Coffee Break<週刊「世界と日本」2164号より>
日本の進むべき道は
元文化庁長官
国際ファッション専門職大学学長
近藤 誠一 氏
《こんどう・せいいち》 1972年外務省入省。広報文化交流部長を経て、2006年からユネスコ日本政府代表部特命全権大使。08年よりデンマーク大使。10年より13年まで文化庁長官を務め、三保松原を含めた富士山の世界文化遺産の登録を実現。現在、近藤文化・外交研究所代表、東京都交響楽団理事長、TAKUMI-Art du Japon代表理事などをつとめ、2019年4月国際ファッション専門職大学学長に就任。
世界が直面する難問は、解決の糸口が見えるどころかその数、深刻さが増す一方だ。米中摩擦、英国のEU離脱、ナショナリズムの再来と連動した一国主義の広がりなど、国家が主体となっている問題。金融危機、テロや異常な犯罪等国家の枠を超えた問題。そして気候変動や生物多様性の破壊、AI革命とサイバー戦争のリスクの増大など、枚挙にいとまがない。
これらの問題はその深刻さ、相互の関連性を増すばかりだ。いかなる問題も単独では解決できず、また同時にいかなる解決策も他の問題への波及(しばしばマイナスの)を避けられない。誰もが何をやっても解決できないという無力感と、次世代に一層深刻な課題を残すだけだという焦りを感じている。
明治150年を過ぎ、新しい御世を迎えた日本は、この難問にどのような基本スタンスで臨み、解決に尽力すべきなのだろうか。それは大局観をもち、自らのよって立つ座標軸を明確にすることである。それにより、現象としてのこれらの問題の底流にある歴史のうねりを把握し、適切な処方箋を書くことができる。
大局観とは、問題を文明の長期的な流れの中に位置付け、それに基づいて未来を自らつくっていこうとする積極性である。座標軸とは様々な価値体系の中で、自らが拠って立つべき体系を選ぶということである。
世界の歴史を長期的にとらえる時、そこでは3つの世界を区別して考えるべきである。第一の世界は地球誕生以来の自然体系である。第二は我々人類誕生後の世界である、そして三つ目は現在生まれつつある、アルゴリズムが主役となるであろう世界である。これらは相互に連関しているが、それぞれが独自の論理で動いている。
第一の世界とは、宇宙飛行士が窓から振り返った時に見える地球である。それは海、山、川、そして森林を含む生命体の世界である。38億年前に生まれた地球は、ゆるやかな進化を遂げて今日に至る。
その間多くの種が淘汰されたが、それにより、環境変化に適合し、食物連鎖に組み込まれて自らの人口を適度なレベルに保つことができる種が生き残ることで、生命体を全体として持続させてきた。その生存のカギは、複雑な生態系とそれを支える多様性にある。この世界は環境に合わせて徐々に進化しつつ、半永久的に繁栄するはずであった。
第二の世界とは、上記世界での進化の結果10万年程前に生まれた我々ホモサピエンスが新たにつくった世界である。思考する能力をもったホモサピエンスは、自由、国家、民族、宗教等の観念を生み、言語や文字を通じて相互に、そして時代を超えてコミュニケートしてそれらを制度化し、独自の世界をつくり上げた。
それはやがて資本主義、民主主義、法の支配等の統治理念として定着した。この世界は人間だけのもので、文明と呼ばれ、第一の世界には実在しない(従って宇宙飛行士には見えない)。
この世界で人類は、農業革命による食料増産、科学革命による高度な技術によって急激な人口増加を遂げ、第一世界の基本原理である生態系の枠から解放されたかにみえる。しかしそのことが、この世界独特の問題を生んだ。現代の人間の意識において、多様性の価値が低下したことだ。それは統治理念の実行と、科学技術の活用の両面に表れた。
まず統治理念として確立したリベラル・デモクラシーの運営において、人間は合理的に行動するという仮説の上に成り立っている西欧近代合理主義を額面通り、一元的に押し進め、世界中に押し付けてきた。資本主義や民主主義、法の支配等のようにモデルとしては完璧な制度を、地域の差、人間の多様性という現実を無視して理念に忠実に実行しようとしてきた。
その結果、植民地主義の下で支配されてきた途上国の歴史的怨念や、先進国における自由競争の敗者、少数派、弱者が制度から裨益できていないという不満が鬱積してきた。それが爆発したのがテロであり、トランプ大統領の選出であり、英国のEU離脱であり、東欧等におけるポピュリズム政党の躍進である。
科学技術が一方で生活に大きな便益をもたらしたことは言うまでもない。生態系の枠の中では叶わなかった、欲望の果てしない追求を可能にした。それが自然に大きな負荷をかけ、多くの種を絶滅に追い込み、気候変動をもたらしていることは言うまでもない。
すなわち冒頭に列挙した現代の複雑な諸問題の背景には、人間が築いた世界が、理念に走ることで多様性を軽んじ、自律的に生存を持続させてきた自然の世界に深刻なダメージを与えると共に、自らの世界の統治体制の綻びをも生んでいるのである。
第三の世界であるアルゴリズムが支配する世界は、スクリーンを通してしか見えない。それがどのようなものになるのか、AIが意味を解し、価値判断ができるようになるか否かについては、楽観論と悲観論が交錯し、今の時点では分からない。
しかし第二の世界の問題を一挙に解決してくれると期待することは現実的でない。逆にそれらの問題がそのまま持ち込まれて、テロや戦争がサイバー空間で行われることを危惧せざるを得ない。一元化のリスクが顕在化しつつある第二世界での問題を早期に解決しておかねばならない。
それは人間が生まれた第一世界の知恵である生態系維持、そのルールである多様性の尊重を、第二世界の運営にビルドインすることでのみ可能になる。即ちそれが我々が拠って立つべき座標軸なのではないだろうか。
そしてそれを実行する上で、欧米合理主義から一定の距離を保ち、自然に対する尊敬と他者への寛容性をもち、かつては循環型社会をつくった経験のある日本の思想・文化は、大きな力を発揮できる。
オリンピック・パラリンピックの東京開催。「より速く、より高く、より強く」というオリンピックの標語はスポーツだけに限り、「足るを知る」という、欲望統制の日本の知恵を世界に広めるチャンスである。
新しい元号が初めて日本の古典である『万葉集』から選ばれたことは、これからの日本の進むべき道を示唆していると見るべきであろう。