Coffee Break<週刊「世界と日本」2273号より>
爽風エッセイ
華やかな祝祭の影で
尚美学園大学教授
佐野 慎輔氏
「Games Wide Open」―広く開かれた大会をスローガンに掲げて2024年第33回パリ・オリンピック、パラリンピックが幕を開ける。7月26日の開会式はなんと参加する国・地域の選手団が約180艘とされるボートに分乗、ノートルダム大聖堂前からパリの真ん中を流れるセーヌ川を6㌔に渡ってパレード。シャイヨ宮前のトロガデロ広場に降り立つとエッフェル塔を背景にセレモニーが始まる。
オリンピックの開会式はこれまで主会場となるスタジアムで実施されるのが常だった。1924年第8回大会以来、100年ぶりにオリンピックを開催するパリは伝統的な方式を破り、街なかで祝祭を催す。セーヌ川両岸には特設スタンドが設けられ、数々の橋の上では文化イベントを繰り広げる。新型コロナウイルス感染の余波をうけて無観客に終わった東京2020大会との差は際立つ。
開会式だけではない、いくつかの競技は競技場という閉鎖空間を飛び出す。例えばコンコルド広場ではスケートボードやパリ大会で採用されたブレイキン、バスケットボールの3×3など、エッフェル塔前の広場ではビーチバレー、アレクサンドル3世橋ではトライアスロン、ヴェルサイユ宮殿で近代五種と馬術が行なわれ、マラソンはパリ市庁舎前からルーブル美術館、オペラ座を抜けてヴェルサイユ宮殿を折り返す。ゴールはナポレオンの眠るアンバリット。パリの旧跡を紹介し、スポーツを街なかに取り戻す試みである。
こうした“画期的な試み”には不安がつきまとう。サイバーテロを含めたテロへの不安である。
2022年北京冬季オリンピック・パラリンピックの休戦期間中に起きたロシアのウクライナへの軍事侵攻には解決の糸口が見えず、パレスチナ・ガザ地区をめぐるイスラエルによる武装組織ハマス攻撃にも終わりがみえない。中東諸国のイスラエルへの反発が対ロシア、対イスラエルでダブルスタンダードを決め込むフランスにどのような形で牙をむくか。対処を誤ればオリンピックが新たな東西冷戦のきっかけにもなりかねない。
国内情勢では高い失業率と移民問題が影を落とす。とりわけ移民問題では2023年に起きた警察官によるアルジェリア移民の少年射殺に抗議する暴動が起こり、いまや緊張状態にあるイスラム系コミュニティの暴発も懸念される。
いかに安全を担保するか、フランス政府はフランス軍1万5千人、警察官4万5千人に加えて民間の警備員2万2千人を動員、EU各国に会期中の警備支援を要請している。
すでに「フランスを止める」を合言葉にパリの交通規制が始まり、開会式1週間前の7月18日から26日まで許可証のない住民、労働者、観光客の制限区域への立ち入りを禁止する。開会式1時間前にはパリ上空150㌔圏内の飛行禁止、シャルル・ド・ゴール空港など3空港の閉鎖も決めた。
マクロン大統領は「潜在的な脅威が発生した場合、開会式はプランB、Cもありうる」と話す。
華やかな祝祭の裏の影。創始者クーベルタンの提唱で近代オリンピックの創始と統括組織としての国際オリンピック委員会創設が決まったのは1894年、パリ・ソルボンヌの大講堂で開催したスポーツ会議だった。
あれから130年ぶりのパリ帰還はわれわれに「平和を希求する」オリンピック運動が分水嶺にあることを想起させる。