Coffee Break<週刊「世界と日本」2261号より>
大谷翔平の「憧れるのを、やめましょう」を考察する
千葉商科大学
国際教養学部准教授
常見 陽平氏
《つねみ ようへい》 1974年生まれ。北海道出身。一橋大学商学部卒業。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。㈱リクルート、コンサルティング会社等を経てフリーに。雇用・労働、キャリア、若者論などをテーマに執筆、講演に活躍中。千葉商科大学国際教養学部専任講師を経て現職。
それにしても、大谷翔平である。彼のことを書こうと思ったら、12月10日ドジャースへの移籍決定、過去最高額となる10年間1015億円での契約が発表された。日本だけでなく、世界的な大ニュースとなった。ちょうどこの日の朝、起床すると大谷ドジャース移籍を伝える数々のニュースサイトからの通知がスマートフォンに届いていた。テレビをつけると、ニュースでは現地の特派員が興奮気味に伝えていた。SNSも歓喜、称賛の声、一色だった。
まるで、「週刊少年ジャンプ」の人気連載マンガを読んでいるようだ。私の大谷評はこれにつきる。花巻東高等学校で活躍した後、2013年にドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団した。このドラフト時にも、メジャーリーグも視野に入れて考え、迷った末に国内の球団を選んだ。その後は投打の二刀流で、数々のタイトルを総なめにしていった。プロ入り2年目の2014年には、プロ野球史上初の10勝&10本塁打を記録した。3年目の2015年には、最多勝、最優秀防御率、最優秀勝率の投手三冠王を獲得した。16年には10年ぶりのチーム日本一に貢献し、MVPを獲得。しかも、投手とDHでベストナインに選出された。2018年にはエンゼルスに移籍し、アメリカでも二刀流で活躍。いきなり新人王を獲得した。その後も、シーズンMVPを2回、シルバースラッガー賞を2回、最多本塁打王を1回、コミッショナー特別表彰を1回獲得している。日米通算1000奪三振、さらには、1918年のベーブ・ルース以来の快挙となる2桁勝利&2桁本塁打を達成している。さらに今回の、過去最高額の契約金である。
もう規格外だ。まるで、90年代の「週刊少年ジャンプ」を読んでいるようだ。努力・友情・勝利そのものだ。いや、強さのインフレだ。『DRAGON BALL』などの作品を読むたびに、今までは何だったのだろうと思うくらいに、敵も主人公も強くなっていったのだが、大谷翔平自身がジャンプ漫画の主人公のようだ。あまりに痛快で、大谷翔平という名前を聞いただけで笑顔になってしまう。
一方、従来のプロ野球選手像ともまた異なる。選手としての強さ、規格外の活躍を見せつけられるものの、昭和、平成のスター選手のように、輸入車を乗り回す、豪遊するなどの光景が、面白いくらいに想像がつかない。心底野球が好きで、夢を追い、それを現実にかなえている様子が痛快だ。好感しかない。実際、世界中で、地球上で愛されている。今回のドジャースへの移籍も、世界中が拍手喝采だった。涙するものもいた。
その大谷翔平の、あの名言について考えたい。第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)試合前の声出しだ。大谷翔平は試合前にチームメイトにこう語った。「憧れるのを、やめましょう。今日、超えるために、トップになるために来たんで。今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう。さあ、行こう!!と。これまた、ジャンプ漫画のような名台詞だ。「海賊王に、俺はなる!」「諦めたらそこで試合終了ですよ」「我が生涯に一片の悔い無し」に負けない名台詞ではないか。日本の、いや世界の野球において、歴史に残る名言だ。その試合もまた、まるでジャンプ漫画のようだった。最後に大谷が投げ、三振を奪った瞬間、夫婦で抱き合って喜んだ。私たち夫婦は野球に熱いわけではない。ただ、明らかに大谷の発言、そしてあの試合は感動に満ちていた。
この「憧れるのを、やめましょう」という言葉の意味を噛み締めたい。これは、我が国がいま、向き合うべき言葉ではないだろうか。言うまでもなく、野球は戦前、アメリカから入ってきたスポーツである。日本におけるプロ野球は戦後の希望だった。各地に野球チームができた。その時代を象徴するような企業がチームのオーナーになった。数々の名選手が誕生した。
一方、このスポーツを論じる際に、ときに問題となるのは、野球なのかベースボールなのかという点だ。日本の野球は戦略性が足りないのではないか、精神論に走りすぎなのではないか、選手の力がメジャーリーグに比べて劣っていないかなどだ。このような指摘は当たっている部分もある。実際、メジャーリーグは合理性の象徴だ。世界中から実力のある選手をかき集めている。球団経営も合理的で、試合以外でも収入が入るようにビジネスが設計されている。実際、メジャーリーグには日本選手が憧れるような選手も多い。
大谷のあの発言の解釈は様々だ。日本代表を鼓舞するために、この上ない台詞だ。ただ、それだけではなく、実は情熱的な言葉のようで冷静な一言とも言える。というのも、日本代表といいつつ、世界オールスターになったように、日本人選手は日本でも世界でも活躍しているのだ。そして、体格ではいまだに負けるかもしれないが、とはいえ、優れた選手が生まれているのだ。地球上で最高の契約金を手にした大谷はその筆頭だろう。実は漠然とした「欧米すごい論」が跋扈(ばつこ)していないか。「日本人は体格で劣っている」と思い込んでいる中で、実は世界が憧れる日本人選手はすでに生まれているのだ。
大谷の一言は、ビジネスパーソンこそ噛み締めたい言葉だ。平成元年に時価総額ランキングトップ50に日本企業は32社入っていた。いまは、トヨタ自動車だけだ。GDPも後退気味でドイツに負けることが確定的になった。ここで虚勢をはるつもりはない。ただ、海外企業に劣っているという思い込みだけでは何も生まれない。大谷がそうであるように、実はすでに勝っている点などはある。大谷が、そして音楽ではYOASOBIやBABYMETALが世界でブレークしたように、単に憧れるのではなく、実は勝っている点、優れている点を冷静に考えたい。二刀流がそうであるように、日本だから生まれた何かを直視したい。
健全な危機感は持つべきだ。ただ、自虐的な視点だけではなく、希望も持ちたい。大谷の規格外の活躍を、我々が実現できるかどうかはわからない。ただ、この憧れるのをやめてみるという視点で、自分たちを客観視し、何かを生み出そう。