Coffee Break<週刊「世界と日本」2274号より>
爽風エッセイ
ゲテモノから至福の食べ物へ

ジャーナリスト・俳優
葛城 奈海氏
父が岩手県北上市の出身だった関係で、物心ついたころから盆と正月は岩手の祖父母宅で過ごすことが多かった。
ふだんの埼玉県所沢市での暮らしとは違って、食卓には祖父母が丹精込めて畑で育てた野菜とともに海の幸が存在感を放っていた。筋子なんぞ、一腹丸ごとを切ったものが出てくるので、心行くまで食べられて夢のようだった。
そんなある日、謎めいた一品が出て来た。キュウリと共に酢の物になった、得体のしれない柔らかく黄色っぽい食べ物……。おそるおそる口に入れると歯ごたえがあるようなないような独特の食感と香り、苦みが口いっぱいに広がり仰天した。「なんてまずいんだ!」。正直なところ、食べる人の気が知れなかった。
その謎の食べ物の正体は、ホヤであった。「海のパイナップル」とも呼ばれ、赤紫色の柔らかいがゴワゴワとした殻に覆われ、いくつもの突起がある外観は、なんともグロテスクだ。しかもそれが海底などの岩に固着しているというから、植物なんだか動物なんだか訳がわからない。ましてや「ホヤ貝」と呼ぶ人もあるが、まったく貝には見えない。漢字では、海鞘とか老海鼠とか書くが、海鼠(なまこ)の仲間ではないらしい。ますます意味がわからない。
謎が深すぎて調べてみると、なんと幼生はオタマジャクシのような形態をして泳ぐというから、もうお手上げです、はい。生物学的には「一生ないし一時期に尾部に脊索を持つ尾索動物」なんだそうです。
その謎に満ち満ちたホヤに出会ってから十数年の歳月が流れ、私もお酒を嗜むようになった。純米酒の肴に、再びホヤをつまんでみてあっと驚いた。「なんて美味しいんだ!」。世の中にこれほど日本酒に合う食材はないんじゃないかというくらいの衝撃的な食感と旨味だった。
それからの私は夏に岩手に行く毎に、ホヤを食べるのが楽しみでならなかった。基本は酢の物だったが、駅の売店で「燻製ホヤ」などを見つけようものなら、迷わず買ってニンマリしながら舌鼓を打った。
いつしか時代は流れ、東京でもホヤに出会えるようになった。当初は居酒屋でたまに見かけると嬉々として注文していたものだが、そのうちに近所のスーパーでも時折殻付きホヤが並ぶようになった。見つければ、迷わず買う。そして、台所で捌く。これがまた楽しい。
ホヤの殻には数ある突起とは別に二つの丸みを帯びた突起物がある。出水管と入水管だ。餌や海水の入り口となる入水孔は(+)の、出水孔は(−)の形をした切れ込み状になっているので見分けができる。捌く際には先に入水孔を切り落とす。うっかり出水孔を先に落としてしまうと、そこから排せつ物まみれの体液がびゅっと出てきてしまうので要注意だ。
外食で食べるホヤはきれいに黄色い身だけになっていることが多いが、私はほろ苦い肝など内臓も好んで食べるので、捨てるところは極めて少ない。こういった食べ方ができるのも自分で調理する醍醐味だろう。
キュウリを添えて酢の物が王道だが、ある時は刺し身で、ある時は殻ごと酒蒸しに……。
ホヤの季節が廻ってくると、魚売り場にあのグロテスクな「海のパイナップル」が出ていないかとついつい探してしまう。そして見事出会えた日には心躍らせて自宅に帰るのだ。あぁ、今宵の晩酌も楽しみだ。