Coffee Break<週刊「世界と日本」2275号より>
爽風エッセイ
「愛する鯖」との共生
ノンフィクション作家
塩田 潮氏
三方が海の高知県の生まれで、無類の魚好きだ。中でも目がなかったのが鯖である。30歳代以降、取材や講演で各地を訪れる機会が多くなる。「鯖の里」巡りが楽しみだった。
大分県の「関鯖」と愛媛県の「岬鯖」(佐賀関と佐多岬に挟まれた速吸瀬戸が漁場)、東京湾口の三浦半島沖の「松輪鯖」、鹿児島県屋久島の「首折れ鯖」、青森県の八戸漁港で水揚げされる「八戸前沖鯖」(以上はすべて天然マサバ)、高知県土佐清水市の「清水鯖」(種類はゴマサバ)。
ほかにも、博多の名物料理の「ごま鯖」、長崎県の海でハーブ配合飼料を使って育てられた養殖の「長崎ハーブ鯖」も美味い。いずれも今や高級魚の「ブランド鯖」である。
活魚のおろし立ての刺身、しめ鯖、ごまあえ、塩焼きなど、どれも大好物だ。酒は50代まで端麗辛口の日本酒だったが、20年以上前からワイン党に。シャルドネ種やビオニエ種の白ワインは案外、鯖と相性がいい。
かつては自宅で仕事の空きの時間に色つやのいいマサバを1尾買ってきて、自分でしめ鯖を作って味わうのが唯一の趣味だった。
ところが、20年前の2004年、58歳のとき、強烈なアニサキス・アレルギーの症状が出た。生きたアニサキスを摂取して胃の中が激痛に見舞われるアニサキス症とは別だ。
私がかかったのは、アニサキス含有の海の魚を長年食べ過ぎて、知らない間に体内に蓄積されたアニサキスのアレルギー源が許容量を超えてしまい、さらに摂取したとき、反応してアニサキスによる発作が起こるという厄介なやつだった。
医師の説明では、突然、アナフィラキシー・ショックに襲われ、命を落とす危険もあるという。これで生涯、「愛する鯖」ともおさらば、かと思った。
だが、自己流で研究を重ねるうちに、一条の光に出合った。
通常、アニサキスは生きた魚のはらわたやえらに寄生している。捕獲され、魚が死んだ後も、アニサキスははらわたやえらの中でしばらく生き延び、その後、死んだ魚の身の中に進出する。やがてアニサキスも死ぬが、死骸が魚の身の中に残る。人間は魚の身と一緒にアニサキスの死骸も食べてしまうのだ。
逆にいえば、魚のはらわたやえらにいるアニサキスが魚の身に入り込まないという調理方法が完璧に保障されていれば、どの魚を食べても、アニサキスを摂取する心配はないということになる。
たとえば、生け簀料理で、板前が生きている魚を目の前で調理して、はらわたやえらを完全に除去する。それを自分の目で確認してその魚をその場で食べるケースなどだ。
九州や四国・中国地方には、「生け簀で生鯖を」というレストランもある。加えて、最近では、鯖の養殖も盛んで、こちらはアニサキス対策を講じた養殖技術を導入しているという情報も多い。
私のアニサキスとの闘いは、実は2010年代半ばで終わった。十数年の「アニサキス完全不摂取」の食生活で、検査での数値の大幅下落という好運と巡り合った。以後は、数値再悪化防止を念頭に、毎秋、ほんの少し「愛する鯖」との共生を楽しんでいる。