2024年の政治、世界経済は波乱が続きます。それでも日本は景気拡大持続へ。それぞれの専門分野で、深く丁寧に将来を見通します。
2024年10月7日号週刊「世界と日本」第2278号 より
《かわくぼ つよし》
1974年生まれ。東北大学大学院博士課程単位取得。専門は日本思想史。現在、麗澤大学教授。論壇チャンネル「ことのは」代表。(公財)国策研究会幹事。著書に『福田恆存』(ミネルヴァ書房)、『日本思想史事典』(共著、丸善)、『ハンドブック日本近代政治思想史』(共著、ミネルヴァ書房)など多数。
これまで保守の思想の歴史を勉強してきて、改めて、保守の思想の本質は何かと考えると、それは、人間という生き物を愛することに尽きるといえそうだ。保守とは人間を愛することである。言い換えると、人間という、不可思議で、なんとも割り切れない存在に深く目を向け、そうしたありようを愛情と愛着をもって深く受け容れること、そしてそこから出発して、人間世界のあり方を考え、様々な問題に対応していくこと、それこそが保守の根本的な立場といえる。
人間は、実に、割り切れない、両義的な存在である。善と悪を同時に抱え持ち、敬虔であるとともに猥雑であり、泣きながら笑い、笑いながら泣き、信じながら疑い、疑いながら信じる、矛盾と逆説とアイロニーに徹頭徹尾貫かれた存在、それが人間であろう。複雑で、非合理で、不可知で、ときに驚くほど多面的である、それが人間の姿である。他者のことどころか、自分のことだって、その真の姿を見通すことはできない。自己内省したところで、自分という存在の本質が見えるものでもないだろう。それゆえにまた人間は内省しようとするのだろうが。一体自分を突き動かしているものは何なのか、自分が追い求めているものは何なのか、いくら自問自答しても確かな自己認識には決して到達しえない。人間は誰しも、人間知性そのものの限界を感じながら生きている。神や仏・天のように全てを見通し達観したいが、人間に見えるものはほんの一部に過ぎない。その一部も、朧げな姿をまとって、あきれるほどに時間をかけて徐々に見えてくるだけである。人間は有限であるのに、核心的なものを理解、了解するためには無限の時間を要するかのようだ。こうした人間の姿は、まさに人間の自然の姿、宿命の姿であり、否定したくても否定しようのない、まさに絶対肯定の態度で受け入れるほかない、人間の根源的事実そのものであろう。であるならば、その事実を愛情をもって受け入れ、そこから、良い意味での人間らしい世界のありかたを模索する生き方こそが健全であるといえよう。
保守思想が立脚するのは、こうした自然で無理のない、健全な人間観である。というよりも人間の矛盾した姿をありのままに見るならば、保守の立場に立たざるをえないのである。保守は、そんな人間を愛し、そんな人間の可能性を信じ、そんな人間の歴史に敬意を払う思想なのである。それに対し、保守を反動呼ばわりして攻撃する革命派や進歩派、左派・社民リベラルは、どこか人間を軽んじている。だから、人間よりも自分達の信じる理念や信念、正義、理論を上位に置こうとする。そこから人間世界を管理・支配・指導しようとする。そこに無理が生じる。理論と人間の実際とがかみ合わないのだ。人間の世界は、主義やイデオロギーよりも、もっと広く、そして深い。単一の視点から掴めるような底の浅いものではないのだ。それでも彼らは、自分たちの主義主張・イデオロギーを押し通そうとする。そこで何が起こるかは、共産主義革命運動によってもたらされた粛清の歴史を見れば明らかである。左翼だけではない、右翼の革命運動でも、同じことは指摘できる。どちらにもしても、自分達が信じる一面的な正義だけで人間・社会を管理・支配しようとすれば、人間・社会の自然な姿は崩壊・解体してしまう。現代の西側諸国では、日本も含め、社民リベラルが推進するポリコレ、キャンセルカルチャー、Wokism(過激な反差別主義)が自然な人間世界を破壊しようとしている。彼ら・彼女らの中には不健全で、歪んだ知的エリート主義があり、自分達の知的優位性・特権性の誇示のために運動を展開しているような側面があるから、人間の現実の姿など最初から関心がないのかもしれない。そこには、人間存在に対する愛情の眼差しが全く見られない。それどころか「知的エリート」たちの権力基盤である大学や出版、メディア、教育などの領域を総動員して、人間世界の自然・摂理を無視するかのような破壊活動に血道をあげている。反差別と人間の自然な姿を肯定することとは決して対立するものではない。人間という生き物の宿命に愛着を持ちながら、反差別運動を展開することはできるはずだ。
国際情勢に眼を転じても、冷戦崩壊後のアメリカが主導してきた国際政治は、あまりにも善・悪の二元論・二分法に支配された、非人間的なものだった。アメリカ型のリベラルデモクラシーこそ人類の正義とばかりにイデオロギーで世界を支配し、その覇権主義に対する反感、脅威を抱いたスラブ・ロシアはウクライナ侵略戦争という手段を用いてアンチテーゼの挙に出た。人間が多面的であるように、国家・国民・民族もまた多面的であり、それぞれの個性・感性・価値観・文化・美意識を持って生きている。それらに対する敬意と配慮、関心こそが国際社会の基盤にならなければならない。人間の多元的な世界を破壊・解体する帝国主義・植民地主義・選民主義は、国際政治の世界から一掃しなければならない。
そして、それが出来るのは、日本という文明・国家ではないだろうか。少なくとも日本には、そのための思想的貢献が出来るはずだ。日本にはヘゲモニズムや選民思想とは対極的な平等思想を育んできた歴史がある。その平等の範囲は人間以外の生き物を含み、自然全体に及ぶ。生きとし生けるものが皆それぞれの個性と特徴を活かしながら共にこの世界で調和しながら暮らしていくことを理想と考える共生・共存の思想が連綿と流れている。強者を主体とするヒエラルキーを設定しない日本の「多様性の哲学」を世界に広く訴え、それによって平和で友好的な国際世界を樹立すること。そのような人類の未来像を描き出し、その実現に向けて行動していくこともまた、日本の保守が今なすべき責務であるといえよう。
2024年10月7日号週刊「世界と日本」第2278号 より
《ますだ やすよし》
東洋大学・成蹊大学兼任講師、博士(経済学)。1958年生まれ。81年京都大学経済学部卒業後、富士銀行入行。88年、富士総合研究所に転出し、ロンドン事務所長、主席研究員等歴任。2002〜23年、東洋大学経済学部・大学院経済学研究科、情報連携学部教授。16〜18年、国立国会図書館専門調査員。専門は金融、国際経済。
「国際収支」というエコノミストしか見ない統計の名が、最近、総合月刊誌にも登場する。財務省の神田眞人前財務官が主催する「国際収支から見た日本経済の課題と処方箋」懇談会の報告書が7月2日に発表されたからであろう。 神田前財務官は、「国際収支に国の経済力が表れる」と考え、国際収支統計から日本経済の課題を読み取ろうということで懇談会を開催したとのことである。もっともな問題意識である。以下、この財務省の報告書の内容を踏まえて「日本経済の課題」を筆者なりに考えてみた。
貿易・サービス収支の赤字が定着
日本は、1996年以降30年近く経常収支の黒字を計上してきた。2023年度も過去最大の25兆円の黒字を計上し、これは世界では中国、ドイツに次ぐ第3位の大きさである。しかし、2018年度からは貿易・サービス収支が赤字に転じる一方で、第1次所得収支の黒字が急拡大して経常収支を支える構図になっている。これを「貿易立国から投資立国に変わった」「クローサーの国際収支の発展段階説における『成熟債権国』の段階に入った」と捉える論者が多い。
まず、日本のお家芸のモノの輸出の衰えは明らかである。神田氏が「自動車の一本足打法」と嘆くとおり、今や巨額の資源・食料品の輸入を自動車関連の輸出では賄えず、2021年度から貿易収支は赤字となっている。
サービス貿易についても、サービス輸出にカウントされる訪日外国人(インバウンド)増加により旅行収支黒字は急拡大したが、コンピュータサービス、著作権等使用料、専門・経営コンサルティングサービスからなるデジタル分野では巨額の赤字を計上している。その結果、2018年度以降、貿易・サービス収支は赤字が定着してしまった。巨額の貿易・サービス収支黒字を計上していた2010年までに比べ、日本産業の国際競争力が低下したことは明らかである。競争力を高め、再び貿易・サービス収支を黒字にすることが第一の課題である。その為には、生産性向上、労働市場柔軟化、人的資本拡充等、多様な課題がある。
巨額の所得収支黒字を大事に育てよう
他方で、日本の個人・企業等が保有する対外純資産が生み出す第一次所得収支の黒字が経常収支黒字を支えている。第一次所得収支の黒字は、2021年度から増加ペースを速め2023年度には36兆円に上った。主因は、円安と海外金利上昇による日本の投資収益受取の急増である。
日本の所得収支は、長期的に黒字である。長年にわたる経常収支黒字が累積して対外純資産(資産—負債)が世界最大に膨らんでいるからである。一部に「所得収支黒字の約3割を占める直接投資収益再投資は日本に還流せず、これを除いて経常収支を考えるべき」という論調があるが、これはおかしい。たとえ日本に還流しない再投資でも、対外直接投資の収益は日本居住者の所得であることに違いはない。
貿易・サービス収支が赤字だが、巨額の所得収支黒字が補い経常収支が黒字を維持するという国際収支構造を見て、「過去に汗水たらして稼いだ貿易黒字で貯金をため込み、今はその利子・配当の金融所得を頼りに生活する資産家」と否定的に捉える論者がいる。しかし、筆者は恥ずべきではないと考える。20世紀初頭まで覇権を握っていた英国は、戦後産業が衰えても長らく海外からの金融所得に頼って高い所得水準を維持できた。日本も今後長らく、所得収支黒字で所得水準を維持できると期待される。
むしろせっかく保有している巨額の対外資産から、できるだけ大きな投資収益を得て所得収支黒字を拡大することが肝要であろう。そのカギは、日本の金融機関の運用力と、対外直接投資の質の向上が握る。これが第二の課題である。
経常収支黒字を保つには財政再建が不可欠
なお、何が何でも経常収支が黒字でなければならないわけではない。企業は赤字が続けば存続できないが、国は対外ファイナンスさえできれば経常収支が赤字でも繁栄できる。米国が好例である。そもそも世界の経常収支の合計はゼロサムであり、すべての国が黒字なることはできない。
経常収支が赤字でも、ファイナンスに支障が生じないように国債の信用力を保ち、対日投資が活発になされる環境を整備し、円を国際化し、海外から円滑に資金流入がなされることが重要である。特に貧弱な対内直接投資を活性化することは不可欠である。これが第三の課題である。
とはいえ、できれば経常収支は黒字であった方が良い。その為には、前述の稼げる産業を育てること(第一課題)も重要だが、財政赤字をこれ以上拡大させないことも重要である。経常収支は、家計・企業・政府の各部門の純貯蓄(貯蓄—投資=資金余剰)の合計である国内部門の資金余剰と等しい。現在は、政府部門の資金不足を、家計・企業部門の膨大な資金余剰で補って余るので経常収支は黒字になっている。今後、企業利益は縮小し、家計の貯蓄率は高齢化に伴い低下し、家計・企業の資金余剰は縮小する。その時、政府の資金不足を縮小しておかねば、日本は経常収支赤字国に転落する。財政再建が必要であり、これが第四の課題である。
経常収支から為替レートを論ずるのは元々無意味
経常収支の細かい分析を基に円の需給、ひいては為替レートを語る論を最近よく目にする。「経常収支のうち収益再投資分は為替の需給に影響せず、これが経常収支黒字でも円安が進む原因だ」といった説明がなされる。しかし、国際収支は事後的な取引結果を記すだけであり、為替レートに影響する事前的な売買意欲は示さない。
また、経常収支は、理論上、対外資本流出入を示す金融収支と一致する。例えば、輸出で得た外貨を売れば円高要因となるが、その資金は必ず対外純投資(資本純流出)となりこれは円安要因となる。経常収支と、これに一致する金融収支は為替レートに逆方向に作用するのである。
経常収支が為替レートを決めるという「フロー・アプローチ」は、各国が変動相場制に移行した1973年直後には信じられていたが、その後経常収支よりも資本流出入の方が重要なファクターであることがわかり、神通力を失った。国際収支で為替レートを語る論はもっともらしいが、根本的に理屈が伴っていない。
2024年9月2・16日号週刊「世界と日本」第2276・2277号 より
退職代行が流行る社会は健全か
千葉商科大学
国際教養学部准教授
常見 陽平 氏
《つねみ ようへい》
1974年生まれ。北海道出身。一橋大学商学部卒業。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。㈱リクルート等を経て現職。
「職業選択の自由、あははーん」たまにこのフレーズを思い出す。学生援護会(現:パーソル)が発行していた転職情報誌『salida』の1989年のCMだ。高橋幸宏と仙道敦子が出演する。このフレーズは「憲法第22条の歌」というタイトルで、シーナ&ロケッツによるものだった。覚えている人も多いことだろう。この「職業選択の自由」が脅かされている。主なものは就職差別、オワハラ(就活終わらせろハラスメント)、そして退職妨害だ。
出身地、家族構成、思想・信条に関する質問は、厚生労働省が採用選考において不適切であるとガイドラインを示している。しかし、連合の「就職差別に関する調査2023」によると令和になっても、2020年代になっても、採用選考における差別、不適切な質問が存在することが明らかになっている。たとえば、応募書類やエントリーシートで、「本籍地や出生地に関すること」の記入を求められたと答えた求職者は43・6%、面接では28・3%存在した。「採用試験の面接で、不適切だと思う質問や発言をされた」求職者も19・5%いた。「女性だからどうせ辞める」「恋人はいる?」「かわいいね」などと言われたという。
大学教員をしていると、学生からオワハラの相談をよく受ける。主なものは、他社を辞退しないと内定を出さない、内定承諾書を提出する、推薦状を提出させるなどというものだ。中には、内定辞退を申し出ると、研究にかかった費用を返金しろと迫る企業もあるという。
副業が広がる世の中ではあるが、多くの場合、新卒で入社するのは1社だけである。囲い込みに躍起になるのは、昔も今も変わらない光景である。バブル期などでは旅行、豪華な料理などでの接待まで行われた。現在は、圧の強い囲い込みが跋扈している。
大学で問題となっているのは、事後推薦状である。学校推薦の求人ではなく、自由応募であるにも関わらず、あとで教授の推薦状をもらうように迫るものだ。推薦状には、学生に対する教員からの評価を知りたいという意図もあるかもしれない。ただ、内定を辞退しにくくするという意図も見え隠れする。中には学部長や学長の推薦状を要求する企業もある。学校でも対応し切れない。立教大学、中央大学を始め、推薦状を書かないと宣言する大学も現れた。
そして、退職妨害だ。退職しようとする社員に対する「慰留」はともかく、これが過度になると退職妨害、さらにはハラスメントになる。辞めることに対して説教をする、転職先などに悪口を言いふらす、代わりを連れてくるように迫るなどの行為は悪質である。
このように、職業選択の自由が脅かされている時代だということを、まず理解しておきたい。ただ、背景にある企業の採用難も深刻である。若者の数は今後、減り続ける。大学生の数は維持されているものの、地方からは人材が流出していく。多くの業界で売り手市場となっている。採用担当者は経営陣からも現場からも「人材はなんとかならないのか」と圧をかけられ苦しんでいる。採用における差別発言・問題発言、オワハラ、退職妨害、すべて人手・人材不足で線でつながる。採用活動に注力しなくてはならず、未経験者が人事に配属され、人権などに関する理解が不十分の中、配属されるので、トラブルを起こしやすい。管理部門の中で、最も未経験者が活躍しやすいのが、採用担当なのだ。そして、人手・人材不足であるがゆえに、内定者に対しても、退職を申し出る人に対しても圧をかけてしまう。
話題の退職代行サービスはこのような前提を確認すると、見方が変わる。退職代行サービスとは、文字通り、労働者の代わりに退職の申し出や手続きを代行するサービスである。費用はサービス内容によっても異なるが、1回の退職手続きで2?5万円程度である。
このサービスが存在すること、費用がかかることなどを聞いて、頭がクラクラしている人もいることだろう。しかし、このサービスが注目されたのは、2010年代後半であり、年々、ニーズが高まっているという。この4月は新入社員の利用が増え、各社前年の数倍となったという。
このサービスを利用する人は、まさに退職妨害を避けられるという点が支持されている。退職を切り出すのは面倒で、新しい会社での新生活の準備に集中したい、スマートにやめたいという声もある。中には、大変にお世話になった上司や同僚に退職を切り出すのが辛いため、あえてこのサービスを使うという人もいるようだ。好き嫌い、是非は別として、このような理由から支持されていることは理解しておきたい。
一方で、退職代行が広がり、支持される社会を肯定できるのか。労働者の職業選択の自由、中でも「退職の自由」が脅かされているという自体を直視したい。誰もが自分で選んだ職業に就く権利をもっている。これは同時に、退職の自由を保障するものだ。会社に退職を制限する権利はない。退職代行サービスを使う気持ちは理解できなくはない。ただ、このサービスを活用しなくても、退職はできる。
企業も、引き止めのために圧をかけるのではなく、なぜ離職するのかを立ち止まって考えたい。もちろん、どれだけ魅力的な職場でも、様々な事情で退職せざるを得ないこともある。自分のキャリア形成を真剣に考える人ほど、新たなチャレンジをすることもある。とはいえ、働く環境、待遇、人間関係などに問題がなかったかを考えたい。
一生様々な場で(企業に所属するとは限らない)、様々な仕事をする、そのために学び続けるというのが、これからの社会である。いや、今もそうなりつつある。早期離職を防止しつつも、いざ人材が流出した際にどうするかを考えたい。
最近、増えているのが、「出入り自由」という世界観だ。採用試験に合格した人に入社時期を選んでもらう制度、たとえ内定辞退したとしても数年間有効な内定パスを出す企業、他社で合わなかった場合に、いきなり最終面接を受けられるファストパスを出す企業もある。また「カムバック採用」「アルムナイ採用(同窓会採用)」「ブーメラン採用」など、出戻り歓迎の制度をつくった企業もある。
退職代行サービスが生まれる背景を理解しつつも、職業選択の自由を改めて確認しておきたい。CMソングを歌ったシーナも鮎川誠も、出演した高橋幸宏もこの世にいないが、彼ら彼女たちのためにもこう歌いたい。「職業選択の自由 あははーん」と。
2024年8月19日号 週刊「世界と日本」第2275号 より
《たにぐち ともひこ》
富士通フューチャースタディーズ・センター特別顧問、筑波大学特命教授。安倍第二次政権で主に内閣官房参与として同総理の外交演説を担当。二〇二三年三月まで慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。一九五七年香川県生まれ、東京大学法学部卒。著書に『安倍総理のスピーチ』(文春新書)ほか。
日本は先の大戦に大敗して以来、承認欲求のオバケになった。
生来の不良にして更生不能の極悪人であるかに決めつけられ、心に深い傷を負った。
それ以来、何かにつけて良い子に思われたいと念じる習いは性となり、今日に至る。
日本人が集団としてかかった過剰な承認欲求という病の病歴は、実のところ長い。
丁髷を落として和暦を捨て、外国に合わせてニホンという本名に替えジャパンの通名を選び、おのれの姓、名をアベコベに名乗るまでした明治この方、百五十年以上も続くのがわれわれの宿痾、「良く思われたい病」だ。
いい加減、この病を退治する時がきた。国益を保全し、伸ばすため、他人の評価を気にしない心構えを身につけねばならない時だ。心臓に毛を生やす時、と言えば品下るか。
嫌われようが陰口をきかれようが自分は自分、何が悪いと言える国にならなければ、いまや国益を守ることはできない。のっぴきならない次のような難題が山積みだからだ。
例えば
①男系皇統の継続をいかに図るか。
②なぜ移民を今から制限しておくべきか。
そしてなぜ
③憲法九条の改正が必要か。
三例は、いずれも国家の根幹に関わる。
どんな国にし末代に残したいかの問いと、中身において同義だ。かつどれも喫緊の課題だ。
九条に一項を加え自衛隊の存在が憲法上正統であることを明記すべしとしたのが、故安倍晋三元首相の考えだった。一人前の国には必ず軍隊がある。日本とて同様と、追認するだけのことだ。
かつてと違い今日の米国は、さすがそれだけのことに眉をひそめなどしない。むしろ当然のことと受容する。
反発する国はあり、批判を煽るメディアもあろうけれど、ここで昂然胸を張り、日本にとって当然であるばかりかインド太平洋の安全にも資すことを言わねばならない。でなければ、いつまでもなめられる。それは日本へのさらなる軍事的挑発を誘引し、日本の安全保障を弱くする。その逆では決してない。
一例目と二例目は、日本が友邦・同盟国とみなす大半の諸国において反発か、少なくも違和感を喚起しよう。
①に対しては、女王が例えば異民族の男を婿に取り、生まれた女子がまた王になって何が悪いとする難詰が、②には、全人口に比し微々たる割合の外国人しかいないのに、早くも移民制限とは排外主義そのものだとする反発を招来しよう。
日本の皇室は、他のどの王室より格段に長い歴史をもつ。のみならず、男系一系を維持継続してきた点、世界にあるいかなる家系にも類を見ない。
言ってみれば人類史が古代以来引き継いだ宝物同然の存在なのであるから、そこに当世風の改変など加えるべからずと説き、説いてもわからぬなら、放置するのが至当だ。
世はDEIの時代。多様性(D・ダイバーシティ)を認め、差別をなくし(E・エクイティ)、誰も排除しない(I・インクルーシブネス)とする三徳目を高唱しない限り、企業も学校も存在を否定されかねない勢いだ。
とすると①への反発と違和はむしろ真っ先に国内から、とりわけ年来自民党を支えてきた経団連傘下企業の経営者などから湧き起こることを想定しておくべきだろう。
時を置かず、外国のメディアや知識人が批判の合唱に加わる。当該国指導者は影響を受け、対日関係を損ねるとまで言う者さえ現れるかもしれない。
あらゆる悪口雑言に耐え歴史と伝統を守り抜くには、「良い子」などではいられない。これをとくと弁え、かつまた相当の胆力を備えておく必要がある。わからず屋で結構、石頭と言われるならいっそ本望と思うべきだ。
日本にいま、なんらかの在留資格をもって住む外国人は三百四十一万人あまりいる。年々増加中であって、全人口に対する比率も着々と増えている。
労働人口減少の程度とその速度に照らしてまだ遅すぎる、長期に滞在し労働力となる外国人をどしどし入れるべしとするのが、日本政府における近年の傾向であって、経済界の総意でもある。
米加豪のような建国以来の移民国に加え、英国始め大半の欧州諸国は、この点で、日本を督促してやまない。
自分たちの国は移民がもたらす秩序の動揺に悩み抜いているというのに、日本だけ無傷でいるのを許すまじとでもいうような、ひそかなそねみがあるいはあるかもしれない。
さあらばあれ、急速な外国人流入が国益を損ねる理由は、日本の特殊事情による。
全在留外国人三百四十一万人のうち、大陸から来た中国人が約八十二万二千人を占める(数字はいずれも二〇二三年十二月)。その比率は四人に一人。
日本が外国人に門戸を開けば開くほど、右の比率で中国人が増えるのであるから、日本における外国人問題とは、すなわち最大集団をなす中国人の問題だと言い換えてよい。
中国人は法律によって、国家に求められたなら、知り得た事実を必ず開示しなければならない。また中国共産党党員は、党規約の定めによって、自分を含め最低三人の党員がいる場合、それが会社であれ学校であれ、また国の内外を問わず、党の基礎組織(細胞)を作って党との連絡を設けなければならない。
いままさにこの瞬間にも、理工系大学院の研究室や企業の研究開発部門に党と国家に絶対の忠誠を誓う・誓わざるを得ない人々が増えている。勢いを抑えることに日本の国益がかかる。この際に中国人を総数で抑制することは、日本国のリスク管理上むしろ必須だ。
以上三例に沿って述べてきた点は、政治家任せにせず、自分ならどんなレトリックで主張できるか各々想を巡らすべきだ。過激矯激に走らず、冷静沈着を維持すべきであることは言を俟たない。
もとより政治指導者の責任は最も大きい。いまほど総理大臣の信念と覚悟、勇気が必要な時はない。失うことのできないもの、守るべきものを守る胆力が土台として必要だ。そこからしか、強い言葉は生まれてこない。
2024年8月19日号 週刊「世界と日本」第2275号 より
《やもり かつや》
京都大学防災研究所教授。専門は、防災心理学。現在、日本災害復興学会会長、地区防災計画学会会長、日本災害情報学会副会長、自然災害学会副会長。防災功労者防災担当大臣表彰、兵庫県社会賞などを受賞。主な著書に、『防災心理学入門』、『防災人間科学』、『現場でつくる減災学』、『巨大災害のリスク・コミュニケーション』など。
今年元旦に発生した能登半島地震は、被災地に暮らす子どもたちにも大きな影響をもたらした。今回の地震では、道路網やライフラインが蒙った大被害のために、被災地の多くが「孤立」し、生活環境が非常に劣悪な状態に置かれた。このために、年度末の受験期を控えた学年を中心に、被災地の外へ集団で「一時疎開」(広域避難)する手段も講じられた。その数は数百人にも上り、募集のあり方、保護者の了解を得るまでの手続き、疎開先でのマネジメントに関する課題も指摘されている。
また、2月26日時点で、能登半島の六つの市町(珠洲市、輪島市、能登町、穴水町、七尾市、志賀町)の小中学校の状況を、教育委員会のアンケートをもとにNHKがまとめたデータによると、全児童生徒(6525人)のうち、「避難所や親戚の家などから学校に通う」、「元の学校に籍を残しながら近くの別の学校に通う」、または「2次避難先の学校に通っている」など、『自宅外避難』の状況にある児童生徒が1457人(全体の約22%)に上り、地元を完全に『転出』し、「別の場所で他の学校に在籍している」児童生徒も192人(全体の約3%)いた。
通い慣れた学校、住み慣れた土地を離れることになった子どもたちと言えば、忘れられないエピソードがある。去ること30年前、阪神・淡路大震災(1995年1月17日)の被災地神戸市内で、当時小学校5年生の担任をしていたT先生からお聞きしたエピソードである。この学級は、4月以降、そのまま同じメンバーで6年生になり、T先生も持ち上がりで引き続き担任をつとめることになった。地震発生から2カ月半が経ち、学期もあらたまったことで、ほぼすべての児童が顔を揃えて6年生のスタートを迎えることができた。
ところが、T先生は、新学期早々、クラスの様子が少々おかしいことに気がついた。児童たちが大きく三つのグループに分断されていたというのだ。一つ目は、神戸の被災地で生活を続け、その間、自分自身が避難所で生活したり、ライフラインが十分でない自宅で生活したりしながら、避難所(他ならぬ自分たちが通っている小学校)で、炊き出し、清掃などのお手伝いに取り組んだ子どもたち。二つ目は、最初のグループと同じ環境で生活してはいたが、(主に保護者から)「避難所運営は大人に任せ、自分たちは勉強などに注力しなさい」という趣旨の言葉をかけられ、実際にそうしていた子どもたち。そして、三つ目のグループは、地元を離れて、神戸市内外の他の小学校に約2カ月通っていた子どもたち、である。
容易に想像がつくように、これら三つのグループの間には、「微妙な空気が流れていて、打ち解けるのが難しかった」(T先生談)。各グループには、それぞれやむにやまれぬ事情がある。でも、子どもだから、それを十分に察することができない場合もある。逆に、子どもからこそ、大人以上に敏感に違いは察してはいるのだが、クラスメートに対して自分の気持ちを上手に言葉や行動で表現できない場合もある。
能登半島地震の被災地でも、まったく同じことが起きていた。家族や地域が大変ななか、自分一人だけが遠方に避難していいだろうか、親が疲弊しているのに自分は学校に行っていいのだろうか。こういった罪悪感をもってしまった児童・生徒もいた。より落ち着いた(とされる)環境で受験勉強している同級生もいるのに、自分はまったく勉強が手に付かないと焦りを感じて、そのフラストレーションを周囲にぶつけた生徒もいただろう。あるいは、自宅の片付けや生活の立て直しに必死の大人たちを支えて、より小さな子どもたちの面倒を見た小中学生の逸話も数多く聞く。その経験からこれまでにはなかった自信や手応えを得た児童・生徒もいただろう。
では、こうした児童・生徒をどのように支えていけばいいのだろうか。筆者は、能登半島地震の被災地の子どもに対する支援を取り上げたテレビ番組の中で、「三つのキープ」という合言葉を呈示した。以下の三つである。
①「キープ・イン・タッチ」:原義は「連絡を取り合おう」という意味のフレーズ。能登半島の子どもたちのことを忘れずにいつも心に置く、そして折に触れて連絡をとろうという姿勢。
②「キープ・ペース」:被災した子どもたちが、焦らず、無理せず、それぞれのペースを守って新しい暮らしのリズムを獲得できるように支援すること。
③ 「キープ・ゴーイング」:ゴーイングは前に進むという意味。それぞれ自分のペースでいいけれど、基本的に「前向き」にものごとを受けとめていけるよう関わること。
前記の三つのキープに共通するエレメントを一つあげるとしたら、「長期性」(息長く)ということだと思う。前述の阪神・淡路大震災を小学生として体験した世代は、今、30歳後半から40歳くらいの年齢になっている。
筆者の周囲には、この世代の仲間が、自分の研究室のスタッフ(防災教育学が専門)を含めて何人もいる。あの日神戸のレスキュー隊の指揮を執っていた人物を父にもち、自身、消防士になった女性がいる。母親と弟を震災で亡くし、その後、小学校教員となった男性は、筆者が20年以上ご一緒している語り部グループの代表者に就任した。それぞれ、あの時の経験が、陰に陽に30年後の今を支えている。
この意味で、能登半島地震についても、今年元旦の出来事が、また、子どもたちが今進行形で体験していることが、10、20年後、そして30年後、彼/彼女の人生や生活にどのような形で位置づけられることになるのか—それこそが肝心である。目の前の児童・生徒たちとどう向き合うのか。喫緊の課題をどう解決するのか。それはそれで、もちろん大事である。しかし、それだけだとかえって行き詰まることもある。目先の課題解決に目を奪われて、逆に判断や対応を誤ることもある。被災地の子どもたちの未来を長い目で見ていく必要がある。
2024年8月5日号 週刊「世界と日本」第2274号 より
一国平和主義からの覚醒
麗澤大学 客員教授
江崎 道朗 氏
《えざき みちお》
1962年、東京都生まれ。九州大学卒業後、国会議員政策スタッフなどを経て2016年夏から評論活動を開始。主な研究テーマは近現代史、外交・安全保障、インテリジェンスなど。産経新聞「正論」執筆メンバー。2023年、フジサンケイグループ第39回正論大賞を受賞。最新刊に『なぜこれを知らないと日本の未来が見抜けないのか』(KADOKAWA)。
尖閣・台湾有事の脅威が高まる中、日本は、国家戦略を大胆に変更してきた。
ではどのように国家戦略を変えてきたのか。これまでの「日本だけが平和であればいい」とする一国平和主義から、「同盟国、同志国と共にインド太平洋の平和と安全を守る」集団的自衛体制へと変えてきたのだ。
その転換を図ったのが第2次安倍晋三政権だった。2013年、安倍政権は戦後初めて日本独自の国家安全保障戦略を策定し、集団的自衛体制の構築に着手した。
国家安全保障戦略とはDiplomacy(外交)、Intelligence(インテリジェンス)、Military(軍事)、Economy(経済)の四つを組み合わせて日本の国益、平和を守ろうとする対外政略のことだ。
まず国家機密を守る法律として特定秘密保護法を制定し、同盟国、同志国と国家機密を共有できるようにした。
次にこれまでの孤立主義的な憲法解釈を一部変更したうえで平和安保法制を定め、「我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」(重要影響事態)でも米軍等への支援を実施できるようにすることや、我が国の平和と安全が脅かされている状況下において米軍以外の外国軍隊に対しても支援ができるようにした。
こうした法整備を断行すると共に、日本はアメリカ以外の国、つまりオーストラリア、イギリス、フランス、カナダ、インドとも物品役務相互提供協定(ACSA)を結び、準軍事同盟のような関係を結んできた。
これは日本と他国との間で物資や役務を融通しあうための協定だ。軍同士で食料、燃料、弾薬、輸送、医療などを相互に提供できるようにするもので、安全保障・防衛協力を円滑に進め、連携の実効性を高める狙いがある。
こうした集団的自衛体制に関する法整備を進めながら日本は自由主義陣営全体で尖閣・沖縄を守る軍事訓練を繰り返している。
例えば2021年10月には沖縄沖で、日本、アメリカ、イギリス、オランダ、カナダ、ニュージーランドの各軍、具体的には空母3隻を含む6カ国・17隻の軍艦による共同訓練を実施している。
これは、中国に対して「日本に対して妙なことをするなら6カ国を敵に回すことになるのだがいいのか」と牽制したわけだ。
いくら言葉で「尖閣諸島を脅かすのはやめてください」と言っても聞いてくれる相手ではないからだ。
一方、アメリカも2022年、ジョー・バイデン民主党政権が国家安全保障戦略を改定し、同盟国、同志国との安全保障協力を強化する「統合抑止」という概念を打ち出した。中国などに対抗するためには、日本、韓国、フィリピンといった国々の協力が必要だということだ。
理由は幾つかあって、その一つは、中国の軍艦・戦闘機の数が、極東アジア地域に配備している米軍の軍艦・戦闘機の数倍あって、数では負けているという問題がある。
二つ目に、戦争は膨大な武器弾薬、燃料、食料、被服が必要になる。そうした膨大な物資をアメリカ本土から運ぶのは無理があり、台湾での紛争に対応するためには、物資補給などの面で日本などの協力が不可欠なのだ。
そこで日本はアメリカと物品役務相互提供協定(ACSA)を締結し、アメリカに「食料、水、宿泊、輸送、燃料・油脂・潤滑油、被服、通信業務、衛生業務(医療)、基地活動支援、保管業務、施設の利用、訓練業務、部品・構成品、修理・整備業務、空港・港湾業務」を提供する仕組みを整えた。
第2次安倍政権の国家戦略を更に拡大・強化したのが、岸田文雄政権だ。2022年12月、岸田政権は国家安全保障戦略を全面改定すると共に、5年間で43兆円の防衛関係費を閣議決定した。
この国家安全保障戦略の特徴は、次の5つの力を総合して集団的自衛体制をさらに強化しようとしている点だ。
第1が外交力だ。ロシアによるウクライナ侵略でも明らかなように、友好国、同志国をどれだけ持っているかが戦争の動向を左右する。よって日本も「地球儀を俯瞰する外交」と称して《多くの国と信頼関係を築き、我が国の立場への理解と支持を集める外交活動》を展開してきている。
第2が防衛力だ。それも防衛力に裏打ちされてこそ外交力は高まるとして《抜本的に強化される防衛力は、わが国に望ましい安全保障環境を能動的に創出するための外交の地歩を固めるものとなる》として、外交と防衛の連動を強めてきた。
第3が経済力だ。《経済力は、平和で安定した安全保障環境を実現するための政策の土台となる》。経済力があってこそ軍事力も強化できるのだ。
第4が技術力だ。《官民の高い技術力を、従来の考え方にとらわれず、安全保障分野に積極的に活用していく》ため経済安全保障推進法を制定すると共に、セキュリティクリアランス制度を導入し、自由主義陣営と連携して科学技術を発展させようとしているわけだ。
第5が情報力だ。《急速かつ複雑に変化する安全保障環境において、政府が的確な意思決定を行うには、質が高く時宜に適った情報収集・分析が不可欠である》。
この5つの力を使って第2次安倍政権以来、日本は集団的自衛体制を構築してきた。その結果、アメリカだけでなく、オーストラリア、イギリス、インド、カナダ、ドイツ、フランス、イタリア、ニュージーランド、フィリピン、NATOなどと安全保障関係を強化しつつある。
もちろん、アメリカとの安全保障関係も強化している。2024年4月、岸田首相が訪米してバイデン大統領と首脳会談を行い、米軍と自衛隊の相互運用性強化及び計画策定の強化を可能とするため日米それぞれの指揮・統制枠組みを向上させることで合意した。これは日米両国が本気になって戦うことを示さなければ、中国が戦争を仕掛けてくるかもしれないという危機感からだ。
日本は第2次安倍政権以来、中国、ロシア、北朝鮮などに対抗すべく自らの防衛力を抜本強化すると共に、安全保障面で同盟国、同志国を増やしてきた。
国家戦略レベルではもはや「一国平和主義」の時代は終わったのだが、国民の意識の方がどうやら追い付いていないように見えるのが気がかりだ。
2024年8月5日号 週刊「世界と日本」第2274号 より
『先輩・司馬遼太郎の魅力』
ジャーナリスト
千野 境子 氏
《ちの けいこ》
横浜市生まれ。1967年に早稲田大学卒業、産経新聞に入社。マニラ特派員、ニューヨーク支局長。外信部長、論説委員、シンガポール支局長などを経て2005年から08年まで論説委員長・特別記者。現在はフリーランスジャーナリスト。97年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。著書は『戦後国際秩序の終わり』(連合出版)ほか多数。近著に『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎』(国土社)。
司馬遼太郎は大正12(1923)年8月7日、大阪市に生まれた。今月は生誕101年である。《その全作品から作家、歴史家、思想家、文明批評家と呼ばれることに異存はない。だが、私が兄事した三十余年間に刻んだ粗削りの司馬遼太郎像では、最後まで新聞記者であった》と追悼したのは、産経新聞で司馬と同時期を過ごし、東西両本社の編集局長を務めた青木彰である(『新聞記者 司馬遼太郎』所収)。共感する私も、だから先輩・司馬遼太郎の魅力にフォーカスし、司馬さんと呼んで稿を進めたい。
司馬さんは生涯に3つの新聞社で働いた。最初は新世界新聞という。復員して間もない昭和20年暮れ、故郷大阪の鶴橋界隈の闇市を歩いていて、電信柱の「記者募集」の貼り紙に目を止めたのが切っ掛けだった。
昭和21年6月には京都の新日本新聞に移り、宗教と大学を担当していたが、幹部の用紙横流しなどから新聞社は潰れてしまった。
司馬さんは担当が気に入っていたし、評価もされていた。さる人の口添えで昭和23年6月、産経新聞京都支局に横滑りした。
昭和27年7月に大阪本社地方部に異動するまで約4年、司馬さんは本来ベテラン記者が担当する「寺回り」を一度も外されなかった。約7年に及ぶ京都時代を、第42回直木賞受賞作『梟の城』を映画化した篠田正浩は《司馬さんの雌伏》期間と捉え、《元禄時代に武士の支配から遠く位置した都で公御侍として中世文学をわが物にし、不世出の芝居作者になった近松門左衛門の無名時代と重ねてきた》(前掲書)と書いている。
内勤である地方部から昭和28年5月に取材部門の文化部に移り、美術を担当。この頃には司馬さんの文章力は誰もが認めるところとなっていた。新聞記者・福田定一(本名)とともに作家・司馬遼太郎への助走も始まっていた。
昭和31年5月には応募作『ペルシャの幻術師』で講談社倶楽部賞を受賞し、同35年1月に『梟の城』で直木賞受賞へと続く。受賞直前に文化部長となった。そして翌36年3月、司馬さんは出版局次長を最後に、記者人生に別れを告げた。
産経新聞に入社した時、少なくとも10年は新聞記者をやろうと思っていたという。京都支局時代から13年、約束は果たしたということだろう。
さて、そこで先輩・司馬さんの魅力である。司馬さんはしばしば「人たらし」と言われる。「たらし」はどうもあまり綺麗な表現とは言い難い。それより私は、類まれなほどの人への優しさ、その背景にある包容力の大きさこそ、司馬さんの魅力ではないかと思う。
産経より作家時代の方がずっと長いのに、後輩への分け隔てない優しさは終生変わることがなかった。
私も産経新聞ニューヨーク支局長時代に一度お会いした。『週刊朝日』の連載『街道をゆく』の取材で来られた際に、食事の席に呼んで下さった。東京本社からその連絡があった時、恐縮しきりだったが、当日大勢の出席者がいる中、司馬さんの隣りに席を与えられた時は、感激するより私などが良いのだろうかと思った。優しい気遣いが心に沁み、後輩であることがちょっと誇らしい気がした。
せっかくの機会だし、お会いしたら少しでも珍しい話をと、ニューヨークのアメリカ先住民の話をお伝えしようと思っていた。だが結論を言えば、私の「出番」はなかった。近くの席にはニューヨーク在住で先住民に詳しいと紹介された方がいたし、司馬さん自身がそれを話題にされたからだ。
ああ、何と言うことと、天を仰ぐような気持だった。しかしとても楽しい一夜だった。司馬さんがリラックスし、愉快そうに語られる様子は、周囲を和ませた。「座談の名手」というのは本当だと感じ入った。
拙稿「司馬さんとの秘密」も司馬さんの優しさゆえの所産だと思う。平成7(1995)年1月1日付産経新聞の、司馬さんと国立民族学博物館顧問の梅棹忠夫氏との新春特別対談を読んでいて、司馬さんの発言にあっと息を呑んだ。
《そのころ、私は明石康さん(旧ユーゴ問題担当国連事務総長特別代表)の評伝を読みました。明石さんはカンボジアでの調整活動をしたとき、学生時代に聞いたーおそらく故泉靖一さんの講義でしょうー文化人類学が役に立ったといっています。異文化への尊敬という態度が相手に伝わったのでしょう」。この後、司馬さんは青年・梅棹の内蒙古でのフィールドワークに触れ、対談は自然と民族と文明という本題に入っていった。
私があっと思ったのは、評伝の著者は私だからだ。前年10月に出版した『明石康 国連に生きる』を、司馬さんがお忙しいことは重々承知していたが、ニューヨークの一期一会のご縁にとお送りした。
すぐに感想を記された直筆の葉書が届いたのに驚いたが、さらにお正月の特別対談で言及までして下さるとは。しかもその事実を知るのは、司馬さんと私しかいない。大きなお年玉を頂いたような気がした。
後に司馬遼太郎記念館会誌『遼』に寄稿した際(2013年秋季号)に、私は迷うことなく見出しを「司馬さんとの秘密」としたのだった。
葉書の文面にも、司馬さんらしい優しさとユーモアが溢れていた。素晴らしい本でしたと過分なお褒めの言葉に加えて、文面の最後に(千野さんの小さな写真、カラーだともっとよかったのにね)とあり、思わずクスッと笑ってしまった。1度会っただけの一記者に、こんなにも心のこもった言葉をさり気なく注ぐ司馬さんの優しさは、並外れている。
晩年、司馬さんはある会合で、同席した田中直毅氏の質問から、こんな会話になった。
「司馬さんは、もし生まれかわったとしたら、やっぱり新聞記者になられますか」「そうやねえ、なると思いますなあ」「どこの新聞に入られますか」「うーん、やっぱり産経でしょう。青木君、キミはどうや」「ボクも産経だと思いますね」(前掲書)。
ここに司馬さんの魅力が凝縮されている。甘いねと言われそうだが、後輩記者としては嬉しい。
2024年7月15日号 週刊「世界と日本」第2273号 より
混迷・分断の世界情勢「潔癖症の時代」を生きる
日本大学 危機管理学部教授
先﨑 彰容 氏
《せんざき あきなか》
1975年東京都生まれ。専門は近代日本思想史・日本倫理思想史。東京大学文学部倫理学科卒業。東北大学大学院博士課程修了後、フランス社会科学高等研究院に留学。著書に『未完の西郷隆盛』、『維新と敗戦』、『バッシング論』、『国家の尊厳』など。
いつの時代もそうなのかもしれないが、最近、特に「怒り分断」が私たちを取り巻いている気がする。
露ウ戦争と中東激変は、欧米と反欧米の対立軸を鮮明化している。六月十一日、ロシア西部の都市ニジニ・ノブゴロドでBRICS外相会議が開催された。BRICSとはロシア、ブラジル、インド、中国、南アフリカによって二〇〇六年に設立された経済圏であり、その後、エジプト、イランなど中東諸国も参加を表明し、規模を拡大している。そのわずか一週間前、バイデン大統領とゼレンスキ—大統領の姿はパリにあった。第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦八〇周年記念式典に参加し、対ロシア連帯を確認したのである。G7の一員であるわが日本にとって、自由と民主主義に基づく豊かな資本主義社会は、自明の正義に思える。だが世界が直面しているのは、その正義が「自明」でもなんでもないという事実なのだ。
とりわけ筆者が注目したいのは、BRICSに、ロシアや中国などに加え、中東諸国が加わっていることである。中東は複雑だ。イランが反米的価値観の国であることは自明としても、エジプトなど近代化を一定程度受け入れた国の方に注目したい。近代化した中東をみて、私たちは「こちら側」に来たと思いがちである。だが実際は、国内に大きな貧富の格差を生み出した結果、経済的ゆたかさの恩恵にあずかれない多くの国民にとって、自国の欧米化は違和感しかもたらさない。違和感とは、実際の金銭的不如意よりも、むしろ自分が蔑ろにされているという感覚である。すなわち「尊厳」が傷つけられているのだ。社会の片隅で貧しく暮らす人たちからみれば、近代化=欧米化とは、一部の者たちが浴びるほど喰い、夜更けまで遊び、男女が堕落した関係に溺れる社会にみえる。つまり欧米化は人間の堕落とおなじである。こうした気分を抱えて、都会でその日暮らしをし、孤立した個人に「宗教的なもの」が魅惑的に思えるのは当然である。かつて、この国の人びとはもっと誠実であり、品行方正であり、隣人を気遣った。男女には慎みがあり、宗教的にも敬虔であった。にもかかわらず、アメリカがこの地を席巻して以降、堕落の一途をたどっているのではないか—表面上、欧米化した国内に反欧米の空気が漲りつつある。中東国民は、それぞれが置かれた立場によって、「怒りと分断」を深めているのだ。
より身近な事例に眼を転じてみよう。日本国内でも、LGBT法案可決の是非にはじまり、選択的夫婦別姓をめぐる左右の対立、補欠選挙における異常な選挙妨害など、「怒りと分断」は先鋭化している。一つひとつの事柄に、筆者なりの意見も立場もあるが、ここで指摘しておきたいのは「思想的経緯」である。言いかえれば、眼の前の事象は、ここ数十年の歴史を俯瞰しない限り、よく理解できないということだ。どうして現在のような状況が生まれているのか、一九六〇年代にまで遡ってみてみよう。
「一九六八年」が、世界的規模で若者たちの反乱が起きた年であることは有名である。第二次世界大戦が終わり、東西冷戦の最中ではあったが、資本主義はそれなりの成熟段階を迎えていた。従来の左翼運動に代わり、「新左翼」と呼ばれる思想が登場したのが、この時期である。では何が新しかったのか。従来の左翼は、共産主義に典型的なように、階級闘争を中心としていた。ブルジョアとプロレタリアートとは、要するに経済的強者と弱者のことであり、弱者による政権奪取こそが革命の大義だった。労働組合運動は、社会的保護と富の再分配を要求したし、共産主義陣営こそユートピアに他ならなかった。それは資本主義の止揚や国家の革命による解体を目指す「大きな物語」を描くことに特徴があった。
一方の新左翼の新しさは、政治の主題を、より個別の問題へと絞っていった点にある。「大きな物語」に代わり、新左翼が訴えたのは個人の「尊厳」の尊重だった。黒人差別、フェミニズムなどの女性の権利要求、性的少数者の権利擁護などがそれである。特徴は、彼らが不当だと主張するものが、生得的な特徴だという点にある。肌の色や女性であることは後天的ではないし、性自認も同じである。男性には決してわからない、あるいは当時者以外には理解しがたい特徴を、シモーヌ・ド・ボーヴォワールは「生きられた経験」と名づけ、左翼運動の支柱に据えた。私たちの社会には、夥しい数の不正が存在する。それを一つずつ論い、糾弾し、虐げられてきた側の権利を貫徹することが目指される。共産主義の「大きな物語」が資本主義や国家など、政治経済システム全体の革命を主張する運動だったのにたいし、新左翼は、資本主義の勝利を前提したうえで、個別細分化した反権力闘争を行うことになったのだ。
その最たる一例を挙げよう。あるフェミニストによれば、女性に対する男性の性行為は、「レイプと性交は区別できない」のだという。性行為それ自体が、男性中心主義なのであって、批判されるべきなのである。
この主張にこそ、現代社会を読み解くヒントがあると思う。すなわち、現代社会は、絶対的正義の貫徹を目指すあまりに、微細な差別や差異を許さない「不寛容な社会」になっている。少しでも「尊厳」を傷つけられると、瞬間的に「怒り」が沸騰し、糾弾運動がはじまる。正義は純粋化し、社会はグレーゾーンをなくし、誰もが言葉を発しにくくなる。生きにくい社会を生み出しているのだ。
例えば衛生を求めて、三回手を洗うとき、人は正常であろう。だが百回洗えば、それは潔癖症という病になる。そして現代社会は、完全に「潔癖症の時代」になっているのではないか。余りに行き過ぎた正義感が、「怒りと分断」を社会に蔓延させているのだ。三回程度の手洗いが無難だという基準は、結局、「常識」という名の秩序にしか根拠がない。この「何となく正しい」という感覚、グレーゾーンこそ、今、最も失われている感覚なのである。
2024年7月15日号 週刊「世界と日本」第2273号 より
欧州へ進出する日本メーカー
欧州鉄道フォトライター
(チェコ共和国プラハ在住)
橋爪 智之 氏
《はしづめ ともゆき》
1973年東京都生まれ。欧州鉄道フォトライター。日本旅行作家協会(JTWO)会員。主な寄稿先はダイヤモンド・ビック社、鉄道ジャーナル社(連載中)など。
現代社会に於いて、人や物の流れに無くてはならない存在となった鉄道。1802年、英国の技師リチャード・トレヴィシックによって発明された蒸気機関車は、ジョージ・スティーブンソンの手でより実用的なものへと改良され、1825年9月には初の公共鉄道として営業を開始。以来、まもなく200年という長い歴史を刻むことになる。英国はいわば鉄道発祥の地であり、日本にはその英国から1872年に直接輸入され、新橋~横浜間で営業を開始した。鉄道は瞬く間に輸送手段の中心的存在となり、航空機や自家用車という競合が誕生した後も、交通機関の主役として現在も世界中で活用されている。
日本は、欧米諸国からはかなり遅れて鉄道が導入されたが、その後の進化、成長ぶりは言うに及ばず。世界初の高速鉄道として、1964年に誕生した新幹線は、とりわけ他の交通機関に押され、衰退の一途を辿っていた「鉄道先進国」たる欧州各国にショックにも近い影響を与え、後のTGVやICEといった高速列車の誕生に繋がった。新幹線が誕生しなければ、今の世界的な鉄道の発展は無かったかもしれない。
世界へ大きな影響を与えた日本だが、島国の中で独自の進化を遂げてきた日本の鉄道は、世界ではかなり特殊な存在であることをご存じだろうか。英国から鉄道が輸入された当時、建設費の抑制や、起伏の多い地形に適した規格ということで、線路幅や車体は欧米の標準的な大きさよりは小ぶりとなっている。
その一方で、東京や大阪などの大都市圏においては、人口の増加によって朝夕の通勤・通学ラッシュが深刻な問題となり、鉄道会社は輸送力増強へ設備投資を行い、今では10両以上も連結された列車が数分おきに発着を繰り返すというのが日常的な光景となっている。このような高頻度運転も特殊だが、それを以てしても積み残しが出るほどの利用客数も、他国から見ればかなり特殊だ。
このように日本という島国の中で、地域の特性に合わせる形で独自の進化を遂げた日本の鉄道は、他に類を見ない特殊な鉄道となった。そのこと自体は悪くないが、言い換えると日本の技術は「ガラパゴス化」したもので、いくら高性能・高品質でも、そのまま海外へ持ち込んでも見向きもされない。もっとも、国内メーカーは日本の鉄道会社への需要だけで十分利益が生み出せており、積極的に海外へ進出を図る理由はなかったから、無理に他国の規格へ合わせる必要はなかった。
もちろん、各メーカーはまったく海外へ目を向けていなかったわけではない。アメリカ主要都市向けの地下鉄車両は、かなり以前から日本のメーカーが受注しており、現地に組み立て工場があるメーカーもある。アジア向けでも、日本の車両を納入した実績はある。だがいずれも、全体の売り上げから見れば小規模なもので、相変わらず国内の需要に頼る必要があった。
また輸出先に、ヨーロッパの国々は含まれていなかった。日本と並ぶ鉄道先進地域であるヨーロッパ圏には、鉄道車両メーカーが数多くあり、日本と異なる現地のノウハウを多く持っている強みもあるため、そこへ日本のメーカーが割って入ることは非常に困難で、リスクをわざわざ負う理由もなかった。
しかし、その困難へあえて立ち向かったメーカーがあった。日立製作所だ。
もちろん、最初から順風満帆というわけではなかった。常識的に考えて、長年の付き合いがある地元メーカーを捨て、新興勢力に身を委ねようというリスクを取るには、各国の鉄道会社にとってもそれ相応の覚悟と勇気が必要だ。日立が最初に進出を決めた先は、鉄道発祥の国英国だった。英国は、ヨーロッパという地域圏にありながら、日本と同じ島国で、ドーバー海峡に海底トンネルが完成するまでは、大陸側とは線路も繋がっていなかった。車両規格も、英国だけは特殊で、大陸側の規格とは異なっており、条件としては地元欧州メーカーとイーブンであった。また英国は、機関車牽引の列車がほとんど姿を消し、日本と同じ電車や気動車が多く活躍していることも、市場へ割って入る隙があったと言える。
結果、日立は高速新線HS1を通り、ロンドンとドーバーを結ぶ最高速度225㎞/hの近郊列車「ジャヴェリン」の受注を獲得する。日本のメーカーとして初めて、欧州地域におけるまとまった数の車両を受注するに至った。それと同時に、1872年に英国から技術や車両を輸入し、発展してきた日本の鉄道が、その鉄道発祥の地である英国へ、逆に車両を輸出するという立場となった歴史的な快挙でもあった。ジャヴェリンは非常に好評で、後に制御装置の更新案件や英国北部の近郊列車なども受注、ついには都市間特急インターシティの車両置き換えという大型案件の受注へと繋がった。受注は総計800両以上に達し、英国内における日立ブランドを不動のものとした。
一方で日立は、敷設からメンテナンスまで長期的な収益が見込める信号システムの技術を欲しており、欧州信号大手だったイタリアのアンサルドSTSを買収、その際に車両メーカーのアンサルドブレダも一緒に買収しており、大陸側にも拠点を設けることに成功した。ブレクジットの影響で、先行きが見えなかった英国市場を思えば、リスクを分散することに成功したと言える。
鉄道メーカーの数ある事業の中で、目に見える車両製造は消費者にも訴えかけやすい花形事業であるが、収益面で言えば信号・通信系事業の方が安定している。2024年に入り、日立は信号・通信大手のタレス社を買収、同分野の最大手に上り詰めた。
日立の躍進にばかり注目が集まっているが、前述の通り鉄道事業は車両製造だけではない。三菱電機は、制御装置やエアコンなど、装置単体を多くの欧州鉄道メーカーへ納入しており、その売り上げ規模は日立製作所をも凌ぐほどであった。国内景気が不透明な中、こうしたパーツ供給という部分では、日本の鉄道メーカーも欧州市場へ参入する可能性を秘めていると言えるのではないだろうか。
2024年7月1日号 週刊「世界と日本」第2272号 より
派閥解消で自民党はどうなるのか
政治評論家
伊藤 達美 氏
《いとう たつみ》
1952年生まれ。政治評論家 (政治評論 メディア批評)。講談社などの取材記者を経て、独立。政界取材30余年。中曾根内閣時代、総理官邸が靖国神社に対し、“A級戦犯”とされた英霊の合祀を取り下げるよう圧力をかけた問題を描いた「東條家の言い分」は靖国神社公式参拝論争に一石を投じた。著作多数、夕刊フジ「ニュース裏表」(木曜日発売)、自由民主「メディア短評」の執筆メンバー。ラジオ日本報道部客員解説委員。
岸田文雄首相は、派閥政治資金パーティーの収支報告書未記載事件を契機に、自ら率いてきた岸田派を率先して解散し、安倍派、二階派、森山派もこれに続いた。
さらに茂木派も解散に踏み切り、残るは麻生派だけになった。今や自民党のほぼ全員が無派閥議員だ。
しかし、派閥は元来、総裁選に対応するために生まれたものだ。総裁選が存続する限り、これまでのような形態であるかどうかはともかく、「派閥的」な議員集団は必然的に生ずる。行き過ぎを改めるのは当然としても、派閥そのものを否定や禁止することはできないのではないか。
自民党以前の保守政党の総裁は、基本的に話し合いによって選ばれていた。これに対して自民党は立党時の有力者であった緒方竹虎氏の強い主張で「公選」によって総裁を選ぶことを原則とした。立党の際、初代総裁は翌年4月の総裁選で選出することとし、それまでの間、4人の総裁代行委員で総裁の職務を代行することにしたのはそのためだ。
最初の総裁選は有力候補の緒方氏が急逝したため、当時首相だった鳩山一郎氏の信任投票的な総裁選となったが、鳩山首相の後継を選ぶ1956年12月の総裁選は激しい選挙戦が繰り広げられた。最終的に石橋湛山氏と岸信介氏との決選投票となり、わずか7票差で石橋氏が後継総裁に就任した。
この時、投票によって総裁を決定する意味が強く印象付けられたのかもしれない。池田勇人氏を総裁にすることを目的に「宏池会」が結成されたのは、この翌年の1957年6月のことだ。
そして、岸首相の後任を選ぶ1960年7月の総裁選で、池田氏が決選投票の末に石井光次郎氏を破り第4代自民党総裁に就任した。以後、総裁選が定着するに従い、総裁を目指す政治家は派閥を作り、同志との関係を深め、メンバー拡大にいそしむようになった。
政治改革論議が盛んだったころ、派閥は中選挙区制に起因する説が有力だった。したがって、小選挙区制になれば派閥の必要性は薄れていくと考えられていた。しかし、それは誤りだった。そのことは、かつて派閥解消を唱えていた石破茂氏が総裁選にチャレンジするにあたって、自らの派閥を作ったことでもわかる。
1989年に自民党が決定した「政治改革大綱」で派閥解消を決めたにもかかわらず、「守られていないのはおかしい」との主張があるが、前提に誤りがある以上、想定通りにならないのは当然だ。それに、「大綱」との齟齬をきたしているのは派閥解消だけではない。「大綱」との整合性を問題視するなら、「小選挙区制の導入」によって、「国民本位、政策本位の政治を実現する」との根本目的が果たせているのかどうかを検証すべきではないかと思う。
かつて派閥は党の統制を乱す要因ととらえられていた。いわゆる「三角大福」の時代までは激しい派閥抗争がしばしば発生し、派閥解消が党改革のテーマとして度々議論された。
しかし、その後、派閥抗争が落ち着きをみせると、派閥は党運営の潤滑剤としての役割を担うようになっていった。
例えば、週一回開く定例の派閥総会では、執行部や国会方針の説明が行われ、党の方針を派閥単位で共有する。また、個々の議員の要望や意見が同じ派閥の副幹事長などを通じて執行部に伝えられる場面も少なくない。派閥は自民党の「風通しの良い党風」の一翼を担っていたと言える。
もっと大きな視点で考えれば、複数の派閥の存在していることによって、党執行部の専横をけん制し、党の民主的運営を確保するうえで大きな役割を果たしているともいえる。それは執行部の権限が強大化しがちな小選挙区制の導入によって、より重要になってきた側面もある。
一方、既成の派閥が硬直化していたのも事実だ。総裁選対応のための派閥だったにもかかわらず、そのほとんどが総裁候補を持たず、新たなリーダーを選ぶ総裁選に対応できなくなっていた。現在の岸田総裁を選出した2021年の総裁選でも、派閥としてまとまって行動できたのは、領袖が立候補した岸田派だけだった。その他の派閥はバラバラな対応を余儀なくされた。その意味で、早晩、派閥再編は不可避だったといえる。
今年9月には総裁選が予定されている。こうしたなか、総裁選立候補を志す議員の下に議員集団が形成されるのは自然の流れだ。しかし、当面は、次の総裁選に対応するための活動にとどまるだろう。その後も継続的に活動を続けて「派閥化」するかどうかは、その総裁候補の将来性次第だ。
総裁選には、これまでよりも多く候補者が立候補するのではないかと予想する。これまで派閥が推薦する候補以外への推薦人に名を連ねることは基本的になかったが、派閥のくびきが解き放たれたことで推薦人を確保が容易になるからだ。当選可能性のない候補者が乱立することが良いとは思わないが、自民党の新たな胎動を感じさせるニューリーダーの出現を望むのは筆者だけではないだろう。
ただし、ニューリーダーの下で派閥が再編され、一定の形に収斂するまでには相当な時間がかかることは織り込んでおかなければならない。
問題は、新しい形ができるまでの間に、無派閥化に伴うデメリットが表面化する可能性があることだ。自民党は無派閥化の影響を軽く考えるべきではないと思う。
特に、「党内の潤滑油」的な役割を果たしてきた派閥がなくなったことで、執行部のガバナンスの低下は避けられないのではないか。すでに今国会中、そうした兆候が表れている。単に総裁、幹事長の指導力不足というより、派閥解散による構造的な変化と見るべきだろう。
政権与党が「まとまりの悪い政党」になったらどうなるか。これまでは自民党の「一強政治」が批判されてきたが、これからは「全弱政治」が出現することになるかもしれない。はたして自民党は「ニューリーダーの時代」を迎えられるのか。乗り越えられなければ、自民党は「流動化」を超えて「液状化」の様相を呈することになる。
いずれにせよ、日本政治は当分の間、「生みの苦しみ」に付き合わざるを得ないことになるのではないか。
2024年6月3・17日号 週刊「世界と日本」第2270・2271号 より
政権は沈没寸前「危険水域」続く
問われる岸田首相の改憲の本気度
評論家 ノンフィクション作家
塩田 潮 氏
《しおた うしお》
1946年高知県生まれ。慶大法卒。雑誌編集者、月刊『文藝春秋』記者などを経て独立。『霞が関が震えた日』で講談社ノンフィクション賞受賞。『大いなる影法師』、『昭和の教祖 安岡正篤』、『日本国憲法をつくった男 宰相幣原喜重郎』、『憲法政戦』、『密談の戦後史』、『内閣総理大臣の沖縄問題』、『危機の権力』、『解剖 日本維新の会』、『大阪政治攻防50年』。近著に『安全保障の戦後政治史』など著書多数。
6月23日、通常国会が会期末を迎える。岸田文雄内閣の支持率は2012年12月の自民党政権復活後の最低の水準で、政権は沈没寸前の危機的状況だ。
不人気はもちろん自民党の「派閥とカネ」が最大の原因だが、岸田首相は内政、外交とも、特筆すべき実績や成果が乏しく、国民から賞味期限切れと見られている点も大きい。
その中で、政権獲得となった21年9月の自民党総裁選以来、ぶれずに唱え続けている主張がある。「在任中の憲法改正実現」だ。
岸田改憲路線については1年前、月刊『世界と日本』(23年5月1日合併号)の拙文で詳述したが、首相はその後、24年1月、国会での施政方針演説で、「総裁任期中の改憲実現との思いに変わりはなく」と明言した。5月3日の憲法記念日にも、「先送りできない重要な課題」と訴えた。
「総裁任期中」とは1期目の任期満了までと見るべきだろう。だが、政権は大苦境で改憲どころではない。もし苦境を脱したとしても、残り3カ月余で、実現は絶望的である。
改憲は衆参での総議員の3分の2以上の賛成による国会発議と、国民投票での過半数の賛成が必要だ(憲法96条)。国会の積極的改憲支持勢力は自民党、日本維新の会、国民民主党、衆議院の有志の会の4会派である。
5月末の合計議員数は、衆議院が「3分の2」の3超の314、参議院は19不足の147だ。消極的改憲勢力の公明党(参議院27)の賛成がなければ、発議は成立しない。
「数の壁」だけでなく、「発議案の壁」も厚い。衆参の憲法審査会は継続審議中だが、発議案の原案となる条文案は、作成の段階に至っていない。
ほかに「時間の壁」も高い。仮に今後、改憲原案がまとまって、「数の壁」も突破して発議が成立したとしても、国民投票まで60〜180日が必要だ(日本国憲法の改正手続に関する法律2条)。
9月30日の自民党総裁任期満了までに国民投票を実施するには、最短で8月上旬の国会発議が条件となる。それまでに発議が成立する確率はゼロに近い。
一方、5月2〜3日発表の世論調査では、朝日新聞「憲法を変える必要がある」53%、読売新聞「憲法を改正する方がいい」63%、共同通信「改憲の必要性・ある」(どちらかといえばを含む)75%であった。今や国民の過半数が改憲を支持・容認している。
多くの国民が望むテーマだから、岸田首相も「総裁任期中の改憲実現」「先送りできない重要な課題」と説き続けているということなら、理解できる。
ところが、就任後の憲法問題への取り組みを見ると、空念仏の印象が強い。首相としてではなく、自民党総裁の立場で各党に党首会談を呼びかけるなど、リーダーシップを示すことは可能なのに、何の動きもなかった。
「口舌の徒」という批判もある。実際は建前と本音の使い分けが岸田流と思われる。
「総裁任期中の改憲実現」を言い続ける本音は以下の5つが目的で、「一石五鳥」の思惑があると見る。
第1は政権獲得時の安倍晋三元首相の支持の取り付けだ。「改憲挑戦と支持確約」の密約があったのでは、という見方は根強い。
第2は長期政権戦略も考えられる。実現まで長期を要する大計画を達成目標に掲げ、挑み続ける。「実現まで政権担当を」と訴えて支持を得れば、結果的に長期政権に、という政権維持の妙手だ。
佐藤栄作元首相の沖縄返還、中曽根康弘元首相の3公社改革、小泉純一郎元首相の郵政民営化という先例がある。改憲を達成目標とする手があると岸田首相も気づいたのか。
第3は積極的改憲勢力の野党の抱き込みである。「自民1強」が崩れた場合、野党を取り込む武器として、足並みがそろう「改憲」を活用する。その布石をという計略も働く。
第4は政権の遺産作りを視野に入れているかもしれない。岸田首相はすでに過去37年の19人の首相で第3位の在任記録を築いているが、歴史に残る政治的遺産は見当たらないのが弱点とされる。それなら改憲実現を遺産の対象に、と考えたとしても不思議ではない。
第5は衆議院解散との関係だ。総裁再選を願う岸田首相は、次期総裁選前の衆院選実施・総選挙克服が再選の近道と見定め、何度も機会をうかがってきたが、すべて不発に終わった。開会中の今国会末期の解散も企図したが、6月3日の時点で「見送り」がほぼ確実という状況となった。
度重なる解散不発は支持率低迷が不発の主因だったが、「解散の大義」の不在が響いた。国民の信を問う重要テーマがなく、政権延命狙いの解散と国民に見透かされた。今後、総裁選前の衆院選実施は絶望視されているが、もし機会があれば、争点として「改憲」を持ち出す可能性もある。
「在任中の改憲」の本音が上記の「一石五鳥」だとすれば、岸田首相の改憲の本気度が問題になる。岸田首相は17年8月に安倍政権で自民党政調会長に起用されるまでは護憲派だった。改憲派に転じたのは、将来の政権獲得を視野に安倍氏との連携を狙ったからだ。
他方、旧宏池会会長の宮沢喜一元首相の影を引きずり、今も「護憲派のしっぽ」を残しているのでは、と疑う人もいる。岸田首相は就任前、筆者の取材に答えて「徹底した現実主義を貫くのが宏池会の伝統。時代の変化に応じて徹底した現実主義で」と強調した。
国民の多数が改憲を容認する時代だ。民意の変化に応じて現実主義的対応で改憲を叫ぶのであれば、施行後77年、制定時からの不備や欠陥だけでなく、社会や世界の変革への不適応が目立つ憲法の見直しにも、現実主義的対応が欠かせない。
不在の緊急事態条項の新設、「地方自治」の章の充実などのほかに、デジタル時代の人権保障、サイバー攻撃に対する防御をめぐる「憲法の障壁」も今や喫緊の重要な検討項目だ。「改憲実現」は実は自身の政権維持のための現実主義的対応という計算があるなら、即刻、降板し、真剣に憲法問題を考える本気度で本物のリーダーと交代すべきである。
2024年4月1日 週刊「世界と日本」第2266号 より
「福澤とジャーナリズム-脱亜論への道」
拓殖大学 顧問
渡辺 利夫 氏
《わたなべ としお》
1939年6月甲府市生まれ。慶応義塾大学、同大学院修了。経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授、拓殖大学総長を経て現職。オイスカ会長。外務大臣表彰。正論大賞。著書は『成長のアジア 停滞のアジア』(吉野作造賞)、『開発経済学』(大平正芳記念賞)、『西太平洋の時代』(アジア太平洋賞大賞)、『神経症の時代』(開高健賞正賞)、『台湾を築いた明治の日本人』『後藤新平の台湾—人類もまた生物の一つなり』など多数。
日本の新聞ジャーナリズムは、明治の前半期、自由民権運動の広がりとともに勃興期を迎えた。しかし、ほとんどの新聞が政党色を帯び、政党機関紙のごときものであった。しかし、その中にあって、福澤諭吉の創刊した『時事新報』は、いかにも在野の言論人・福澤のものらしく、「不偏不党」を編集の主眼とし、執筆・経営陣も福澤を中心として中上川彦次郎、牛場卓蔵、石河幹明らの門下生の俊秀に支えられて刊行がつづけられた。
『時事新報』について調べてみると、大抵がこのように解説されている。間違いではないが、筆者にはこの新聞の主眼が「不偏不党」であったとはにわかには信じられない。掲載された論説のほとんどは福澤自身の手になる。その圧倒的多数は朝鮮問題に焦点が当てられ、それらは朝鮮の政情に対する福澤の憤懣(ふんまん)をあらわにしたものであり、朝鮮開化派に対する支援の必要性を訴えたものばかりである。ただ筆を執っていたばかりではない。
福澤は門下生の牛場卓蔵と井上角五郎の二人を朝鮮に派し、朝鮮政府に対し彼らを諸改革の顧問にするよう要求した。牛場への激励文「牛場卓蔵君朝鮮へ行く」が『時事新報』(明治11年1月11〜13日付)に掲載された。朝鮮改革への福澤の固い決意と、この決意を牛場に託した福澤の深々とした思いがつづられている。
「行(ゆき)て彼の開進の率先者と為(な)り、その士人の俊英なる者を友としてその頑陋(がんろう)なる者を説き、之(これ)を激して之を怒らしめず、之を諭(さと)して之を辱(はずか)しめず、君の平生処世の技倆と学問の実力を以(もつ)て、懇々(こんこん)之に近づき諄々(じゅんじゅん)之を教ゆることあらば、之を開明に入るゝ亦(また)難きに非ず。或はその際に事の挙(こぞ)らずして堪え難きこともあらんと雖(いえ)ども、我蘭学の先人が百余年前に辛苦したる有様を想えば驚くに足らず。・・・・・君も亦朝鮮国に在て全く私心を去り、猥(みだり)に彼の政事に喙(くちばし)を容(い)れず、猥に彼の習慣を壌(ゆず)るを求めずして、唯一貫の目的は君の平生学び得たる洋学の旨を伝て、彼の上流の士人をして自から発明せしむるに在るのみ」
福澤がどうしてここまで朝鮮問題に深い関心を寄せたのか、門下の言論人の竹越與三郎はあるエッセイのなかで福澤は朝鮮に恋をしていたと述べている。
「渠(かれ)が胸中の政治的熱気は、決して初より抑ゆるべからずして、遂に朝鮮経略の上に澆(そそ)がれたり。実に朝鮮は渠が最初の政治的恋愛にして、最後の政治的恋愛なりと云うを得べし」
当時、深刻の度を深めていた李朝末期の朝鮮の政治改革を求める開化派官僚が、福澤の教えを乞いに三田の慶應義塾を次々と訪れた。福澤は、自分の過去の苦悩を彼らの中に見出し、少なくとも自分を頼ってくる朝鮮人には、救いの手を差し伸べることは自分の責(せめ)だと感じた。福澤は、かつて幕臣であったものの、明治維新という大業には参加することなく、傍観者としてやり過ごした。このことを深く悔やんでいたのにちがいない。そのために、みずからの思想の新しい実現の場をどこかに求めており、その場が朝鮮となったのであろうと筆者はみている。
開化派が朝鮮で、後に甲申事変と呼ばれるクーデターを起こし、これは結局のところ無惨な失敗に終わったものの、開化派への福澤の支援は生半(なまなか)なものではなかった。福澤は朝鮮に派遣されていた井上角五郎、開化派のリーダー金玉均との三者間でモールス信号で連絡し合い、またクーデターに備えて数十口の日本刀を井上のもとに送ったという記述がある。
甲申事変は守旧派と清国からの援軍の反撃によって「三日天下」に終わった。甲申事変の首謀者は朝鮮政府によって残酷刑に処せられた。このことを伝え聞いた福澤の心は憤怒(ふんぬ)に満たされ、『時事新報』(明治18年2月23日、28日付)の論説として「朝鮮獨立党の處刑」を掲載。「人間娑婆世界の地獄」が京城に出現、朝鮮は野蛮などというレベルをはるかに超えた「妖魔悪鬼の國」と化し、その残忍なありさまは「寒心戦慄」するものだと朝鮮を難じた。さらに、福澤はこの処刑に直接手を下した者は確かに朝鮮守旧派官僚だが、首謀者の処刑を指揮した者はまぎれもなく清国官僚だと主張したのである。
「朝鮮獨立党の處刑」を書いた日から20日後の『時事新報』において、福澤が激憤の感情をそのままに一気に認めたものが、かの「脱亜論」である。この「脱亜論」で語られる「支那朝鮮」こそ現在の東アジアに他ならない。日本を取り巻く東アジア情勢のきわどさをいかにもと思わせる筆致で描写した論説が「脱亜論」である。言葉遣いの激越さに惑わされることなく、福澤「脱亜論」の真意をいまこそ深く読み取りたいと思うのである。
2024年4月1日 週刊「世界と日本」第2266号 より
寺田寅彦「天災と国防」の警鐘から学ぶ
拓殖大学 地方政治行政研究所
特任教授
濱口 和久 氏
《はまぐち かずひさ》
1968年熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。名古屋大学大学院環境学研究科博士後期課程単位取得満期退学。陸上自衛隊、栃木市首席政策監などを経て現職。東日本国際大学健康社会戦略研究所客員教授、日本大学法学部公共政策学科非常勤講師も務める。著書に『リスク大国 日本 国防・感染症・災害』(グッドブックス)ほか。
日本にとって令和6年は元旦から災禍が襲う事態となった。石川県で最大震度7を記録する能登半島地震が発生した。日本人の都合に関係なく甚大な被害をもたらす地震が日本列島のどこで発生してもおかしくないということを改めて証明した格好だ。
震度7クラスの地震は平成7(1995)年に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)から能登半島地震までの29年間に7回発生している。約4年に1回の間隔で日本列島のどこかで発生している。今後もどこで震度7クラスの地震が発生してもおかしくない。日本人は地震に対する備えを片時もおろそかにするべきではない。
首都直下地震や南海トラフ巨大地震の発生も不安要因だ。近年は気候変動が原因と思われる台風の巨大化や豪雨の多発化により甚大な風水害がたびたび発生している。
また、新型コロナウイスの感染は終息したとはいえ、新たな感染症が発生する可能性もある。国民保護法が想定するような武力攻撃事態も心配だ。
「科学的国防の常備軍」とは
地球物理学者の寺田寅彦が昭和9(1934)年11月、雑誌『経済往来』に寄稿した「天災と国防」に次のような記述がある。
「日本は、(中略)気象学的地球物理学的にもきわめて特殊な環境の支配を受けているために、その結果として特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命のもとにおかれていることを1日も忘れてはならないはずである。
日本のような特殊な天然の敵を四面に控えた国では、もう一つ科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然ではないかと思われる」
寺田が「特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命のもとにおかれている」と書いているように、日本は約1500年間に死者1000人以上の大災害を99回経験している。日本の25倍の国土面積を持つ米国は、建国から今日までの約250年間で3回だけだ。先進国のなかで日本の99回を超える国家は存在しない。ちなみに、イギリス、フランス、ドイツは1回もない。日本人は大災害リスクから逃げられない(日本人は大災害と隣り合わせで暮らしている)ことがこの数字からも一目瞭然にわかる。
「科学的国防の常備軍」については、人それぞれに様々な解釈があるだろうが、現代で言えば、自衛隊に依存しない訓練された組織であり、非常勤の特別職地方公務員でもある消防団に近いかもしれない。それに加えて、米国の連邦緊急事態管理庁(FEMA・フィーマ)のような組織を指しているのでないだろうか。
FEMAは1979年にカーター政権の下で連邦準備局、国防民間準備局、連邦災害援助局、全米消防局など、連邦政府内の複数の省庁に分散していた国内危機管理に関する組織・権限・機能を大統領直下の単一組織に集約したものだ。
そして、米国内で発生する大災害、人為的な重大事故、他国からの軍事攻撃、テロなどのあらゆる緊急事態を想定し、「準備・対応・復旧・被害軽減」の対処システムを共通化したオールハザード型の司令塔機能を持っている。
それに対して、日本は内閣府(防災担当)が国土庁に代わって防災業務を担うようになってからも、省庁ごとに防災業務の事務を分担管理(縦割行政)する体制が続き、内閣府の職員の大半は省庁や地方自治体から平均で約2年間の出向であり、専門性を持った職員が少ない非常に脆弱な体制となっている。同様に、内閣官房も省庁からの出向で成り立っている。消防庁も総務省に採用され人事異動で消防庁に勤務し、数年で総務省に戻る職員と市町村消防から出向している職員がほとんどあり、脆弱な体制となっている。
ビル・クリントン政権時代にFEMA長官を務めたジェームズ・ウィット氏は平成14(2002)年 5月29日及び同31日に兵庫県と東京都で開催された「地方公共団体の危機管理のあり方シンポジウム」において基調講演とパネルディスカッションに参加し、日本の危機管理体制の在り方についての問題点を次のように指摘している。
「日本は、多くの異なる省庁が異なる責任を持っているようである(中略)。どこが総括的な計画を持っているのか、どうやって一緒に協力していくのか、どうやって資源を調節するのか。中央のレベルから実際の地方のレベルまでどのように協力し、どうやって一定の資源から最大の効果を引き出すのか。資源は限定されており、いかに無駄を省くかなどの計画はあるのかはっきりしない」
まさに厳しい指摘である。現在もほとんど改善されていない。
日本は昨年9月1日にようやく感染症対応に特化した内閣感染症危機管理統括庁を発足させた。
この組織は、新型コロナ感染症対応の教訓を踏まえて、平時・緊急時それぞれの状況において司令塔機能が発揮されるよう、内閣の重要政策等に関する企画立案や行政各部の総合調整権を有する内閣官房の中に設置されている。
そして、平時の準備、感染症危機発生時の初動対応、行政各部との総合調整機能を一元的に所掌することになっている。本来は感染症だけでなく、あらゆる緊急事態に対応できるオールハザード型の司令塔組織(内閣危機管理統括庁へ改編)へと発展させるべきである。
一方で、災害対応は国民の協力が不可欠だ。地域の特性に応じた共助とともに、国民にある程度の義務的訓練を課すべきである。いつまでも「平和と安全」は「タダ」という意識を変える必要もある。そうすることで、日本人一人ひとりが緊急事態に対して他人事ではなく自分事として捉える意識を持つようになり、日本全体の危機管理力のレベルアップにもつながる。
緊急事態条項の明記を
「国難」級のあらゆる緊急事態を想定し、国会が開けない場合に、政府(内閣)が一時的に法律と同じ効力を持つ政令を制定できる規定を日本国憲法に設けることも必要だ。つまり、国家の骨格である憲法に「平時」から「緊急時」にスイッチの切り替えがスムーズにできる緊急事態条項を明記するべきである。
2024年3月4日・18日 週刊「世界と日本」第2264・2265号 より
災害ボランティアの進化と課題
京都大学 防災研究所教授
矢守 克也 氏
《やもり かつや》
京都大学防災研究所教授。専門は、防災心理学。現在、日本災害復興学会会長、地区防災計画学会会長、日本災害情報学会副会長、自然災害学会副会長。防災功労者防災担当大臣表彰、兵庫県社会賞などを受賞。主な著書に、『防災心理学入門』、『防災人間科学』、『現場でつくる減災学』、『巨大災害のリスク・コミュニケーション』など。
日本社会における災害ボランティアについて考えるとき、その現代的なスタート点が、来年(2025年)1月で発生から30年となる阪神・淡路大震災(1995年)にあることは間違いない。「ボランティア元年」という言葉も誕生し、全国からのべ180万人もの人びとが被災地で活動したとされている。
ただし、この点については、但し書きを添えておく必要がある。まず、阪神・淡路大震災以前、災害ボランティアがまったく存在しなかったわけではない。例えば、昨年(2023年)、発生から100年を迎えた関東大震災(1923年)でも、被災地の大学生などが「学生救護団」を立ち上げたとの記録が残っている。「学生救護団」は、救援物資の配布、犠牲者や負傷者の名簿作成などに従事したという。
ちなみに、被災後、救護団の活動の継続か学業への復帰かをめぐって葛藤があったと史料に記されている。同じような話は、東日本大震災、さらに、今年元日に発生した能登半島地震の被災地からも聞こえてくる。災害ボランティアという呼称の有無を別にすれば、同種の活動の歴史は相当昔にまでさかのぼることができる。
次に、「ボランティア元年」の意味は、災害ボランティアが日本社会における防災・減災や復旧・復興の全体に及ぼしたインパクトの大きさに求める必要がある。大きなインパクトとは、一言で言えば、「だれが担うのか?」に関する常識の一大転換である。「瓦礫の下からの救助活動、それは警察・消防、自衛隊がすることだ」、「避難所の運営は行政職員の仕事でしょう」。ボランティアらの活躍は、このような先入観を大きく変えた。災害とは「社会全体で向き合うものだ」という新しい常識の誕生である。
このことを象徴する言葉もまた、阪神・淡路大震災とともに生まれた。「自助・共助・公助」である。念のために辞書的な意味合いを注記しておく。「自助」とは個人や家庭における災害への備え、「共助」とは地域コミュニティにおける助け合いをベースとした防災活動、「公助」は国や自治体の防災への取り組み、である。この点について、「公助には限界があるから、防災では自助・共助が大切だ」、「過疎高齢化や近隣関係の希薄化によって共助が弱体化しているため、公助の充実が必要だ」など、「自助・共助・公助」間の責任の「押し付け合い」とも受け取れる論調が近年目立ってきた。「ボランティア元年」の原点が、「だれが担うのか?」に対して、「あなた(たち)でしょう」ではなく、だれもが「わたし(たち)です」と応じる社会への転換にあったことを思い出す必要がある。
さて、災害ボランティアの今は、複数の対立軸をもとに整理することができる。災害ボランティアはどうあるべきかをめぐって、いくつか異なる考え方が存在するということだ。これらの軸は、一面では災害ボランティアが進化を遂げてきたことの証左だし、他面では解消すべき課題も同時に存在するということでもある。
第1は、災害ボランティアは、国や自治体による公的な活動の補完物なのか独自性を有するのか、という軸である。ボランティアなのだから当然後者だろうという向きもあるかもしれない。しかし、現実には、ボランティアセンターと呼ばれる窓口が、行政と密接な関係をもつ社会福祉協議会によって開設され、多くのボランティアがこの窓口を通して活動している。また、「補完物」というと聞こえは悪いが、これを行政との「協働・共同・連携」と言い換えるとニュアンスが変わるし、「独自性」も、「独断・気儘(きまま)・閉鎖」と置き換えると、まったく問題がないわけではないように思えてくる。
なお、この点については、「(今は)ボランティアは来ないでください」を、ボランティアセンターや行政が口にすることの是非をめぐる論争がある。例えば、熊本県の球磨川流域での豪雨災害(2020年)ではコロナ禍が災いして、また、能登半島地震(2024年)では劣悪な道路事情などが影響して、このメッセージが発信された。「来ないで」の背景や事情も理解できないことはないが、助けを必要としている人たちがそこに存在するのに、国や自治体が統制的にアクセルやブレーキを踏むことに対する反発も根強く存在する。
第2の軸は、災害ボランティアの活動スタイルに関するもので、単純化すれば、「組織的・体系的」対「流動的・即興的」の対立となる。前者は、地元行政や他の支援団体の活動との連携のもと、活動の計画性や系統性を重視するスタイルで、より多くの被災者に共通するニーズを均等に満たすことを目指す場合が多い。他方、後者は、個人ボランティアや小規模な団体が、活動の柔軟性や機動性を重視するスタイルで、少数の被災者の個別的なニーズに細かく対応することを目指す場合が多い。
これ以外の軸については、要点だけを列挙しておこう。第3の軸は、「専門ボランティア」対「一般ボランティア」であり、前者は、例えば、重機の操縦ができる人、看護や保健衛生に関する専門的な仕事に従事できる人などを指し、近年、「プロボノ」という言葉も普及してきた。第4の軸は、「短期集中」対「長期定着」であり、被災後短い時間に集中して支援活動を行う前者と、生活再建や地域再生の過程に長い期間「伴走」する後者との違いである。
いずれにしても、ここでは対立軸と銘打ったが、「どちらが望ましいか」、「どちらを選ぶか」という観点から提示したものではない。どの対立軸においても、対照されている2つの方向性の双方に長所と短所がある。時々の状況、そして、何よりも、被災者(被災地)は何を求めているのかという観点に立って、もっとも望ましい組み合わせ(ベストミックス)を探ることが、災害ボランティアには求められていると言える。
2024年2月19日号 週刊「世界と日本」第2262号 より
「政治とカネ」の問題から脱却するためには
日本大学 名誉教授
岩井 奉信 氏
《いわい ともあき》
1950年東京都生まれ、慶應義塾大学大学院博士課程修了。常磐大学教授を経て2000年より日本大学法学部教授、2021年より現職。参議院の将来像を考える有識者会議委員、政治資金適正化委員会委員などを歴任。
自民党の派閥パーティーをめぐる裏金問題は、派閥の解体という自民党政治の根幹を揺るがす事態に発展した。そして、この事件は日本政治における「政治とカネ」との根深い関係を改めて浮き彫りにした。
3人の政治家が立件されたとはいえ、深く関わったとされる有力な政治家が不起訴になり、国民の政治に対する怒りと不信は極限に達している。30年以上も「政治とカネ」の問題に関わってきた筆者としては慚愧(ざんき)に堪えない。
この事件は、政治資金収支報告書への不記載という明らかな違法行為を組織的に多くの政治家が長年にわたり行ってきたという意味で、過去に類例を見ない悪質なものである。派閥や政治家の順法意識の欠如の背景には自民党や安倍派などの「一強多弱」にもとづく「奢り」のあったことは否定できまい。
今回、改めて明らかになったことは、日本の政治資金制度の脆弱性である。この事件を例に取ると、政治献金に比べ規制が少なく誰もが券を買えた政治資金パーティーは政治献金の「抜け道」として活用されてきた。20万円を超えてパーティー券を買った者は、その氏名を明らかにすることが求められているが、分散して購入すれば氏名を明らかにする必要がない。そもそも報告をチェックする仕組が無いのだから、パーティーの売上げ自体も信用できるかどうか疑わしく、その実態は不透明だ。これは政治献金も例外ではない。政治資金収支報告書についても内容をチェックする仕組は弱く、報告されている金額が本当かどうかを検証する手段はない。
実は政治資金収支報告は政党や政治家などの「良心」に委ねられており、日本の政治資金制度は「性善説」の上に成り立っているのである。その制度を作っているのが政治家であることを考えると、実に「甘い」制度だと言わざるを得ない。今回の事件では、派閥や政治家が、それすらも守れなかったのだから開いた口がふさがらない。
振り返ってみれば、1988年に発覚したリクルート事件を契機に「政治とカネ」の問題が浮上し、政治改革が実現した。「ザル法」呼ばれた政治資金規正法も抜本的に改正され「政治とカネ」の問題は正常化したはずであった。
しかし、実際には、政治資金制度にはさまざまな欠陥や「抜け道」があることをこの事件は浮かび上がらせた。今回、政治改革の出発点になった1989年の「自民党政治改革大綱」が注目されているが、それは「大綱」に書かれた改革の「原点」や「理念」がないがしろにされてきたことを示しているのである。
では、政治改革の「原点」や「理念」とは何か。言うまでもなく、それはリクルート事件に端を発した「政治とカネ」の問題である。選挙制度改革も同士討ちが不可避で政治家本位の中選挙区制から政策論争を促進する政党本位のものにすることで「カネのかからない政治」を実現しようとするものであった。そして政治資金制度も政党以外への企業・団体献金の禁止や公開基準の引き下げによる透明性確保などの改革が行われた。
その一方で政治家に都合の良い制度や「抜け道」も生み出された。その結果、現在の政治資金制度は少なからず問題のあるものになってしまっている。
今回の事件を受け、現行の政治資金制度の改革に向けた議論が盛んになっている。すでにやるべきメニューはかなり明確になってきたと言ってよい。ただし、対処療法的改革は政治資金制度を複雑化するだけでなく、新たな問題も生みかねない。求められるのは抜本的で体系的な政治資金制度の改革である。その意味では「自民党政治改革大綱」だけでなく「第八次選挙制度審議会答申」など、さまざまな提言を参考にその「原点」や「理念」にもとづく「原則」を明確にした上で、改革の議論を行う必要がある。
ここから析出(せきしゅつ)されるのは、「政党本位」、「透明性の確保」、「監視体制の強化」、「公私の峻別」、「制裁の強化」の五つの原則であろう。これらの「原則」にもとづけば、政治資金制度改革で何をなすべきかが明らかになる。たとえば「政党本位」という点では、政治家単位となっている政党支部への企業・団体献金の受入は禁ずるべきだし、「透明性の確保」という観点からは「現金授受の禁止」やパーティー券の公開基準の引き下げが、「監視体制の強化」という点では「政治資金収支報告書」のデジタル化で広く政治資金の収支をチェックしやすくすることや政治資金を「管理」し「監督」する独立した機関の創設が導き出される。そして「制裁の強化」では、いわゆる「連座制」の導入が求められることになる。さらに問題となった「政策活動費」の廃止や透明化は、政治資金と政治家個人とを分離するという意味で「公私の峻別」と「透明性の確保」に位置づけられる。
言うまでもなく「政治とカネ」の問題は政治不信の最大の要因である。その一方で、民主主義の政治には一定のコストがかかることも否定しない。その意味では、政治資金改革をめぐっては、冷静で合理的な議論が行われるべきである。ヒステリックな感情論や過度のポピュリズムは理論的な制度改革を妨げることにもなりかねない。そう考えれば、政治資金制度改革に臨む政党や政治家は、一方で有権者の「声」に耳を傾けつつも「原則」を見据えて事に向かうべきだ。これを「政局の具」とするならば、まっとうな政治資金制度改革は破綻しかねない。
「政治とカネ」に対する国民の不信は、政治そのものに対する不信と同義である。「政治とカネ」に関する不信を払拭することは、政治への信頼回復の第一歩にほかならない。厳しい目を向けられているのは自民党ばかりではなく野党にも向けられている。そして改革の成否は国民の関心にも負っている。「政治とカネ」の問題から脱却するために、厳しい目が求められている。
もっとも「政治とカネ」の問題は政治資金制度の改革で済むわけではない。カネがかかると言われる政治構造を変える必要もある。それは「地盤培養」と呼ばれる地方政治との関係であり、後援会を軸とする選挙活動である。これらは政治の世界に深く根ざしたものである。この構図を変えなければ「政治とカネ」の問題はいつでも起きるだろう。「政治とカネ」の問題から脱却することは、日本の「政治文化」を変えることでもある。
2024年2月5日号 週刊「世界と日本」第2262号 より
令和6年政局展望
「岸田政権は難局を乗り切れるか」
政治評論家
伊藤 達美 氏
《いとう たつみ》
1952年生まれ。政治評論家 (政治評論 メディア批評)。講談社などの取材記者を経て、独立。政界取材30余年。中曾根内閣時代、総理官邸が靖国神社に対し、“A級戦犯”とされた英霊の合祀を取り下げるよう圧力をかけた問題を描いた「東條家の言い分」は靖国神社公式参拝論争に一石を投じた。著作多数、夕刊フジ「ニュース裏表」(木曜日発売)、自由民主「メディア短評」の執筆メンバー。ラジオ日本報道部客員解説委員。
令和6年の政局はどう動くか
昨年は岸田首相が解散に踏み切るかどうかが注目された一年だった。
筆者は岸田首相が「反撃能力保有を含む防衛力の抜本的強化」「異次元の少子化対策」「原子力の活用やマイナンバーカードの普及」などの政策を本格的に進めるのであれば、解散は不可避だろうと予想していた。信を得ずして、こうした賛否の分かれる課題を成し遂げることはできないと考えたからだ。
しかし、結果的に岸田首相は解散しなかった。この判断は岸田政権にとって致命的だった。これにより岸田首相は「解散できない首相」の烙印が押されることとなった。「解散できない首相」とは、すなわち「信を失った首相」と同義だ。支持率が下がるのは当然の結果と言える。
さらに派閥の政治資金パーティーをめぐる事件がこれに追い打ちをかけた。派閥主催の政治資金パーティーで、所属議員がパーティー券をノルマ以上販売した際、その分の収入を政治資金収支報告書に記載せず、「裏金化」したとされる。
事件報道を受け、国民の政治不信は一気に高まった。岸田政権だけでなく、自民党の支持率も急落した。その勢いは、野党に転落した麻生太郎内閣時代を凌駕するものがある。
はたして、岸田政権はこの難局を乗り切ることができるのか。
一部には岸田政権の「3月退陣」を予想する説も出ている。しかし、筆者はその可能性は低いと考えている。
まず、来年度予算審議を控え、「岸田おろし」に動きにくい状況がある。また、今、急いで岸田首相を引きずりおろしても、この局面を収拾できる見通しはない。
逆に、会期途中で政権を投げ出されて困るのは、むしろ自民党の方ではないか。なぜなら、首相辞任に伴って行われる首班指名選挙に、総裁選を経ずに臨まなくてはならないからだ。
話し合いでうまく後継総裁を一本化できれば良いが、話し合いがまとまらなければ複数の自民党議員が首班を争う「40日抗争」の二の舞となりかねない。当時は自民党に求心力があり分裂せずに収まったが、現在はそうはいかないだろう。場合によっては、自民党崩壊につながりかねない。そんな状況になるのは「できれば避けたい」というのが、自民党の大多数の「感覚」ではないか。
結局、首相自身が政権担当意欲を失わない限り、通常国会の会期末までは、岸田政権が続くことになるのではないか。
では、その後どうなるか
状況によって三つのケースが考えられる。
一つ目は通常国会終了後に辞意表明するケースだ。岸田政権への批判が今以上に高まれば、さすがに辞任せざるを得ない。この場合、9月に予定されている総裁選を前倒しし、早急に後継総裁を選ぶことになるだろう。新総裁が決まり次第、臨時国会を召集して、岸田内閣総辞職、新内閣発足という運びとなる。
二つ目は、支持率が多少回復し、政局が小康状態であれば、辞意表明せず、9月の総裁選まで状況を見極める選択肢だ。この間に状況が好転しなければ「総裁選不出馬」に追い込まれるが、変わることもあるかもしれない。その可能性に賭けようというわけだ。
三つ目は通常国会で岸田首相が解散に打って出るケースだ。このシナリオには二つのパターンが考えられる。
その一つは、支持率が、総選挙ができる水準まで回復するパターンだ。現時点では考えにくいが、「一寸先は闇」とも言われる政界だ。可能性として「ゼロ」ではない。
もう一つは、内閣不信任案可決、あるいはそれと同等の状況が出現したときだ。
戦後、不信任案が可決したのは4例あるが、いずれも総辞職ではなく、解散を選択している。また、小泉純一郎内閣の郵政解散や民主党の野田佳彦内閣の「近いうち解散」のように、窮地のなかで解散した例もある。そうした事態が出現すれば、岸田首相も先例にならって解散に踏み切る可能性はありうる。
いずれにせよ、難局を乗り切るためには、自民党が「岸田おろし」を本格化させる前が勝負だろう。
岸田首相は自らを本部長とする政治刷新本部を設置、政治資金の透明性の拡大や、派閥のあり方に関するルール作りなどについての議論を開始した。そこで、なんとしても国民の理解の得られる改革案をまとめ、支持率向上につなげたいところではないか。
一方、現在の国民の関心は「政治とカネ」の問題に集中しているが、内政の最大課題は、30年余にわたって日本経済を苦しめてきたデフレからの脱却を果たせるかどうかだろう。
岸田政権発足以来、経済が回復基調に転じているのは間違いない。コロナ禍収束の追い風もあるが、岸田政権がコストカット型経済から「適正な価格転嫁と賃金上昇」へ大きく舵を切ったことが大きな要因といえる。問題は、ロシアのウクライナ侵略の影響などによる予想以上の物価上昇で、名目賃金の上昇効果を減殺していることだ。
デフレ脱却のカギを握るのが今年の春闘にあることは多くの専門家が指摘するところだ。岸田首相は昨年、所得税減税という「禁じ手」にまで踏み込んで、環境整備に努めてきた。はたして、これが功を奏するかどうか。もし、デフレ脱却に成功すれば、支持率回復のプラス要因となるだろう。
今年は辰年である
正月早々、石川県能登半島で震度7の大地震が発生して甚大な被害をもたらした。また翌日には東京・羽田空港の滑走路上で日本航空と海上保安庁の航空機が衝突する事故が発生した。
わが国周辺の安全保障環境も緊迫の度を深めている。尖閣列島周辺には連日のように中国公船が出没し、北朝鮮のミサイル発射頻度も増えている。また、年明け早々、北朝鮮が韓国との国境線に砲弾を撃ち込むなど不穏な動きを見せている。何が起こるか分からない。
過去を振り返ると、戊辰戦争(1868年)、日露戦争(1904年)が辰年に起きている。また、ロッキード事件(1976年2月)やリクルート事件(1988年6月)といった汚職事件も辰年に発生した。また、戦後5回の辰年のうち、3回の総選挙が行われている。どうやら、政治が激しく動く年回りなのかもしれない。
(1月15日記)
2024年1月15日号 週刊「世界と日本」第2261号 より
国内外において、積極的であれ
日本大学 危機管理学部教授
先﨑 彰容 氏
《せんざき あきなか》
1975年東京都生まれ。専門は近代日本思想史・日本倫理思想史。東京大学文学部倫理学科卒業。東北大学大学院博士課程修了後、フランス社会科学高等研究院に留学。著書に『未完の西郷隆盛』、『維新と敗戦』、『バッシング論』、『国家の尊厳』など。
令和六年のわが国はどこへ向かうべきか。あるいは、どこへ向かうことを強いられるのか。まずは昨年を振り返ることから始めてみたい。
故ジャニー喜多川氏による性加害問題は、若者たちへの影響力も大きな事件であった。華麗な演技と歌唱力を売りにした男性陣たちが性加害の被害を恒常的に受け、それを報道・告発する自助能力を、マスコミ全体が持てなかった。この「性」をめぐる問題は、法改正の場面で政治にも飛び火した。LGBTなどの、いわゆる性的少数者の権利擁護をめぐり、「LGBT理解増進法」が拙速に可決成立したからである。ほぼ同時期、世界経済フォーラムが六月に発表したジェンダー・ギャップ指数で、相変わらず男女不平等の状態を非難されたことも想起しておくべきだろう。なぜなら、性的少数者や女性が蔑(ないがし)ろにされているという主張は、フランシス・フクヤマが著書『IDENTITY』で強調したように、自己承認欲求を争点とする「尊厳の政治」を生み出したからである。
もう一つ、昨年、我々を震撼させたのが、旧統一教会の解散命令請求であろう。元総理大臣の暗殺を引き起こしたこの事件で、クローズアップされたのが、いわゆる宗教二世の存在である。生まれた瞬間から信仰を強要され、精神的金銭的苦痛から解放される可能性が絶望的な中で事件は起きた。事件が起きるまで、彼らの存在はジャニーズ問題同様、黙認されつづけてきたのであり、不当なお布施の強要などを引き起こした宗教団体が、政治の指示により解散される可能性がでてきたのだ。
こうした一見、バラバラに起きている事件を、どう理解すればよいのか。あえて共通点を探り出し、そこに「令和日本が直面する課題」をあぶりだすとどうなるか。恐らく次の二点に注目すべきだと筆者は考えている。
第一に、「性」が全面にせり出してきたことに注目する。「性」は、その多様性も含めて人間の最も根源的な、最深部の存在意味を与えているものである。本来は秘されているべき「性」が、白日の下で論じられるようになったことは、要するに、現代社会がプリミティブに、原始的になっているということである。性、民族、肌の色、宗教など、原始的・根源的な問題が、私たちの眼の前に現れたということだ。
第二に、国内でみた場合、「戦後システム」の賞味期限が決定的に切れたとみるべきである。ジャニー喜多川氏が日米を架橋し、戦後のエンターテイメントの基調を創ってきたことは間違いない。と同時に、日本型男女不平等の象徴である家族モデル自体、戦後に生み出されたものである。さらに宗教に注目すると、戦前への反省から、戦後のわが国は「政教分離」を徹底し、宗教の分野に政治権力が介入することには極めて抑制的であった。これは、「個人の内面にかかわる思想信条については、政治権力は一指も触れない」ことが正しいという前提である。しかし今回の事件が突きつけたのは、私たちの心から、たとえ政治権力を排除したとしても、その心は決して自由でも開放的でもない、という事実だった。つまり、エンターテイメント・日本型家族像・政教分離の無条件肯定という「戦後システム」全体が崩壊した。旧来のシステムが崩壊した光景には、極めて原始的な性や肌の色、宗教をめぐる差別意識や暴力が、頭をもたげてきているのではないか。
以上の問題意識をもって世界へ眼を向けてみよう。三年目に突入するウクライナ戦争に加え、中東情勢が激変したことは、記憶に新しい。だが、私が注目したいのは、こうした目立った戦闘行為ではない。背後から忍び寄り大きな渦を描くように広がる、もう一つの潮流である。それは米国と欧州で混乱を引き起こしている移民問題のことだ。テキサス州など中米国境に接し、多数の不法移民が流入する州から、移民に寛容とされる大都市―聖域都市と呼ばれる―に、バスで移送する措置が取られているからだ。ニューヨークだけではない、シカゴやロサンゼルスの街角には、今、移民があふれ急速に治安が悪化している。現在、中南米は急速に中国との関係を深めている。米国はウクライナや中東安定化に必死だが、その傍らで中南米問題を抱えているのだ。
目を欧州に向けてみよう。そこにはさらに深刻な移民問題に苦悩するヨーロッパの姿がある。わずか人口6千人の小島に、一週間で1万人を超える移民が殺到し、イタリアは対応に追われている。その背景には、ギニアやコートジボアールなどサハラ砂漠以南から、砂漠と地中海を越えて決死の移動をいとわない移民も含まれている。すでにウクライナ難民を抱える欧州では、新たなアフリカ発の移民に対し対応の足並みは乱れている。つまり現在、G7でイメージされる欧米先進国、自由と民主主義の価値観を日本と共有する国々は、戦争と移民問題に忙殺されているのだ。
以上から分かるのは、日本国内では「戦後システム」の賞味期限が切れ、国際社会は混乱の度合いを深め、欧米先進国が苦悩する姿である。
そこに今年、重大な選挙が各国で目白押しであることは周知のとおりだ。だとすれば、日本がとるべき進路は明確ではないか。
具体的には、原始的な差別や暴力を抑制するために、政治が先頭を切ることが必要である。性的少数者や「性」差別の糾弾が、時に行き過ぎた政治運動になることは、先にふれたフクヤマが昨年刊行した『リベラリズムへの不満』を一読し、冷静に国家像を定める必要があるだろう。また一方で、国際社会に対しては、岸田内閣が内向きになってはならない。自民党の不祥事を理由に、南米訪問をキャンセルしたことは決定的な失策なのであって、今、わが国がすべきは、あえて南米を訪問し、地域の混乱に金銭的支援を含めたプレゼンスを高め、移民問題で苦しむ欧米諸国にたいし、日本の存在意義を高めることだ。
今年、日本のなすべきこと、それは「国家像」を具体的な課題に落とし込み、実現する行動力である。
2024年1月15日号 週刊「世界と日本」第2261号 より
2024年景気見通しと再生への展望
大阪経済大学 特別招聘教授 経済評論家
岡田 晃 氏
《おかだ あきら》
1947年大阪市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。記者、編集委員を経てテレビ東京に異動。WBSプロデューサーを経て、ニューヨーク支局長、テレビ東京アメリカ初代社長、テレビ東京理事・解説委員長。06年より経済評論家として独立し、大阪経済大学客員教授に就任、22年より同特別招聘教授。主な近著に『徳川幕布の経済政策—その光と影』。
新しい年、2024年を迎えた。国際情勢の緊迫や海外経済の減速など、日本経済を取り巻く環境は相変わらず厳しい。それでも2024年は、民間企業の収益力回復やインバウンドの急回復などを支えに、緩やかながら着実に景気回復が続くと見ている。ただ政治の不安定化などリスクも多い。2024年は日本経済の本格復活に向けて重要な年となるだろう。
2023年は「過去最高、バブル期以来」など続出
まず2023年を振り返ろう。ウクライナ危機に加え、イスラエル・パレスチナの軍事衝突で国際情勢は一気に緊迫。中国では習近平体制の強権化が目立つ一方で、景気減速が顕著となり、特に不動産不況は深刻だ。
このため世界経済は減速傾向となっている。IMF(国際通貨基金)の「世界経済見通し」(2023年10月改定)によれば、2023年(暦年)の実質GDP(国内総生産)成長率は世界全体で3・0%となり、2022年実績の3・5%から鈍化すると見込まれている。IMFの数字としてはかなりの鈍化だ。
だが2023年の日本経済はこのような厳しい環境下でも景気回復を持続した。実は2023年は、経済指標で過去最高、あるいはバブル期以来などの記録が続出した年でもあった。
2023年のGDPの実額は、発表済みの7—9月期までの各四半期ともコロナ前のピークだった2019年の各四半期を実質でも名目でも上回り、過去最高額となった。国の税収も過去最高額だ、消費者物価上昇率は41〜42年ぶり、賃上げ率は30年ぶりの高い伸び。12月の日銀短観では非製造業の業況判断指数が32年ぶりの高水準となった。
日経平均株価は5月に33年ぶりとなる3万円台をつけ、7月には3万3700円台とバブル崩壊後の最高値を更新した。その後も高値圏で推移しており、年初からの上昇幅は約8000円、上昇率は約30%に達している(2023年12月27日時点)。
日頃のメディアの報道では日本経済の「低迷」「弱さ」ばかりが強調されている。確かに回復はまだではないが、それでも実際には長年の低迷から脱して強さを取り戻しつつあることは間違いない。
こうした経済回復の要因は、①コロナの「5類」移行による経済活動の正常化②世界的インフレの一応のピークアウト③企業業績の好調持続④インバウンドの急速な回復—などが挙げられる。
2024年も景気回復持続へ
これら4つの要因は2024年も継続し、緩やかながら景気回復が持続するだろう。特に筆者が注目するのは③の企業業績と④のインバウンドである。
企業業績については、2023年3月期の全上場企業の最終利益は3期連続で増益かつ2期連続で最高益となった。コロナ禍の3年間でも増益を続けていたわけで、このことは日本企業が経営の構造改革と競争力強化の努力を続けてきた成果が実を結び始めたことを示している。2024年3月期も、現時点では13%程度の増益見通しとなっている(日本経済新聞)。
またインバウンドは2023年10月の訪日客数が単月でついにコロナ前を上回った。訪日外国人の旅行消費額はすでに2023年7—9月で1兆3900億円、2019年同期比で17・7%増に達している(観光庁推計)。中国からの訪日客がまだほとんど戻ってきていないにもかかわらず、これほどまでに増加しているのは、世界中に日本人気が広がっていることを示している。
2024年もさらなる増加が見込まれる。と同時に、このインバウンドブームが幅広い分野での日本産製品の輸出増加や地方の活性化といった新たな可能性を広げることにもなり得る。
今見てきた企業業績の好調持続とインバウンド回復は、中長期的にも日本経済の完全復活に向けてけん引力となりうるものだ。これに加えて、物価上昇に対応する賃上げと設備投資の増加が実現すれば、2024年の景気回復持続はより確実なものとなるだろう。
こうした見通しを背景に、2024年の年末までに日経平均株価は1989年12月の史上最高値(3万8915円)を更新してもおかしくない。年間の上昇率が20%になれば、4万円の大台を軽く超える計算になるのである。
「辰年は政変」のジンクス、政策停滞に警戒必要
だが一方で、懸念材料が山積なのも事実だ。従来からのウクライナ情勢や中東情勢、中国の政治動向と経済失速懸念などに加えて、2024年は日本と米国の金融政策に絡んだ為替リスクや米大統領選を巡るリスクにも注意が必要だ。
さらに国内の政治リスクが浮上している。実は「辰年は政変」というジンクスがある。
▷1964年 池田首相が癌のため退陣を表明し佐藤内閣が発足
▷1976年 総選挙で自民党が過半数割れで三木首相退陣、福田内閣発足
▷1988年 リクルート事件。翌年に竹下首相退陣
▷2000年 小渕首相斃れ、森内閣発足
▷2012年 総選挙で民主党大敗し野田首相退陣、第二次安倍内閣発足
そして2024年。すでに2023年末から政局は大きく動き出した。「政変」による経済停滞のリスクには特に警戒が必要だ。日本経済は景気回復と言ってもまだ不十分であり、少子高齢化やデジタル化など構造的な課題を抱え、いまだにデフレ・マインドが根強い。それを払拭して本格的な経済復活を実現するには改革が不可欠だ。政治のリーダーシップが問われる一年になることは間違いない。
2024年1月1日号 週刊「世界と日本」第2260号 より
自由と独立は勝ち取るものだ
麗澤大学客員教授
江崎 道朗 氏
《えざき みちお》
1962年、東京都生まれ。九州大学卒業後、国会議員政策スタッフなどを経て2016年夏から評論活動を開始。主な研究テーマは近現代史、外交・安全保障、インテリジェンスなど。産経新聞「正論」執筆メンバー。2023年、フジサンケイグループ第39回正論大賞を受賞。最新刊に『なぜこれを知らないと日本の未来が見抜けないのか』(KADOKAWA)。
我が国はいま、安全保障政策を大きく転換しつつある。
驚くべきことに、戦後日本の安全保障政策の基本は長らく「国連中心主義」と「対米依存」だった。
1957(昭和32)年に閣議で決定された「国防の基本方針」は次の4項目だ。
①国連の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する。
②民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。
③国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。
④外部からの侵略に対しては、将来国連が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。
要はいざとなれば国連と米国に守ってもらおう、と考えてきたわけだ。この国連中心主義と対米依存の防衛方針を大きく変えたのが、安倍晋三元首相だった。
そもそも日本には、自国の自由と平和をいかに守るのか、独自の国家戦略がなかった。中長期的な国家戦略がないから、その場しのぎを繰り返し、いざとなれば米国に従う「半独立国家状態」であったわけだ。
しかし北朝鮮のミサイル・核開発、中国の軍事的経済的台頭、そして米国の相対的な力の低下という情勢のなかで対米依存だけで我が国を守っていくことができない。
そこで第二次安倍政権は2013年、日本独自の国家安全保障戦略を初めて策定した。
この国家戦略の注目点は3つだ。第1に、国連に頼ることをやめたことだ。第2に「我が国の能力・役割の強化・拡大」を掲げたことだ。「自分の国は自分で守る」覚悟があってこそ、米国も助けに来てくれるという方針を明確にしたのだ。第3に、米国以外の国とも安全保障協力を強化する方針を打ち出したことだ。
この国家戦略を遂行するため特定秘密保護法や平和安保法制を成立させ、豪、英、仏、加、印などと物品役務相互提供協定を締結し、米国以外の国との軍事・情報両面での連携を拡大してきた。英・豪とはいまや準同盟国のような関係で、日本周辺では頻繁にこれら同志国の軍隊との合同演習を行うようになってきている。
並行して対米追従から対米説得へと、外交姿勢も転換させつつある。その象徴が「自由で開かれたインド太平洋構想(FOIP)」だ。2017年11月、安倍元首相からFOIPを聞いたD・トランプ大統領は翌18年2月、FOIPを米国の対外戦略に採用した。戦後、日本の対外戦略を米国が採用したのはこれが初めてのことだ。
2022年12月、岸田文雄政権は国家安全保障戦略を改定、5年間で43兆円を投じて防衛力を抜本強化する方針を決定した。それは、我が国の自由と平和を脅かす脅威がますます深刻になっているからだ。
脅威の第一は中国だ。《十分な透明性を欠いたまま、軍事力を広範かつ急速に増強》し、《東シナ海、南シナ海等における、力による一方的な現状変更の試みを強化》するだけでなく、《台湾について武力行使の可能性を否定せず、また、台湾周辺における軍事活動の活発化》させている。
第二が北朝鮮だ。《拉致問題は、我が国の主権と国民の生命・安全にかかわる重大な問題であり、国の責任において解決すべき喫緊の課題》であり、《ミサイル関連技術及び運用能力の急速な進展。核戦力を最大限のスピードで強化する方針》を掲げている点も深刻だ。
第三がロシアだ。《ウクライナ侵略、北方領土での軍備増強及び活動活発化、中国との戦略的な連携の強化》は《安全保障上の強い懸念》となっている。
よって近い将来、《インド太平洋地域において、国際秩序の根幹を揺るがしかねない深刻な事態が発生する可能性》が高く、しかも《こうした動きの最前線に位置》する我が国としては、自由と平和を守るため、中長期的な展望をもって周到に準備を整えておく必要がある。
そこで岸田政権は、2段構えの国家戦略を打ち出した。まずは《危機を未然に防ぎ、平和で安定した国際環境を能動的に創出し、自由で開かれた国際秩序を強化するための外交》を繰り広げるというものだ。
そのために①日米同盟の強化、②自由で開かれた国際秩序の維持・発展と同盟国・同志国等との連携の強化、③我が国周辺国・地域との外交、領土問題を含む諸懸案の解決に向けた取組の強化などを推進する。
要は北朝鮮、中国、ロシアといった「脅威」から《自由で開かれた国際秩序》を守ろうと思う同志国を増やそうというわけだ。
というのも、中国を「脅威」だと思っている国は必ずしも多くないのだ。米国では、D・トランプ共和党政権以来、中国に対する警戒心が超党派で強まっている。
だが欧州は違う。例えば、「欧州外交問題評議会」は昨年6月7日、台湾と中国をめぐる衝撃的なリポートを公表した。何と欧州連合(EU)加盟11カ国の18歳以上の成人約1万7千人を対象の世論調査の結果、「台湾をめぐって米中戦争が発生した場合、自国が中立を守るべきだ」と回答したのが全体回答者の62%に上ったのだ。要は「台湾有事に際して米国を支援すべきだ」と答えたのは3割ぐらいで、6割は中立を保つ、つまり米国や日本を「政治的に」支援するつもりがないと回答したのだ。
だからこそ日本としては、地球儀を俯瞰する外交で欧米諸国やアジア諸国を懸命に味方につけようとしているわけだが、残念ながら外交だけで紛争を未然に阻止できるとき限らない。
そこで軍事、つまり防衛力の抜本的強化に踏み切ったというわけだ。それは①我が国自身の防衛体制の強化、②日米同盟の抑止力と対処力、③同志国等との連携、の三つの柱で構成されている。
戦後長らく対米依存の安全保障政策を掲げてきた日本がついに「自国の防衛体制の強化」を第一に掲げたのだ。
国連頼み、米国頼みから「自分の国は自分で守る国」へと、我が国の安全保障政策は大きく変わった。必然的に国民の側の意識も大きく変わっていかなければならない。
自由と独立は与えられるものではない。勝ち取るものなのだ。