Coffee Break<週刊「世界と日本」2244号より>
世界遺産と日本の力
—京都・奈良が人類の未来に果たす使命として—
元文化庁長官
国際ファッション専門職大学学長
(一社)人文知応援フォーラム 共同代表
近藤 誠一氏
《こんどう せいいち》 1972年外務省入省。広報文化交流部長を経て、2006年からユネスコ日本政府代表部特命全権大使。08年よりデンマーク大使。10年より13年まで文化庁長官を務め、三保松原を含めた富士山の世界文化遺産の登録を実現。現在、近藤文化・外交研究所代表、東京都交響楽団理事長、TAKUMI-Art du Japon代表理事などをつとめ、19年4月国際ファッション専門職大学学長に就任。
「政府の政治的及び経済的取極のみによる平和は、〈中略〉永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、〈中略〉人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない」 (ユネスコ憲章 前文より)
人類はいま深刻な危機に陥っている。気候変動、ウクライナ危機に端を発する国際関係の揺らぎ、そして新型コロナの蔓延(まんえん)である。
だがこれらは決して新しい問題ではない。過去に発生した類似の問題が、かたちを変えて表出しているに過ぎない。そしてその根源にはいつも同じ問題が横たわっている。人間の止めどなき欲望と傲慢(ほうまん)さ、それがもたらす自然破壊や民族間の抗争、主権を盾にした国家の横暴、富の偏重など、人類に古くからつきまとってきた課題だ。人類はこれまで戦争、貧困、飢饉(ききん)など目に見える問題をすべて処理したと思い込んで来た。しかし実はこうした根本的問題を何一つ解決しないまま、その場凌(しの)ぎの対策で眼前(がんぜん)の危機を回避してきたに過ぎない。だからこそ、また問題が新たな形を取って表出しているのだ。
しかし温暖化がいよいよ限界に迫り、核戦争のリスクが高まるなど問題のマグニチュードが途方もなく拡大した現在、従来通りの対症療法を繰り返すだけで済ますことはあまりに危険である。底流にある上述の問題をひとつひとつ解きほぐして行かなければ、レベッカ・コスタが『文明はなぜ崩壊するのか』で指摘しているように、何らかのきっかけで文明全体が音を立てて崩れることになりかねない。そのような段階に来てしまったのだ。
必要なのは土壌の改良
温暖化や紛争の処理について、人類は多くの知見と技術を蓄え、政治制度や経済運営の改革を重ねて来た。足りないのはその制度の実行を妨げている上述の根本的問題(欲望、民族主義、国家主権)に本気で対処する意欲である。
文明と人類の関係を花壇に例えよう。人類社会という花壇に、平和、民主主義、繁栄という花が植えられている。それらの花が生命力をもって美しく咲き続けるために、これまでわれわれは理念体系という水をやり、テクノロジーを駆使した化学肥料や農薬によって栄養を与え、害虫を駆除してきた。それにも拘わらず花は弱り始めた。花に撒いた農薬が人間という土壌に染み込んで地味(ちみ)を劣化させている(つまり人間がテクノロジーを使って欲望達成に走っている)からである。花を元気にする根本的対策は土壌を浄化すること、つまり人間の行動を正すことである。冒頭引用したユネスコ憲章の一文は、このことを示唆している。
それを可能にするのが、ひとりひとりの共感力であり、それを養う最も効果的手段が文化芸術であることはこれまで機会ある度に述べて来た。文化芸術や共食(きようしよく)による共感力の強化が、グループの拡大を可能にし、ひ弱な人類に生存能力を与えたという歴史を想起すべきである。
文化と世界遺産
では人間という土壌を肥やし、世界の花壇の花を元気に咲かせるにはどうしたら良いのか。それは自然への畏敬の念をもち、二元論を避けて中庸(ちゅうよう)や調和を重んじる日本の精神文化の拡大であり、それを体現したさまざまな文化財や生活習慣の評価の拡大である。取り分け世界が理解しやすいのが、ユネスコに登録された有形および無形の世界遺産である。
それは寺社などの建築、庭園、茶の湯、祭りなど極めて豊富である。そしてそれらの価値を世界に広める力を持つのが、古都京都と奈良であることは言うまでもない。京都には17件、奈良には8件の世界遺産がある。しかし京都や奈良の価値は遺産の数や種類の豊富さだけにあるのではない。これらの有形・無形の文化遺産が、地域に住む人々の生活にしっかりと組み込まれていることである。そこに1200年にわたってこの2都市が日本の政治・経済・文化の中心であったという他にはない歴史の重みがある。これらが内包する日本の精神文化を改めて人々の行動に反映させる工夫が必要である。
文化とは生活のスタイルであり、思考・行動の基準をなすものである以上、物見遊山で訪問し、インスタで記録して友達にばらまくだけでは身に付かない。できるだけ長くその地に滞在し、地元の人びとの暮らしの中に見える朝の挨拶から、玄関前の掃除、庭木の手入れ、床の間の花や掛け軸を整え、一服のお茶を点(た)てて進めるという、何気ない行為にこそ、その地域の文化が染み込んでおり、それに接する者に静かな感動を与える。それが積もり積もって、その人の行動変容につながる。それがその家族や社会に徐々に広がっていくうちに、あるところで臨界点に達し、自然と人間に優しい行動を促し、やがてそれが政治や経済の運営にも影響を与えていくであろう。
気の遠くなるような時間がかかると思うかも知れない。しかし情報の流れの速度が質的に加速され、多くの一般人がSNSに容易にアクセスできる今日においては、わずかなメッセージが、人類がもともと持っていたが文明の下で眠っていた自然観や共感力を呼び起こし、行動に反映される可能性は十分高まっている。
1200年の実績のある京都・奈良の歴史と文化財の価値は、ユネスコが期待する「知的、精神的連帯」を世界に広め、「課題先進国」たる日本の役割を果たす上で極めて貴重な財産であると言えよう。それらを単に観光資源として見せるだけではなく、人類の未来にとっての価値を伝えるツールになるように、説明、ナラティブ(語り手が紡ぐ話)の工夫をすべきであろう。
京都・奈良が世界遺産を活用して、未来の人類のあり方についての指針となるような仕組みと環境を整えていくことが、ユネスコの本来の目的達成と、日本の課題先進国としての重要な役割り達成につながる。先ごろ実現した文化庁の京都移転は、こうした世界遺産の活用の契機にすることができる。文化庁のみに任せず、社会全体がこの方向で思う存分働けるように、地元も国も積極的に支援していくことが、日本の力を世界の未来に生かす第一歩なのである。