Coffee Break<週刊「世界と日本」2207号より>
ロンドン鉄道事情と歴史
欧州鉄道フォトライター(チェコ共和国プラハ在住)
橋爪 智之 氏
《はしづめ・ともゆき》
1973年東京都生まれ。欧州鉄道フォトライター。日本旅行作家協会(JTWO)会員。主な寄稿先はダイヤモンド・ビック社、鉄道ジャーナル社(連載中)など。
英国の首都ロンドンは、周辺地域を合わせた都市圏で1200万人以上の人口を誇る、欧州地域最大の都市で、EUを離脱してもなお、世界経済の中心であることに変わりはない。そのロンドンには、大小合わせて12ものターミナル駅が存在するが、いわゆる全ての路線が集結する「中央駅」は存在しない。その理由をご存じだろうか。
1825年、世界初の公共輸送を目的とした鉄道を開業した英国は、1840年代に入ると本格的な鉄道建設ブームとなり、首都ロンドンにも複数の鉄道が乗り入れることになった。ただし、鉄道黎明期の英国の鉄道は全てが民間会社で、各会社はお互いがライバル関係にあった。当然、ロンドン市内には各鉄道会社がそれぞれの駅を設けたことが、理由の1つであった。
国の歴史に対し、鉄道が比較的新しい交通インフラだったことも理由の1つだ。ヨーロッパ地域最大の都市となったロンドンは、紀元前のローマ帝国時代にはすでに集落があったとされ、中世〜近世にかけて大きく発展。鉄道が建設されるようになった19世紀には、すでに当時の世界最大都市となっていた。もちろん、その段階で都市の大部分が形成されていたことから、都市の最深部まで鉄道を敷き、大きな土地が必要となるターミナル駅を建設することが不可能だったのだ。各鉄道会社は、可能な限り中心部に近いところまで線路を敷き、駅を建設できるだけの十分な土地があるところにターミナルを設けた。それは湿地帯のような軟弱な地盤の空き地であったり、工場の跡地であったりと様々で、老朽化した大病院の跡地を譲り受けたリバプール・ストリート駅のような例もある。このリバプール・ストリート駅周辺は、中世のペスト大流行の際に命を落とした犠牲者の埋葬地でもあったそうで、2015年には当時建設中だった新路線「クロスレール」の工事現場で、大量の人骨か発掘されたとして話題となった。最近の研究では、16世紀から18世紀頃にかけて最大3万体もの遺体が埋葬された可能性があるとの話もある。
ともあれ、こうした理由で同じロンドン市内にありながら、各駅はそれぞれが離れた場所に建設され、乗り換えるためにはいったん下車し、馬車などを使って駅間を移動しなければならなかった。ところが19世紀当時の段階で、すでにロンドン市内は大量の馬車が路上に溢れ、身動きが取れぬほど深刻な渋滞を引き起こしていた。
そこで1863年に、世界初となる地下鉄がロンドン市内のパディントン駅〜ファリンドン駅間に開業した。道路交通の支障を受けないよう、トンネルを掘って路線を建設したのだが、当時は地下深くにトンネルを建設する技術がなかったこと、加えてまだ電気を動力源とする技術がなく蒸気機関車の煙を外へ排出する必要性があったことから、大部分を掘割構造とし、建物や道路と交差する部分だけ蓋をした、非常に浅い部分にトンネルが設けられた。ロンドン地下鉄は次々と路線網を伸ばし、2020年時点で総延長402キロというヨーロッパ地域最大の路線網となった。2021年9月20日には、旧バタシー発電所跡地再開発エリアまで地下鉄ノーザン線が延伸、総延長は3キロ増えている。
ロンドンのターミナルの中でも、やはり特急列車が多く発着する駅は一際華やかな印象を受ける。ロンドン唯一の国際ターミナルであるセントパンクラス駅は、パリやブリュッセルへ向けてユーロスターが発着し、列車が到着すれば時折フランス語の会話が聞こえてくるなど、大陸からの風を感じることができる。そのすぐ隣に位置するキングスクロス駅は、映画「ハリーポッター」に出てくるボグワーツ急行が出発する駅として知られ、映画に出てくる9と3/4番線への入り口を再現したオブジェは多くの人が写真を撮る人気スポットだ。熊のパディントンで知られるパディントン駅は、「最も偉大な英国人100名」にも選ばれた技術者イザムバード・キングダム・ブルネルの設計で、美しい鉄骨のアーチ屋根が特徴となっている。リバプール・ストリート駅は前述の通り、周辺で多くの遺骨が発掘されるなど薄気味悪い印象を受けるが、駅構内は大聖堂を思わせるような高い天井とそれを支える支柱が印象的だ。いずれの駅も、当時の各民間鉄道会社が趣向を凝らして建築したものばかりで、これらを見て回るだけでも非常に興味深い。
ロンドンの鉄道シーンでは、日本製品も多くその姿を見かけることができる。非常に有名なところでは、日立製作所が製造した特急用車両800系(Class 800)シリーズで、パディントン駅を発着するグレートウェスタン本線と、キングスクロス駅を発着する東海岸本線の列車に使用されている。日立製の電車としては、他にセントパンクラス駅を発着する395系近郊列車「ジャベリン」も有名で、こちらはロンドンオリンピック開催に合わせ、その前年の2011年に営業を開始しており、800系車両の先輩にあたる。部品供給という部分も含めれば、ロンドン南東部を走る近郊電車のモーターや制御装置などにも日立製が使用されており、英国の鉄道業界では日立ブランドが確実に浸透しつつある。
近年では、ロンドン地下鉄車両初の冷房装置を三菱電機が供給している。車体断面が小さく、これまで冷房装置を搭載するのが難しいとされていたが、同社製の薄型冷房装置がそれを可能とした。現在はメトロポリタン線やサークル線など、4つの路線で100%冷房化を達成している。
一方で、車両のように目立つものではないが、縁の下で鉄道の安全を支えている企業もある。日本の火災報知器メーカー大手のホーチキは、同社製の火災報知機をロンドン地下鉄の各駅に設置しており、またユーロスターのセントパンクラス駅にも同社製品が採用されている。火災報知機は、いち早く緊急事態を察知して周囲へ知らせることは当然として、万が一の際に確実に動作する高い信頼性が求められることから、同社製品が選ばれたのは性能やアフターサービスなど、あらゆる面で高く評価されていることの証と言えよう。