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    Coffee Break<週刊「世界と日本」2273号より>

    映画『オッペンハイマー』を観て

    — 虚妄の原爆正当化論との訣別 —

     

     

     

     

     

    国際日本文化研究センター

    名誉教授

    笠谷 和比古 

     《かさや かずひこ》 1978年京都大学大学院史学科修了。96年国際日本文化研究センター研究部教授、2015年同所定年退職 名誉教授。この間、ベルリン大学、北京外国語学院、パリ大学などの客員教授を歴任。NHK「その時、歴史が動いた」や「BS歴史館」「英雄たちの選択」などにもコメンテーターとして出演。著書に『武士道の精神史』(ちくま新書)、『徳川家康』(ミネルヴァ書房)、『論争 関ヶ原合戦』(新潮選書)などがある。

     映画『オッペンハイマー』を観た。秀逸の出来栄えであった。アカデミー賞13冠を獲得したというのもうなずける。映画はこのテーマにかかわる純粋に核物理学の発達に関わる知的な解説の流れと、原子爆弾というモンスターの取り扱いをめぐる政治的な葛藤のドラマとを巧みに織り交ぜつつ、時空を往返しながらクライマックスへと展開していく。

     ウランの核分裂の現象を発見したデンマークのボーア、量子力学の大家にしてドイツにおける原爆開発の理論的指導者ハイゼンベルク、そしてマンハッタン計画の提唱者ながら原爆開発とは距離をおいていたアインシュタインら多彩な人物群によって、核物理学の発展の歴史が概観されていく。

     更にはこの物語の主人公であるオッペンハイマーという人物の人格内面に食い込むべく、フロイト、ユングといった深層心理学(それ自体、この現代科学世界の一郭を担う重要なピース)の手法を濃密に導入すると言った徹底ぶりであった。

     原作本における科学史と国際政治史の綿密な考究を踏まえて入念に制作された本作品は、映画芸術として傑出した作品であるとともに、現代アメリカにおける原爆問題をめぐる最高の知的到達点を示すものであると言って差し支えないであろう。

     そしてそれが故に、広島・長崎に対する原爆投下問題をめぐる議論を施すべき検討対象として、これほどふさわしいものは無いということである。

     

    映画における原爆投下の是非をめぐる議論

     本映画における原爆投下の是非をめぐる議論はどうであるか。まず、当のオッペンハイマーであるが、彼の口からはその罪悪性についての言葉は聴くことはできない。彼が原爆製造の倫理的罪悪を語るのは、かのプロメテウスの如く天上世界から火を盗んだに等しいものという、神に対する冒涜として、第二にはソ連などとの間で核爆弾の応酬による恐怖世界を作り出してしまったこと、の二点である。日本の民の大量虐殺については、せいぜい二万人ぐらいだろうと嘯いて省みるところはない。そして定番の、戦争を早期に終息させるために止むを得なかったので終始してしまう(映画では、戦後の共産主義者査問委員会の場において、広島の惨状をあげてオッペンハイマーを糾弾する形で、この倫理的問題が表現されている)。

     大統領トルーマン以下の政府の面々の論調も同様で、日本のどこに、どのように投下するかが話し合わされるばかりである。しかし歴史の実際を見るならば、アメリカ政府内では国務次官グルーたちが原爆投下に強く反対していた。陸軍長官スチムソンについては映画の中で、「京都ははずしてくれ、自分の新婚旅行の地だから」という発言がなされ、日本の観客の苦笑を買っているが、実際にはグルーとともに投下反対論者であったのだ。

     大統領のトルーマン、そして特に国務長官バーンズこそ、日本が告発せねばならない人物である。天皇制の保証さえ明示すれば日本は降伏するから原爆は不要と力説するグルーらに対して、無条件降伏の貫徹を目指すバーンズは、ポツダム宣言原案にあった天皇制保証条項を削除してしまう。

     ここから明らかな通り、原爆投下は戦争を終わらせるためのものではない。無条件降伏要求の貫徹という悪魔の飽食を実現する手段であったということだ。

     

    日本国内の動向

     一九四五年になるとB29による日本全土に対する空襲が常態化し、同年五月にはドイツが降伏したこともあって、戦争継続は不可能の状態となっていた。東条内閣は倒され、終戦の方途が模索されていた。そして七月に入ると、元首相近衛文麿らが中心となって終戦工作は本格化し、昭和天皇もまた積極的に行動することによって、近衛が講和特使に任命される。

     その講和内容は、天皇制の保証のみを条件とする英米側の要求の全面受け入れ、英米側への領土割譲としては千島列島その他の島嶼を候補とする。講和交渉の仲介役には、当時、日本が中立条約を締結していたソ連(ロシア)を頼むこと。ソ連が拒否した場合には、英米と直接交渉すること。

     そして、特使近衛文麿が昭和天皇の親書をたずさえてモスクワに赴くことが正式決定された。七月一二日のことであった。

     何という暗合であろうか、米国ニューメキシコ州における原爆実験成功の日、七月一六日(米国時間)と、ほとんど同時であったということだ。

     

    日本側終戦工作の行方

     近衛特使の派遣を決定した日本政府は、モスクワ駐在日本大使に対してその旨を打電し、ソ連政府側の特使受け入れの回答を求めた。しかしソ連は、すでに同年二月のクリミア半島ヤルタにおける会談において、米英と密約を締結しており(ヤルタ秘密協定)、それはソ連が日ソ中立条約を侵犯して日本に攻め込むならば、千島列島を与えるという内容であった。

     このためソ連側は、日本側の特使派遣の申入れに対しても、講和交渉の内容が不明であるなどと言を左右にして明確な回答を与えないままに引き延ばしをはかった。

     

    米軍による無線傍受と原爆投下

     この近衛特使の派遣をめぐる日ソ間の電信のやり取りは、米軍によって通信傍受され、日本が特使をモスクワに派遣して、ソ連仲介に拠る講和交渉を始めようとしていることが大統領トルーマンに伝えられた。だが、この決定的な情報は握りつぶされた。7月18日、トルーマンはドイツ・ポツダムでの会談で、ソ連のスターリンから「日本の天皇から平和を求める電報が来ている」旨を告げられるが、取り合わない(『トルーマン日記』)。彼は原爆実験成功の情報に有頂天であった。原爆がすべてを解決してくれる。

     一つには、日本に無条件降伏を飲ませるために。いま一つには、ソ連共産主義勢力に恐怖を抱かせるために。

     これが原爆投下をめぐる真実の歴史である。「戦争を終わらせるためには止むを得なかった」といった類の言説が、いかに空しいものであるか。それとの訣別のために、あえて一文を草した次第である。

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