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    Coffee Break<週刊「世界と日本」2151号より>

    豊かさとゆとりを支える伝統文化―伝統文化の継承者としての皇室―

    元文化庁長官
    国際ファッション専門職大学学長
    近藤 誠一 氏

    《こんどう・せいいち》 1972年外務省入省。広報文化交流部長を経て、2006年からユネスコ日本政府代表部特命全権大使。08年よりデンマーク大使。10年より13年まで文化庁長官を務め、三保松原を含めた富士山の世界文化遺産の登録を実現。現在、近藤文化・外交研究所代表、東京都交響楽団理事長、東京藝術大学客員教授などをつとめ、2019年4月国際ファッション専門職大学学長に就任。

     贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に(平成31年歌会始御製)
     5月1日に行われた新天皇陛下の御即位と新しい元号のスタートは、我々国民に、改めて皇室のかけがえのない存在価値を示してくれた。

     今、世界は大きな構造変化に差し掛かっている。戦後の国際秩序が、大きく揺らぎ始めた。格差拡大や大量難民の流入に対する庶民の反発にみられるように、これまでの西欧主導の資本主義や民主主義の運営に綻びが見え始めた。
     しかもそれが、日本がこれまで手本としてきた欧米において顕著であることは見逃すことができない。トランプ大統領の選出、英国のEU離脱を巡る混乱、欧州における極右政党の台頭などはその代表例である。
     加えて急速に進む一方のグローバル化とAI(人工知能)の発展は、一方で人々に未来の可能性への希望を与えると共に、他方で予期できぬ事態への言い知れぬ不安を招いている。
     日本も例外ではない。最近の異常と言わざるを得ない犯罪や社会問題に見られるように、国全体がゆとりを失っている。皆が心のよりどころを求め、若者の間には自分が何者かを自問し、その答えを与えてくれる伝統文化への関心が高まりつつあるようだ。
     明治以降の150年間の政治・経済面での官民挙げての努力はそれなりに成功したが、肝心の国民の心の豊かさや、危機を乗り越え、人間らしく生きる力の源泉となる精神性を養う努力を怠ってきた。その結果現代の日本には、それを培う伝統文化の価値を正しく子供たちに教え、社会に浸透させていくシステムが十分でない。
     伝統文化とは、本来家庭での毎日の生活の中で習い、味わい、手間をかけて子孫に伝えていくものだ。それが近代の新しいライフスタイルの中で存亡の危機にある。身近にあるのはスマホやゲーム器ばかりで、伝統工芸品や掛け軸を飾る床の間がある家はほとんどない。学校教育は知識偏重に傾斜し、地域での祭りや年中行亊も縮小、簡略化されている。
     このままでは、日本はいまの効率化を主軸とするグローバル化やAI化にどんどん流され、本来の自分を失ってしまうのではないだろうか。いまの生活スタイルを変えずに、伝統文化を導入できないだろうか。
     そのひとつとして歌(和歌や俳句)の役割に注目したい。日本語には日本人の美意識や自然観、他を思う心を表す言葉が豊富であり、それを味わい深く表現するものが歌である。
     歴史を振り返れば、日本人は古くから歌を生活の一部とし、精神的糧としてきた。ごく一般の庶民までもが生活の中で歌に慣れ親しみ、発展させてきた。
     『万葉集』には、天皇ばかりでなく多くの防人の歌が収められている。雨に降られて蓑を所望した太田道灌に貧しい農家の娘が差し出した一枝の山吹。それは『後拾遺和歌集』にある、「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という兼明親王の歌に準えて、貧しさゆえに貸し出す蓑もないことを伝えたというエピソードだ。
     また12世紀の奥州衣川の戦いで、義経を追って攻め入った源義家が、敗走する安倍貞任に、「衣のたてはほころびにけり」という下の句を投げかけると、貞任は即座に「年を経し糸の乱れの苦しさに」という上の句を詠み返した。武士にも歌の嗜みがあった。
     平安時代の恋の想いは、一枝の花に託した歌によって相手に届けられた。スマホの絵文字では表せない趣があった。日本人は教育レベルが低くとも、貧しくとも、生きるか死ぬかの瀬戸際にあっても、歌心を忘れず、手間と暇をかけて自分の手で心を伝えてきた。それだけの心のゆとりと、生死を超えた美学があった。
     『古今和歌集』の仮名序で紀貫之が言うように、歌には「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をもなぐさむる」力があるので。
     現代でも歌心を持ったひとが少なくないことは、新聞等の歌壇、俳壇で見受けられ、外国人を驚かせている。ではどうすれば歌をもっと一般家庭に染み込ませ、日本語の美しさと力を再認識させることができるだろうか。
     ここで注目すべきは、年初の宮中歌会始だ。ひとつの「お題」の下、国民の誰もが応募でき、天皇・皇后両陛下を始めとする皇室の方々が、それぞれの歌をご披露される。
     宮中での文化行事が、広く一般に開放されることは少ない。令和が『万葉集』から採られた元号であり、それが国民に広く受け入れられたことは、改めて歌会始の意義を見直す良い機会なのではないか。
     皇室は政治から距離をおき、常に伝統文化の継承者として慕われ、脈々と続いてきた。西欧の王との違いはここにある。日本が政治や経済の動きに振り回され、伝統文化を生活の中に取り戻すことができないいま、皇室はその役割をおおいに発揮できるときである。
     2016(平成28)年8月8日、上皇陛下(当時の天皇陛下)が国民へのメッセージにおいて、象徴天皇とは、「伝統の継承者として、これを守り続ける責任」をもち、皇室とは、「いかに伝統を現代に生かし、生き生きとして社会に内在するか」と述べられたお言葉の奥には、この国に対する深い想いがあったのだということを思い、改めて深い敬意の念を感じざるを得ない。国民は歌の嗜みをもつことで、陛下のご期待に応える第一歩を踏み出せる。
     日本の歴史を起承転結で見るとすれば、白村江の戦い(663年)で唐・新羅の連合軍に大敗し、急遽古代律令国家の建設を始めたときを「起」、その後の平安から江戸へと続いた日本文化の成熟期を「承」、明治以降の大きく異なる西欧文明の導入を「転」とするならば、日本はそろそろ「承」で養った美しい文化と、「転」で導入した西欧の合理的統治理念を融合した「結」、すなわち21世紀に相応しい文明をつくり始める時期にきていると思われる。これこそ長期的な日本外交のソフトパワーになる。
     冒頭の、上皇陛下が天皇として最後の歌会始で歌われたお歌は、まさに初夏に即位された新天皇の下で、これからこの国が、過去のさまざまな学びの上に、新たなエネルギーを得て、世界に向けて葉を広げて行くことを予見しているのではないだろうか。

     

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