わったことがない。国家とは、国家の独立とは、軍や警察とは何かについて、突き詰めて考えたこともないし、教わったこともない。それは日本国憲法ができた時は、わが国に国家主権がなかったから、当たり前のことである。
結局、国家主権とは何かというのは、イデオロギーとか政治体制に関係なく、主権国家全てがもっているものである。それを因数分解すれば、領土、国民、統治機構、この3つのはずである。
この3つだけは何があっても、外国に指一本触れさせてはならない。小さな島一つ失う国は、やがて国土全て失う。尖閣や北方領土をはじめとする領土問題は、この文脈で理解しなければならない。国民一人の命を救うことができない国家は、やがて国民の命全てを失う。拉致問題はそういう文脈で理解するものである。
領土と国民と法治機構、この3つを守ることが国家主権である。私は領土を守るために、いわゆるグレーゾーン法制は絶対に必要だと思っている。領土を守るのを警察権で守るのは、国際的にありえない。侵されているのが国家主権であり、侵しているのが外国勢力である場合に、警察権でこれに対応していいとは私は思っていない。
つまり警察権は優れて対内的に、自衛権は優れて対外的に行使すべきものである。軍隊が国内で大活躍をすることは、基本的にはあってはならない。
集団的自衛権は違憲なのか
なぜ国際連盟は失敗したのか。なぜ第二次世界大戦を防ぐことができなかったのか。それはアメリカ合衆国が参加をしなかったからだ。そこで第二次世界大戦の終わり頃になり、もう1回、国際機構をつくろうという話になった。アメリカ合衆国に参加してもらわなければどうにもならないので、アメリカ合衆国に拒否権を与えた。他の国が全部いいと言っても、アメリカ合衆国がダメと言ったら何も決まらない仕組みである。その後、中華民国、ソビエト連邦、イギリス、フランスにも拒否権が与えられた。
戦争は違法化されており、侵略戦争も自衛戦争もだめである。侵略戦争が起こり侵略されても、自衛戦争もためならどうするのか。そこは「国際連合が追い払ってくれる」というのが、国連の建前であるが、常任理事国5か国のどれかが反対したら、国連は来ない。そこで、安保理が適切な措置を講ずるまでの間、自分の国は自分で守るのが個別的自衛権、関係の深い国がお互いに守り合うのが集団的自衛権である。
では、日本国憲法第9条を、本当に理解してるい人がいったいどれだけいるのか。「国権の発動たる戦争」とはどういうことか。国権の発動たる戦争と武力の行使は何が違うのか。交戦権の中身は何か。これらをきちんと理解せずに、第9条を論ずることがあってはならないと思う。
そしてロジカルに考えた時に、この第9条1項、2項のどこから、集団的自衛権は違憲であるという結論が導き出されるのか。政策的判断であるものを憲法の判断にもっていったことに、全ての齟齬があると私は深く認識している。
テロの時代における同盟を真剣に考えていかなければならない
また、今の国際社会は国連の集団安全保障機能がほとんど機能していないがゆえに、集団的自衛権がそれを補完して今日があるという現実を忘れてはならない。さらに東西の冷戦が終わった後、より同盟の必要性は増したはずである。
一方で、同盟というものは、巻き込まれる危険と巻き込まれる恐怖と、見捨てられる恐怖と、その相克の中でマネージメントされるべきものであり、極めて難しいものである。テロの時代における同盟を、もう一度、我々は真剣に考えていかなければならない。
今の憲法改正草案を議論し理解すること
参議院選挙を経て、「改憲勢力3分の2」とマスコミはあちこちで書き、今すぐに改憲をやりそうな話である。
しかし、自民党所属400数名の国会議員のうち、今の憲法改正草案に携わっていないものが半分近くになる。
もし解散総選挙となった場合、憲法が問われるのは必定である。その時に我が党籍をもつものが、憲法改正草案について野党が「基本的人権が制約される」、「軍をつくる」という論陣を張った時、「そうではない。なぜならば」ときちんと言えなければ、国政選挙において憲法を問うたことにならない。
そのために少なくとも憲法改正の議論に参加していない者は、1日5、6時間は徹底して議論をし、理解をすることが、我が党の国家に対する使命であり、先人に対して果たす責任であると思う。
静かなる有事
人口減少は国家主権たる国民がどんどんいなくなるのであり、これを「静かな有事」と言わずして何と言うのか。地方創生という政策は、何も1年限りのいい加減なものではない。今度の地方創生は、これをやりそこなうと国がなくなるのである。
また、我が町の財政や経済、人口をどうするのか、霞が関に聞いてもわかるはずがない。47都道府県、エコノミストをおいている自治体は、どれだけあるか。どけだけが経済分析をした上で、いろいろな要求をしているのか。やりっぱなしの行政、頼りっぱなしの民間、全然無関心の市民、それらがあちこちに蔓延していないだろうか。
政治家の心構え
しかし私たちは、「それは国民が悪い」と言ってはいけない。私は「この程度の国民に、この程度の政治家」という言葉が大嫌いだ。
政治家を信じている人は、おそらく政党の関係者だけだろう。私は政治家を信じているという人が、そんなにいると思ったことがない。
一方で政治家は国民を信じているのか。「これを言えば選挙に落ちる、だから言うのはやめておこう」というのは、私は政治家がとるべき態度だとは思っていない。言わなければいけないことがあるはずだ。国民に真実を語るつもりのない政治家が、国民から信じてもらおうなどと思ってはいけない。
安倍政権を支えるのは国民に対する責務である
自民党一党体制、この「一強」といわれる体制は、天が日本国に与えられた最後の機会だと、私は思っている。この自由で平和で豊かな日本の国を、どうしても次の時代につなげたいと思っている。それが次の時代に対する責任である。
日本さえ良ければいいのではない。世界のために何ができるか。そしてこの国をつくってくださった先人の方々、戦地に散った英霊の皆さま方、そういう方々に恥じるところはないだろうか。
私自身、自民党の一員として、自民党の同志と共にこのことを考え、そして安倍政権がある限りは、それをつくった我々は同じ責任をもっている。安倍政権を支えるのは、どんな立場であれ、自民党員として国民に対して果たすべき責任だと信じて疑わない。
※講演全文は月刊『世界と日本』1267号に収録されます。また、要約は週刊「世界と日本」NO.2088号に掲載されます。
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http://www.naigainews.jp/懇談会/懇談会動画/動画-石破氏201610-会員専用/
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