Coffee Break<週刊「世界と日本」2209号より>
スポーツは「楽しい」
尚美学園大学スポーツマネジメント学部教授 産経新聞客員論説委員
佐野 慎輔 氏
《さの・しんすけ》
産経新聞客員論説委員/尚美学園大学スポーツマネジメント学部教授/笹川スポーツ財団理事・スポーツ政策研究所上席特別研究員/日本オリンピックアカデミー理事
1954年生まれ。早大卒。報知新聞社を経て産経新聞社に入社。シドニー支局長、編集局次長兼運動部長、取締役サンケイスポーツ代表、特別記者兼論説委員などを歴任。早稲田大学非常勤講師、日本スポーツフェアネス機構体制審議委員、日本モータボート競走会評議員など。専門分野はスポーツメディア論、スポーツ政策、スポーツ史。
もう20年以上も経つのに、1枚の写真が今も心に残っている。1999年晩夏、オーストラリア北部ダーウィンで手にした地元紙。1面に、サッカーボールを蹴る少年の笑顔が大写しにされていた…。
あの夏、インドネシア占領下にあった東ティモールで特別自治権付与を問う住民投票が行われた。結果は約8割が反対。独立への意志が示された。すぐに併合派武装勢力による破壊と弾圧が始まり、オーストラリア軍が中核の多国籍軍が派遣され、沈静化していく。
あの時、新聞社のシドニー駐在だった私はディリで住民投票を見届けた後、一旦戦禍の東ティモールを脱出。ダーウィンで再渡航する機会を探っていた。この地では難を逃れた東ティモール住民がひっそり暮らしていた。そんなある日、あの写真に出会った。
ボールを蹴る少年の後ろには笑顔で拍手するオーストラリア軍兵士たち。身をすくめて日々を暮らす少年たちに、兵士たちが一緒にサッカーをする機会をくれたのだった。
くったくのない写真の笑顔には思い切り体を動かすことのできる喜びがあふれていた。内乱とつかの間の平和。それを考えるにつけ、長くスポーツ記者を続けてきた私には、あの笑顔こそスポーツの原点だと思われた。
いま私たちは何気なく「スポーツ」と口にする。では、スポーツとは何か、と問われたとしたら、何と答えるだろう。
手元にある広辞苑第六版を引くと、スポーツは「陸上競技、野球、テニス、水泳、ボートレースなどから登山、狩猟にいたるまで、遊戯・競争・肉体的鍛錬の要素を含む身体運動の総称」とある。研究者の間では、スポーツの定義は学者の数だけあるとされる。著名なフランスの学者、ベルナール・ジレは「1つの運動をスポーツと認めるために、われわれは三つの要素、即ち、遊戯、闘争、およびはげしい肉体活動を要求する」(『スポーツの歴史』)と説く。またアレン・グートマンはより簡潔に「『遊びの要素に満ちた』身体的闘争」と『近代スポーツの本質』に記した。
いや、そんな小難しい論議は研究者たちにまかせて自分事として考えてみよう。すると、やはり「スポーツは楽しい」に行きつく。
ウォーキングやジョギング、山歩きなど1人で動くだけでも充実感を覚える。テニスや卓球など相手がいたり、野球やサッカーなど仲間とともに活動したりすると、1人のときとはまた違う喜びを知ることができる。一緒になって相手を倒すことに知恵を絞って、試合が終わった後が心地いい。勝てばうれしいし、負けた悔しさはあっても「次は勝とう」と語りあうひととき。乾いた喉を潤してくれる何かがあればもっと嬉しく盛り上がる。
試合を始めるとき、私たちは自然、「プレイ」つまり「(よく)遊べ」と声をかける。スポーツの語源が「気分転換」や「余暇の活用」あるいは「元気の回復」だった余韻であろう。写真の少年が伝えるものでもある。
多くの人々が新型コロナウイルスの感染禍に苦しめられた2021年。マスクの着用、手洗いの慣行とともに行動の自由は制限された。自ら体を動かす機会は減り、プロ野球やJリーグの観戦にも人数制限がかかった。それでもテレビという手段を通して、たくさんの「スポーツの楽しさ」に触れることができたことは幸いだったように思う。
米大リーグ、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平(おおたに・しょうへい)選手には驚かされた。投げては9勝2敗、156奪三振で防御率3.18。打っても46本塁打はシーズン最後までタイトルを争った。100年前の神様ベーブ・ルースを彷彿とさせる「投打二刀流」に日本ばかりか、全米中も「SHOW TIME」として熱狂。いかにも野球をすることが楽しいという笑顔に魅了された。
むかし草野球では体力があり、うまい奴が「エースで4番」だった。野球のレベルが上がるにつれて“分業”が進み、いまや甲子園の高校野球でもエースで4番はみられない。プロ野球、大リーグでは指名打者制でバットを握らない投手も少なくない。しかし大谷は「野球少年」のままプレイを続ける。楽しさを率直に表した笑顔こそ、その証である。
コロナ禍のもと、オリンピックは開幕前から「中止」「延期」論が吹き荒れた。無観客での開催、それでも「中止」を叫ぶ声が聞かれた異様さは語り継がなければならない。その奇妙な空気を解きほぐしたのは選手たち。とりわけ、東京で初めて公式競技となったスケートボードの歳若い選手たちの日本中を笑顔にしたパフォーマンスではなかったか。
女子ストリートで優勝した13歳の西矢椛(にしや・もみじ)選手と3位にはいった16歳、中山楓奈(なかやま・ふうな)選手は大の仲良し。試合中でも出番がないと笑顔で話し込む。あまりのくったくのなさに呆れ、しかし、スポーツの原点はこうしたものだと納得した人はけっして少なくなかったろう。
同じスケートボードの女子パーク、世界ランキング1位、15歳の岡本碧優(おかもと・みすぐ)は逆転を狙った最終試技の最後の技で転倒。しゃくり上げながらゴールした時、参加選手たちが駆け寄って抱擁、肩車して敗者であるはずの彼女を称えた。国を超えた選手たちの輪は、オリンピックの創始者ピエール・ド・クーベルタンの唱えた「オリンピズム」の理想の姿だったかもしれない。
報道各社の世論調査では「オリンピックを開催してよかった」がほぼ6割、「しない方がよかった」を大きく上回った。くったくのない彼女たちが分水嶺であったように思う。
パラリンピックでは障害を乗り越え、「不可能に挑む」姿に魅了された。「失くしたものを数えるな、残されたものを活かせ」—パラリンピックの父、ルートヴィッヒ・グットマンの言葉を改めて噛みしめる。
少しずつ平穏が戻ってきている。さあ次に「スポーツを楽しむ」のはみなさんの番だ。