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    Coffee Break<週刊「世界と日本」2125号より>

    世界に伝える日本のこころ

    元文化庁長官 近藤 誠一 氏

    《こんどう・せいいち》 1972年外務省入省。広報文化交流部長を経て、2006年からユネスコ日本政府代表部特命全権大使。08年よりデンマーク大使。10年より13年まで文化庁長官を務め、三保松原を含めた富士山の世界文化遺産の登録を実現。現在、近藤文化・外交研究所代表、東京都交響楽団理事長、東京藝術大学客員教授などに就任。

    はじめに

     世界における日本について考えるとき、いま世界が直面している問題を抜きに論じることはできない。
     世界は今、テロや温暖化、核不拡散体制の危機など大きな問題を抱えている。その中で気になるのは、反移民をひとつの軸とする英国のEU離脱や、米国におけるトランプ氏の当選である。これらは戦後の秩序を支える理念であった自由・民主主義に何らかの異変が起こっていると見ることもできるからである。
     一体水面下で何が起こっているのか、そして日本が果たす役割はあるのだろうか。

    人間は合理的に行動し得ない

     この問題を掘り下げていくと行き当たるのが、自由・民主主義の土台には西欧近代合理主義があり、そこでは理性を重視する思想が中核になっていることである。それは、人間は理性をもつがゆえに合理的に判断し、行動できるという信念である。
     この合理主義は科学技術を生むとともに、近代的政治・経済理論を構築した。政治面では選挙や多数決により、公正な社会統治ができると考える。経済面では個人が欲望に基づいて自由に競争することが、「見えざる手」によって全体最適を達成するとされる。この理念のおかげで人類の文明は飛躍的発展を遂げた。
     しかしそこには、2つの問題点が内在している。
     第1は、人間は必ずしもこの理念が想定するように合理的に行動する訳ではないということだ。その結果、現実を理念系に近づけるための「改革」が必要になる。それは必然的に個人に「規律」を要請するが、この「規律」は、「開かれたガバナンス」のように、理屈としては正しくとも生身の人間にとって容易でないものが多い。
     自分の利益が増えぬまま規律の圧力ばかりが続くと、大衆の間に感情的反発が台頭し、理念体系への疑念が生じる。それが典型的に表面化したのが、英国のEU離脱と米国でのトランプ政権成立である。
     経済格差の拡大によって自分たちだけが置き去りにされたと感じた大衆が、職を奪う大量の移民や、弱者救済による全体最適よりも、私益を追求するエリート層をスケープゴートにして立ち上がった。
     合理主義の第2の問題は、人間は理性をもつゆえに自然を超越した存在であり、科学技術の力で如何なる問題も解決できると思い上がることである。それが自然破壊や温暖化という取り返しのつかない結果へと人類を導き、自然が教える多様性の価値を認識できなくなる。
     こうした思い上がりへの警告はすでに古代から存在する。『旧約聖書』に出てくる「バベルの塔」がその好例だ。しかし文明の発展に目が眩(くら)んで、人間は一向に懲りていない。

    日本人の思想の普遍性

     人間が理性の過信に基づく思い上がりを改め、弱者・敗者を正しく処遇し、モラルを回復することで初めて、自由・民主主義は本来の機能を発揮できる。ここに、日本人の古来の文化の根底にある思想、すなわち日本の「こころ」が一定の役割を果たすことができると考えることができる。
     日本人の生き方の根幹をなす思想は第1に自然観である。欧米人が、人間は理性をもつゆえに自然の支配者であるという思想をもっているのに対し、日本人には人間も自然の一部であり、他の生きとし生けるものとともにこの地球に生かされ、複雑な関わり合いを築きつつ自然を持続させているという意識が強い。
     それが自然を慈しみ、畏敬の念をもつという思想を生んだ。明治以降の欧化政策の流れの中でも、この自然観は日本人のこころにしっかりと根付いている。この精神が、理性の力の過大評価による思い上がりの心をやわらげ、私欲を超えるモラルを生み、感性を豊かにし、環境の保護と人類の平和に貢献することは疑いない。
     第2は、白黒を明確にしない「あいまいさ」を受け入れる思想である。西欧はデジタルの世界を生んだように、物事を二元論的にとらえがちである。それが敵か味方かの二分、敵の敵は味方だという発想を生み、テロなどの報復の負の連鎖を生む。
     これに対し、日本人は白と黒という対立軸を嫌い、それらの間に横たわるさまざまなものを認め、包み込もうとする。それが、異なるものの受け入れや、多様性の受容につながり、平和の重要な基礎をつくっていく。
     第3は、目に見えない価値の評価である。西欧では目に見え、科学で説明できるもののみを信じるという、一種の物質主義の流れが強いのに対し、日本人は余白や「間」に価値を見いだす。それは形で表現されない相手の心を慮(おもんばか)る配慮にも発展する。
     これらが直ちに世界の問題を解決する訳ではない。しかし、より多くの人類がこうした感性をもつことは、冒頭の諸問題の解決にとっては、長い目で見て極めて重要である。

    文化財による日本思想の伝達

     しかし、このような日本人の思想を言葉で説明することは容易なことではない。言葉は便利だが、同時にすべてのひとを、自分がもつ特定の意味で縛ってしまう。とりわけ感性を重視する日本の文化を、言葉で伝えることは極めて難しい。
     そこで威力を発揮するのが自然や文化財である。これらはその価値を、言語によってではなく、むしろ感性によって心に直接伝え、感動を呼ぶ。日本のこころを伝える上で極めて効果的である。
     2013年の富士山のユネスコ世界遺産登録に際して、三保の松原を登録できたことはその好例である。
     世界遺産の審査の過程で、諮問機関が三保の松原は富士山の一部ではないから世界遺産の対象にすべきではないとの勧告を出した。
     これに対し、日本代表団は、日本人は古来富士山と三保の松原の間を一体ととらえてきたから、日本人の心の中では両者には目に見えないつながりがあるのだと主張し、最終的に賛同を得ることができた。そこでは広重の浮世絵が重要な役割を果たした。理屈や科学では説明できない「目に見えぬつながり」を理解させることができたのも、自然と文化の力なのである。
     このように日本人が長く大切にしてきた思想の多くは、曲がり角に来ている西洋合理主義を、人類が再び適切に使いこなす上で重要な貢献をし得る。
     この「日本のこころ」を達成する手段は言葉ではなく、世界遺産への登録などの自然や文化の力なのである。

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