Coffee Break<週刊「世界と日本」2226号より>
爽風エッセイ
日宇「連帯と鎮魂」の夏
(産経新聞論説委員)
齋藤 勉氏
まもなく、77回目の「終戦」記念日だ。
とりわけ今夏、わが国はプーチン露大統領の大義なき侵略で「戦中」真っ只中のウクライナから約1400人の避難民を迎えている。2月24日の侵攻開始以来この5カ月余、世界が連日のように目撃しているかの国でのロシア軍の暴虐は、プーチン氏が崇拝するソ連の独裁者スターリンが77年前、日本を蹂躙(じゅうりん)した国際犯罪の再現だ。
北方四島強奪、シベリアなどへの日本軍民の大規模拉致の過程でソ連兵は蛮行の限りを尽した。殺戮、暴行、強姦、拷問、略奪:。ウクライナでは子供を含む無辜の人々の犠牲者が増え続けている。
時代を超え、ロシアの2人の暴君に領土と人命を蹂躙された日本とウクライナは「領土奪還」に固く連帯し、両国の犠牲者の御霊に深い鎮魂の祈りを捧げるべき特別の夏だ。
日本在住のウクライナ人国際政治学者、グレンコ・アンドリー氏(34)は京都大学に留学した2013年から毎年、終戦記念日には靖国神社に参拝する。侵略直前の2月7日の「北方領土の日」、首都キーウのロシア大使館前で数十人の若者が「北方領土返還」を唱えて集会を催した。すでに数年続いている。
スターリンは1930年代、ウクライナで恣意的に起こした大飢餓(ホロドモール)で数百万人もの犠牲者を出した。
「ロシアとウクライナは一体」と手前勝手な「物語」をでっち上げて侵攻を開始したプーチン氏だが、ロシアの残虐さに対するウクライナ民族のどす黒い記憶と歴史的嫌悪感は最早、いかなる独裁者の暴力でも消し去ることはできまい。
そんなウクライナ人ゆえに、スターリンの日本に対する国家犯罪にも思いを致し、骨身に沁みて理解してくれているのだろう。
ソ連の国家犯罪といえば、もう一つ、39年前の1983年9月1日、サハリン(樺太)上空で日本人28人を含む乗員乗客269人の命を一瞬にして奪った大韓航空機撃墜事件を思い出す。
米ソ軍事対決の最前線、オホーツク海の真上の領空内に迷い込んだとはいえ、平時、しかも丸腰の民間機にソ連防空軍機は2発のミサイルを発射したのだ。人命無視の非道極まる蛮行という点でウクライナ侵略と何ら変わりはない。
当時のクレムリンの主はKGB(国家保安委員会)の議長を15年間も務めたアンドロポフ書記長だ。KGB後輩のプーチン氏が尊敬してやまない秘密情報機関の中興の祖だ。その書記長の下、当時のグロムイコ外相は事件から1週間後、国際会議の場でこう嘯いた。 「やがて世界は(事件のことなど)忘れ去るだろう」
これほど西側を見くびった放言はなかろう。外交評論家の井上茂信氏は「自由主義社会の弱点は健忘症だ」と警鐘を鳴らした。
ウクライナのゼレンスキー大統領も日本に避難してきた著名なバレエダンサー、ペトレンコさんらも口を揃えてこう訴える。
「私たちの国で起きていることを決して忘れないでほしい」と。
戦争の長期化による物価高や食料危機などで世界的に「ウクライナ疲れ」が囁かれている。
だが、ウクライナ侵略は冷戦後の国際秩序を根底から破壊する暴挙だ。「プーチン氏に絶対に勝たせてはいけない戦争」であることを決して忘れまい。
教育でウェルビーイングを!
(全日本教職員連盟委員長)
前田 晴雄氏
ウェルビーイング(well-being)という言葉が人口に膾炙(かいしゃ)している。教育界においては経済協力開発機構(OECD)が定義した「生徒が幸福で充実した人生を送るために必要な、心理的・認知的・社会的・身体的な働き(functioning)と潜在能力(capabilities)」(「PISA2015調査国際結果報告書」)との意味で用いられ、中央教育審議会「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して(答申)」(令和3年1月26日)等においても言及されており、重要なキーワードとなっている。
全日本教職員連盟としても、教育に携わる我々こそ子供たちのウェルビーイングを実現させる主体であると考え、その実現を最上位目標として活動を展開している。
しかしながら、ウェルビーイングの実現、つまり幸福実現のために教育を行うことは当たり前であるのに、なぜ今あらためてウェルビーイングの重要性が指摘されているのか。これは社会環境の変化によって、幸せの定義及び必要な能力等が変化し、これまでの教育ではウェルビーイングの実現が困難になっているからに他ならない。
それでは、ウェルビーイングの実現のため教育はどう変わるべきなのであろうか。そのキーワードは「個別最適な学び」と「協働的な学び」である。これも中教審答申で示された言葉であるが、この言葉がこれから教育変革を進める上での鍵となると考えている。
これまでの教育は、同じ年齢集団が同じ教室で同じ内容の知識をいかに効率よく学ぶかということに主眼が置かれていた。結果的にはこれがいわゆる事実的知識をより効率的に身に付けることができる最も有効な手段であり、幸せへの近道だったのである。しかし、社会が多様化するとともに価値も多様化し、正解がない社会の中では、事実的知識さえも揺らいでいる。さらに社会の多様性は同時に子供の多様化を生み、子供の関心・意欲や特性等は千差万別である。このような状況の中で、それぞれにあった学びを、我々がコーディネートすることや、自らデザインして学ぶことができる力を育成することが重要となる。これが「個別最適な学び」である。
そしてもう一つが「協働的な学び」である。「個別最適な学び」によって身に付けた知識を、経験と結び付け概念的な知識へと進化させることや、他者の知識と比較・考量した上で価値判断・意思決定する等の学びである。また学校という小さな社会において、共に学び、時にぶつかりつつも折り合いをつけたり、お互いの良さに気付いたりすることができる力も、この「協働的な学び」によって身に付けることができる。さらに、この「協働的な学び」は、自己実現や成長、更には他者への理解や感謝といった、心情的な面で幸せを感じることができるため、よりウェルビーイングの実現にとって重要な学びとなる。
一人一人に応じた学びを見極め、場や方法を提供すること、そしてそれぞれの学びで得た知識等を用いて、協働的に学ぶ場面や到達目標等を設定すること。これらにより子供一人一人の多様な幸せ、ウェルビーイングを実現するための力の育成につなげることが、我々に課せられた使命であることを自覚し、これからも全力で教育に携わっていく。
インターネットの進化と地域活性
(一般社団法人ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構理事長)
小川 正人氏
前職のANA総合研究所会長時代から地方の活性化に取り組んでいる。
当初は、ケースバイケースで各地の要望を伺って対応していた。中でも要望が多かったのが、各地の自慢の農海産物を東京、大阪の大市場に売出し、出来れば輸出もしたいと言う事だった。しかしながら地方の食材は、旬の時期や量が限られている。逆に既存の流通市場は、ある程度の規模と年間を通じた安定的な供給が求めている。このような事情で、大消費地へのアクセスも輸出も困難だった。
また、地方には、家族経営の10室〜20室の小規模だが、珠玉のような温泉旅館が点在している。しかしながら、従来型の旅行会社は、利益を追いかけているので、規模の大きい旅館を好むから、小規模旅館は、余程の付加価値がなければ、取り上げて貰えなかった。
このような地域の状況は、インターネットが進化するにつれ、様変わりしようとしている。
私も正に逆転の発想を持った。地方の食材の輸出が難しければ、逆に旬の時期に食べに来てもらえばよい。既に5年目を迎えるが、ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構の事業として、全国に約3000ある温泉地を拠点として、ウォーキングをしながら、その地域ならではの食、酒を楽しむONSEN・ガストロノミーウォーキングを実施している。
コロナ禍の休止期間を挟んで、北は北海道から南は沖縄、台湾等80か所以上で開催し、既にのべ約2万人の方にご参加頂いた。ONSEN・ガストロノミーウォーキングが、ユニークなコンテンツとしてその地域の食、酒のショーウィンドウになればと考えている。
インターネットは、情報に誰もがアクセスする事を可能にすると同時に中間のプラットフォームをとことん排除する特性を持つ。かつて観光地や旅館の客室の情報は旅行会社が独占していたが、今では、フェイスブックやインスタグラム等でだれもが収集可能である。また、口コミ情報等を参考に予約や決済もまたスマホからでも簡単に可能である。
現代のマーケティングは、「P」to「P」の時代と呼ばれている。
インスタグラム、ユーチューブ等SNSの情報が最も尊ばれ、口コミの評判を見て、行き先を決める。ONSEN・ガストロノミーウォーキングもほとんどの方がフェイスブック等を参考に地域の食や景観を楽しみに参加を決めている。
前述した地方の小規模旅館にもチャンスが訪れている。インターネットによって世界に直接訴えかければ良いのだ。例えば、20室のそのような規模の旅館なら世界に何十億といる消費者の中から、千人でも繋がることができたら、十分に経営が成立つ。極端な特徴がなくてもハートウォーミングなホスピタリティだけでも十分にセールスポイントになる。
飛騨高山の老夫婦が営んでいる旅館は、ご夫妻の暖かい人柄に惹かれて若いイタリア人旅行者のたまり場のようになっている。また、奥飛騨平湯温泉の若主人が営む十数室の洋風旅館は、素晴らしい温泉とご主人の手料理が好評で、ネットで見たという外国人がふらっと現れて一週間読書や散策をして過ごす事もあるいう。
日本のそれぞれの地方が、特色ある絶景はもとより、多様な温泉、食、酒、といった特色を存分に磨いて発信する。そして世界の人と繋がり、デジタル社会のストレスを癒しに来て頂く。現代は、インターネットによって世界の何処にいても仕事ができる時代である。世界のトップクリエイターが日本の温泉地に長期滞在して仕事をする時代はすぐそこに来ている。
少年の日の夏
(日本民俗学会会長)
川島 秀一氏
私の少年時代の夏は、母親の実家が舞台であった。岩手県の千厩町(せんまやちょう)(現一関市)である。母は一人娘だったので、実家にはイトコも居らず、私たち兄弟だけが、母方の祖父母を独占できた。夏休みが始まると、宮城県の気仙沼から千厩にやってきて、母はわれわれを祖父母に預けてから、我が家へ戻っていった。
夏の一日は、家のそばを流れていた千厩川での川遊びから始まった。夕方は、家の前の庭を行ったり来たりするオニヤンマを、竹ぼうきを持って待ち続けた。ほうきで、たたき落とし、虫カゴに飼うためである。橋の欄干の灯火に集まるカブト虫も、夜中にそっと忍び寄って採集した。虫カゴをそばに置いて寝ていたので、そのガサガサする音や、その手にしたときの匂いまでも覚えている。
夏の食べ物の記憶も、この千厩でのことが多い。井戸水で冷やしておいたキュウリは、味噌を付けて頬ばった。スイカには塩を、トマトには砂糖を、かけて食べたような気がする。祖母がキミと呼んでいたトウモロコシにも、かぶりついた。口に入れると吹き出してしまうことが多いコウセン(麦こがし)も、砂糖を混ぜて食べた思い出がある。
祖父は千厩の町のカナグツ屋(馬蹄師)であった。一緒に寝ていたはずの祖父が、未明にはいつのまにか床にいなかった。朝早くからカナグツを打つ音と、馬の爪を焼く匂いとが、母の実家に流れていた。
この千厩の町には、チョウチン取りと呼ばれていた、子どもたちの特異な盆行事もあった。その盆までの一年間に家族を亡くした家では、「初盆」と称して、8月15日には、秋田の竿燈のように、竹の木に数多くのチョウチンを付けて火を灯し、家の前に立てる。その夕べ、時を待って家の主人が竹を倒すと、子どもたちが群がって、チョウチンを奪い取るのである。もちろん、数多く取ることも自慢になったが、この竹の先端に灯っていた、ひときわ美しい岐阜チョウチンを手に入れることも、ひとつの誇りであった。
「千厩のフンドシ町」と言われた、一本のメインストリートのあちこちに、このチョウチンを灯した竹が立った。子どもたちは、その一本一本を気にしていて、どこかの竹が傾き始めれば、いっせいに、そちらへ走っていった。私の祖父が亡くなった翌年の夏には、家の前にも立たせることになった。
夏祭りや盆踊りには、祖母は必ず、われわれにも、ユカタに着替えさせ、帯の後ろにウチワを挟んで戸外へ出させた。その澄んだ夏の夜の匂いも忘れられない。
これらの夏の食べ物や盆行事は、誰に食べさせるためでもなく、誰に見せるものでもなかった。その生活者の中で自足して生きられてきたものであり、そこに価値があった。
それがいつからか、この〈日本〉では、「町おこし」や「村おこし」、「活性化」などと呼ばれて、外から人を呼び込み、お金を落とさせることにやっきとなるようになった。そこに広告会社などが加わってイベンドが演出され、食文化や年中行事は、見世物に変化した。
過度な情報に振り回されることなく、社会の生活や文化が、そのままで生きられていることの価値を、もう一度われわれは見据えなければならない時代にさしかかっているのではないだろうか。