Coffee Break<週刊「世界と日本」2230号より>
コロナ感染拡大とロシア・ウクライナ戦争で変わる水産業
北海学園大学 経済学部教授
濱田 武士氏
《はまだ たけし》
1969年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院修了、東京海洋大学准教授を経て、2016年より北海学園大学経済学部教授。著書に『魚と日本人 食と職の経済学』(岩波書店、水産ジャーナリストの会大賞、辻静雄食文化財団 第8回辻静雄食文化賞)、共著『漁業と国境』(みすず書房)等。
温暖化による気候変動、それに加えて2020年2月からの新型コロナウイルスの拡大、そして今年2月24日から始まったロシア・ウクライナ戦争。これらの影響を受けて、水産業を取り巻く環境は大きく変わってきた。
コロナ禍以前はインバウンドの効果で水産物においても観光需要が成長する一方で、家庭内消費は長期的に減少し、底を打ったような状況であった。それが新型コロナ感染拡大で一転したのであった。コロナ禍では外食・観光需要が激減した一方で、家庭内需要が増加した。政府による国民への行動制限措置が行われたことによる。これで食品スーパーでの水産物販売が絶好調となった。それだけではなく通信・無店舗販売(生協などの宅配事業、アマゾンや楽天などのプラットホームなど)も飛躍的に拡大した。コロナ禍の中で家庭内需要に対する新たなビジネスモデルが台頭した。
この間、大きく変わったのは外食や観光事業者に向かっていた高級な魚介類であった。それらが食品スーパーや通信・無店舗販売の商品として売れ筋になったのである。ただし、それらは外食・観光需要から溢れたものであり、手頃な値段に落ちこんだから売れたのであった。
今年になっても新型コロナウイルスの感染拡大と収束が繰り返され、直近の第7波では1日の新規陽性者数が過去最大を記録するなど感染規模はより大きくなっている。ただし、厳しい行動制限が伴う緊急事態宣言などが発出されていないことから、今年の夏に向けて外食・観光需要は徐々に回復し、昨年まで好調だった食品スーパーでの水産物販売は落ち込み元に戻りつつある。
コロナ・ショックの影響は弱まりつつある。しかし、ロシア・ウクライナ戦争の勃発で次のステージに入った。日本を含む西側諸国によるロシアへの経済制裁措置やロシアの対抗措置の影響による新たな国際経済への移行、急激な円安基調という為替環境である。
円安は輸入価格が上がり、物価上昇をもたらすが、輸出部門にとっては好機である。中国輸出が多いホタテガイ、ナマコ類、東南アジアで缶詰原料になるサバ類、マイワシなどの産地価格は上昇傾向が続いている。日本漁業の全体を見渡すと、まだまだ内需向けに生産されている魚が多いが、日本の水産業はアベノミクスが始まって以来円安が誘導されたため外需への依存度が高まっている。輸出の拡大は生産者にとって悪いことではないが、行き過ぎれば国内の消費者に魚が行き渡らなくなることになるため、深刻化している魚離れ傾向を助長する可能性があり、要注意である。
他方、輸入においては対ロ貿易が気になるところである。サケ類、カニ類、イクラ・タラコ・数の子などの魚卵類、ウニなどロシアからの輸入高級水産物については、経済措置による関税率の見直しや円安基調が続き、マーケットでは高値推移しているが、実は輸入は減らなかった。むしろ増えた。
その原因はいくつかある。関連する魚種が国内で不漁であることと、アメリカがロシア産水産物の禁輸措置を執っていてロシア産のカニ類やサケ類を中心に買付競争が弱まっていることである。また国民感情としてもロシアに対する批判は強いが、当初兆候があったロシア産に対する不買運動は強まらなかったことである。日本の水産物市場においてロシア産の依存度が高いということが証明されてしまった。
ただし、ロシア水域と関わる漁業種は厳しい局面となっている。日ロの関係悪化のなかでいくつかの交渉(日本EEZ内ロシア系サケマス漁業交渉、貝殻島昆布漁業交渉)は妥結に至ったが、ロシア水域で行うサケマスひき網の試験操業の交渉については(おそらく拿捕リスクが高まっていることを懸念して)日本政府が断念し、北方四島内の貝殻島の昆布漁業では、ロシア警備艇による臨検件数が昨年の倍以上になっており、漁業者らは安心して昆布漁を行えない状況になっている。
日ロの関係悪化の影響はサンマ漁業にも及んでいる。日ロ地先沖合漁業協定の下で日本のサンマ漁船は一定の手続きを踏めばロシア水域に入漁できるが、入漁条件であるロシアの民間の監視船に支払う送金ルートがなく入漁許可がとれない状態である。10月以後、ロシア水域にサンマ漁場が形成され、入漁できる状態になったとしても、ロシア警備艇による拿捕のリスクはいつもより高いとみられていて、ロシア水域に出漁するかどうかはわからないという状況である。昨年5月、ロシア警備艇が稚内沖の日本水域で操業していた稚内の底曳網漁船を拿捕するという事件が起こっただけに、警戒せざるを得ないのである。
近年、サンマ資源が低迷期に入って年間の漁獲量が過去最低値を記録し続けている。そのサンマの漁場は日本EEZから遠く離れた公海水域に形成されている。その漁場を台湾、中国、韓国の大型漁船が占拠している。日本漁船はそこで漁獲できても公海漁場は遠隔地にあることから鮮度の高いサンマを出荷するために満船でなくても漁を切り上げて漁港に戻らなければならない。加えて円安により燃料価格が高騰している。この状態をサンマ業界がどこまで耐え凌ぐことができるかが気がかりである。
ここ数年、旬の時季にスーパー・マーケットでサンマを見かけても、越年在庫を解凍したものばかりで、凍結をしていない鮮魚があったとしても消費者にとっては高価で手を出しにくいものになっている。サンマが不足している分は、マイワシや養殖魚などの他の魚が補っている。養殖サーモンは特に目立つ。消費者はそれに慣れて秋の旬を代表するサンマを忘れてしまうのではないか。今、サンマ漁業は危機の中の危機にある。
現在の有事が今後どう推移するかはわからないが、これを教訓に備えとして食糧安保と漁業環境の保全という両面から水産政策を見直すことが必要ではないだろうか。