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    Coffee Break<週刊「世界と日本」2236号より>

    豊かな海と生きること

    日本カツオ学会会長

    川島 秀一 

     《かわしま しゅういち》 1952年宮城県気仙沼市生まれ。法政大学社会学部卒。文学博士。東北大学附属図書館、気仙沼市史編纂室、リアス・アーク美術館、東北大学教授などを経て、現職。専門は海洋民俗学。著書に『魚を狩る民俗—海を生きる技』(三弥井書店)、『津波のまちに生きて』(冨山房インターナショナル)など多数。

     亀の甲より年の功、といったところなのだろうか。あるいは、単に楽しそうに見えるせいかもしれない。「元気のでる講演を」とかいう依頼をちょうだいすることがある。なんやねんそれはという気がしないでもないが、喜んでお引き受けする。

    福島県南相馬市烏崎の神輿の浜下り ©️川島秀一
    福島県南相馬市烏崎の神輿の浜下り ©️川島秀一

    海との多様な関わりかた 

     

     私が今、居住する福島県の浜通り地方には、他の地方と同様に、神輿の浜下りの習俗が伝えられている。コロナ禍で休止をしているところがあるものの、現在もなお、祭日には海に下りて、神輿もそれを担ぐ六尺も潮を浴びる行事が健在である。祭日に潮を献上するだけの行事を加えるとすれば、100を越えるだろう。浜下りをするご神体自体が、遠くの海より流れ着いたという漂着神の伝承を縁起とするところも多い。

     潔斎(けっさい)は神輿だけではない。福島県新地町の漁師さんに聞いたところ、わが子が産まれるたびに、翌日の朝には素っ裸で海の潮を浴びてきたという。現在でも漁に携わる者は「産忌(さんび)」を嫌うが、昭和の時代まで、海の水で浄めていた。海はそれほど浄められていなければならず、それは「科学的」に清浄であるということではなく、心の問題として海は浄められていなければならないものだからである。

     また、恵みを与える海は一方では、自然災害や海難事故で、人びとの命を奪う海でもあった。海で亡くなった人の魂は、今でも海に留まっており、東日本大震災の命日が来るたびに、海に船を出して、遺族が船上で両手を合わせるところがあるのも、そのためである。

     それは海難者にかぎらず、われわれの先祖の魂が海の向こうに住むとも考えられた。日本各地で、盆になると、盆船を海に流す行事が多いのも、そのためである。

    福島県南相馬市烏崎の浜下りでの潮の献上 ©️川島秀一
    福島県南相馬市烏崎の浜下りでの潮の献上 ©️川島秀一

     

    豊かな海に流すもの

     

     民俗行事として海に流すものは盆船だけではなかった。虫送りなどの厄払いのために作った船も、やはり海に流された。「産忌」の厄と同様に、海で浄められることを望み、厄は遠い世界へと流されるからである。

     海が、人間が避ける厄を浄めてくれ、遠くへ移動させてくれるという考えかたは、現在、原発事故で生じたトリチウムなどの処理水(汚染水)を海洋に放出させることにもつながっている。いかに「科学的」に多くの審議が重ねられたとしても、所詮は、日本人の「海」に対する甘えから生じたものである。

     政府と東電は、それが「厄」ではなく、人間にとって「安全」になるまで水で希釈した「科学的」な根拠をもつ状態のものを流すと標榜している。しかし、たとえば、塩分摂取を控えている者が、ラーメンを食べた残りの塩辛い汁を呑んではいけないと注意されたので、お湯を加えて薄めてから全部呑むようなものと、それは変わりないのではないか。水に溶解できないものは、薄めても「毒」は毒である。なぜ、この汚染物質だけが、海に対して「総量規制」ではなく「濃度規制」で済ませているのだろうか。しかも、人間以外の海洋生物にとって、プランクトンも含め、「安全」であるのだろうかと、素朴な疑問は積み重なってくる。とても「SDGs」に浮かれきっている国の仕業とも思えない。

     また、他国のように通常操業で流されるものと違い、東日本大震災という自然災害と人災によって生じた汚染水であり、トリチウム以外の汚染物質が含む可能性も指摘されている。放射能汚染という、目に見えない災害に対する恐怖感は、新型コロナウイルスの感染流行後に、さらに強まっている感がする。

    福島県浪江町請戸の安波様の浜下り ©️川島秀一
    福島県浪江町請戸の安波様の浜下り ©️川島秀一

     

    海の恵みの受け入れかた

     

     海が「水産資源」だけを提供するものではなく、人間と多様な関わりがあることを先に述べたが、トリチウム水を海洋放出した後、漁業者などへの「風評」対策だけで、この問題は済むことではない。わが身のリスク管理だけを優先する昨今の行政にふさわしい仕事ぶりだが、「実害」があった場合をすり替えて、「風評」だけを論じている。

     公害に対する住民運動が盛んであった一九七〇年代に、兵庫県の高砂から提唱された「入浜権」運動は各地に広がったが、なぜこの運動が衰退されたかも含めて、今、考えていかなければならない権利である。漁業者などへの補償金で済む問題ではないからである。

     しかも、その補償のありかたは、「風評」を数値化した後、売れなくなった魚を政府が買い上げて冷凍保存をするという計画である。

     1954年、ビキニ環礁でのアメリカによる原爆実験で被曝した第五福竜丸事件の後、「汚染マグロ」という風評被害でマグロが売れなくなったときがある。そのマグロを市場に出さずに銚子沖に投棄するとき、それを捕った漁師たちは「ああ、息子を捨てるようなものだ」と嘆き悲しんだ。また、水俣病で生じた「汚染魚」は、ドラムカン2500本に入れて、水俣湾の埋め立てに使用された歴史がある。

     一度も人の口に入らない魚を捕り続けるほど、漁業者の尊厳を傷つけることはない。カツオ一本釣り漁では、船から陸(おか)への水揚げに際し、機械の下などに隠れたまま見逃されたカツオのことを「寝ウオ」などと呼び、その後に不漁になる兆しとして嫌っている。それを発見したときは、必ず包丁を入れ、手でちぎったりしてから海に投ずる。神様から授かった魚を、そのままにして海に戻さずに、人間の手を加えたことにするためである。

     負の歴史は繰り返されてはならない。予定では、今年の春、トリチウム水が福島の海に流される。豊かな日本の海とそこに生きる人びと、そして、そこで生命がよみがえるのを感じる人びとにとっても、大きな曲がり角を迎える年に突入した。

     

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