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    Coffee Break<週刊「世界と日本」2224号より>

    『いま問われる田中角栄の功罪』

    —田中首相誕生から50年—

    評論家

    ノンフィクション作家

    塩田 潮氏

    《しおた うしお》

    1946年高知県生まれ。慶大法卒。雑誌編集者、月刊『文藝春秋』記者などを経て独立。『霞が関が震えた日』で講談社ノンフィクション賞受賞。『大いなる影法師』、『内閣総理大臣の日本経済』、『田中角栄失脚』、『日本国憲法をつくった男』、『密談の戦後史』、『東京は燃えたか』、『内閣総理大臣の沖縄問題』、『危機の権力』、『解剖 日本維新の会』、近著に『大阪政治攻防50年』など著書多数。

     

     5月15日は沖縄返還50年だった。9月29日に日中国交回復50年となる。今年はもう一つ、7月7日に田中角栄元首相の政権獲得から50年の日が訪れる。1955年の自民党結党から93年の非自民連立内閣樹立まで約38年続いた「55年体制」は、72年までの自民党隆盛期が前期55年体制、以後の混迷期は後期55年体制と区分されるが、分岐点は72年7月の田中首相登場である。93年以後は2回の自民党野党転落も含め、現在まで基本的に連立内閣と政権交代の時代だが、後から振り返ると、戦後の77年間で保守1党支配時代と与野党離合・連立時代を分ける境目も田中首相誕生の場面であった。

     

     戦後政治は田中登場で何が変わったか。45年10月就任の幣原喜重郎元首相以後、田中氏は初の非大学卒首相、石橋湛山元首相に次いで2人目の非官僚出身首相、就任直後の内閣支持率が初めて60%超(朝日新聞調査)という人気首相であった。

     共同通信記者出身で元田中秘書の麓(ふもとくにあき)氏は「言ってみればエスタブリッシュメントへの侵略。だから、必ず『角栄神話』がよみがえる」と解説したが、田中氏は「頑張れば誰でも首相になれる」という時代の開拓者の役割を果たした。

     だが、在任は2年5カ月で終わった。権力の握り方、人物像と併せて拙著『田中角栄失脚』でその経緯と原因を追跡したが、一言でいえば、74年7月の参院選が不振に終わり、参議院で初の保革伯仲に陥った後、10月発売の月刊『文藝春秋』の「金脈と人脈」報道で進退窮まったのだ。

     ほかにも、在任中、「狂乱物価」と超インフレ、第1次石油危機後の経済失政、派閥抗争、金権政治などが響き、民意が離反した。日中復交以外に見るべき実績なしという冷厳な採点も多かった。

     退陣時、いずれもう一度、と野望を抱いたが、1年9カ月後にロッキード事件で逮捕され、刑事被告人のまま85年2月に病に倒れて政界から姿を消した。

     首相辞任から退場までの約10年、政権再奪取を狙って編み出したのが「田中支配」という手法である。最大派閥を維持し、党外から政権と与党を操る政治だ。このスタイルは形を変えて受け継がれ、竹下登元首相や金丸信元副総裁らによる「竹下派支配」を生んだ。

     2001年の自民党総裁選で、小泉純一郎氏が「自民党をぶっ壊す」と叫んで政権を手にした。ぶっ壊しの標的としたのは、田中支配が源流の最大派閥支配の構造である。

     田中支配型の自民党政治は、しばしば政治の分断を招いた。「分断」で思い浮かぶのはアメリカのドナルド・トランプ前大統領だ。時代の流れや日米の社会の違いは大きいが、いま「トランプ氏と田中氏は似ている」と指摘する声もある。

     共に不動産ビジネスから出発して最高権力者となった。一部に強固なファンを持つ点も似ているが、金権体質も共通点だ。トランプ氏が闇将軍による共和党支配方式で大統領復帰を狙えば、「アメリカ版角栄」である。

     田中氏が残した功罪の「罪」は、やはり金権政治、派閥至上主義の田中支配、政治の分断といった点だろう。

     他方、「角栄神話」が消えない秘密、功罪の「功」とは何か。

     田中氏は太平洋側偏重の社会を改める列島改造論を唱えた。「決断と実行」を標語に、「無から有を生み出す天才」「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれた着想力と行動力が武器であった。

     田中氏から直接の薫陶を受けた数少ない現職政治家の小沢一郎元民主党代表は「いい意味で数の論理に忠実だった。民衆政治家、民主政治家の申し子だったと思う。『最大多数の最大幸福』を追求した」と述べている。

     もう一人、自民党の石破茂元幹事長は「根幹にあるのは親切心」と評した。理念派の顔を併せ持つ石破氏だが、信条とする「民意重視」は田中氏から学んだ点が大きいという。

     現役のころ、「政治の役割は」と問われた田中氏は「政治は欲望の調整作業」と即答した。首相就任前の幹事長時代、外交や教育の問題で追及を受けて回答に窮したとき、「要するに国民がみんな生活をエンジョイできるようになればいいんでしょ」と切り返した。

     有権者が望む政治を最優先に考えるという「田中流デモクラシー」の発想と、民意重視の姿勢は田中政治の「功」で、現在の政治家が学ぶべき点である。

     とはいえ、政治の使命は、国民が生活をエンジョイできる国にすることだけではない。田中型政治では、国の長期的なビジョンや政治目標を考え、それを実現していくというもう一つの政治の使命が置き去りにされた。

     他方、田中流デモクラシーの裏側で、票田の確保と既得権益化した利権、それに裁量行政による官僚支配という三者の利害と思惑が優先する政・官・業の一体構造が拡大した。その体制は21世紀まで温存され、低迷する日本の政治と経済の元凶といわれた。

     田中氏が政界から退場して36年余が過ぎた2021年、岸田文雄首相が誕生した。

     自民党の派閥・宏池会の会長だが、同じ宏池会の元首相の大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一の各氏は、いずれも最大派閥の田中派や竹下派の後ろ盾で政権に到達した。くしくも岸田氏は3人の先輩首相と同じく、最大派閥の支援で首相となった。

     22年に入り、高支持率を維持したまま、7月10日の参院選を迎える。「安全運転第一」「有言不実行」批判が気になるのか、岸田首相は参院選のキャッチフレーズに田中氏の一枚看板だった「決断と実行」を掲げた。

     裏側に、政権誕生のキングメーカーの安倍晋三元首相、闇将軍の麻生太郎副総裁という2大派閥の長とのバランスの取り方や綱引きに苦慮する姿が透けて見える印象である。

     半世紀前に田中氏が生み出した最大派閥支配による二重権力の復活という懸念を振り払えるかどうか。一歩、間違えば、50年前の派閥抗争と分断の時代への逆戻りと背中合わせだ。岸田首相の武器は「宏池会伝統の現実主義」だが、問われているのは現実対応を超える理念と哲学だろう。 

     

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