Coffee Break<週刊「世界と日本」2284号より>
健康寿命を考えたらいまを大事に生きよう
生命科学者・大阪大学
名誉教授
仲野 徹氏
撮影:松村琢磨 氏
《なかの とおる》 1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒業、内科医として勤務の後、京都大学助手・講師(本庶佑研究室)などを経て、1995年から大阪大学教授。2022年3月から現職。専門は、いろいろな細胞の作られ方。2019年から読売新聞の読書委員を務める。著書に『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)など。趣味はノンフィクション読書、僻地旅行、義太夫語り。
何歳まで生きられるかを100パーセント間違わずに言い当てる占い師がいるとしよう。はたしてあなたはその占いを受けたいと思われるだろうか?
正確な寿命がわかれば、死ぬまでにしておきたいことを計画的に実行できる。それに、手持ちのお金を有効に使い切ることも可能になる。確かに便利だ。しかし、同時に、死ぬまでの日々をカウントダウンしながら生活しなければならなくなる。性格にもよるだろうけれど、知ることが幸せかどうかはなかなかに悩ましい。もうひとつ、大きな問題がある。その占いは、いつまで生きられるかは告げてくれるが、どのような理由で死ぬか、言い換えると、どのような健康状態で暮らせるかまでは教えてくれない。
2019年の統計によると、日本の平均寿命は女性が87・45歳、男性が81・41歳で世界一の長寿国である。まことに喜ばしいことだ。いまさらだが、平均寿命とは「0歳における平均余命」のことで、その年に生まれた赤ちゃんが平均して何歳まで生きられるかを示している。どうでもよろしいけど、寿命は「じゅみょう」ですけど余命は「よめい」ですな。念のために書いておくと、平均余命とは、ある年齢の集団があとどれくらい生きられるかの年数である。現在65歳の女性について考えてみると、平均余命は、「平均寿命マイナス実年齢」の約22年ではなくて24年である。なので、平均して90歳近くまで生きられるということになる。
日本の平均寿命の延びは著しかった。19世紀の終わり頃から戦前にかけての半世紀の間、平均寿命は男女ともにずっと40歳台に留まっていたが、そこからググッと伸びて、1950年ころには男女とも60歳を越える。平均寿命はその定義から、乳幼児がたくさん死亡すると大きく引き下げられる。昔は衛生状態が悪くて子どもがやたらと死んでいたので、この時代の平均寿命の延びは乳幼児死亡率の低下が大きな要因であることがわかる。それ以降はほぼ3年に一歳のペースで伸び続けてきた。これはもちろん、高齢者の寿命の延びによるものだ。
寿命延長に伴って重要になってくるのが健康寿命―厚労省によると「健康上の問題で日常生活に制限のない期間」―である。2019年の健康寿命は男女それぞれで72・68歳と75・39歳になっているから、平均寿命との違いが男性で約9歳、女性で約12歳もある。「不健康寿命」の期間はけっこう長いのだ。
加齢とともに、身体的な病気だけでなく、認知能力といった高次脳機能も低下してくるので、両者のバランスも気になる。こういったことを考える時に、両極端の状態をイメージしてみると分かりやすい。というのが、長年の研究者生活で身についた癖だ。一つは、身体的には何も問題がないけれど、認知能力が著しく衰えてしまった状態。もう一つは、身体的にはボロボロで動くことすらままならないが、認知能力は若いころのままという状態。これはもう、カレー味のウンコを食べるか、ウンコ味のカレーを食べるか以上に判断が難しいではないか。両者がバランスよく衰えていけばいいのだろうが、なかなかそうはいくまい。そもそも、どういった状態をバランスがいいかというのも難しいし。
はたして人間は何歳まで生きられるのだろう。チコちゃんに叱られるかもしれないが、諸説ありますといったところである。ただ、一般的には120~130歳だろうと考えられている。ちょっとした異論がない訳ではないのだが、これまでの最高齢記録はフランス人女性ジャンヌ・カルマンの122歳164日とされているからだ。しかし、最近では老化研究の進歩により、もっと長生きできるようになるという考えも出てきている。
その最右翼、ハーバードメディカルスクールのデビッド・シンクレア教授は、老化はこれまで考えられてきたような避けられない生理的現象ではなく「治療可能な疾患」であるという、ちょっと極端な考えの持ち主だ。その著書『LIFESPAN(ライフスパン):老いなき世界』(東洋経済新報社)では、だれもが120歳まで健康に暮らせるようになるのではないか、また、150歳まで生きられる時代が来るのではないかと論じられている。どうにも信じがたい話だし、個人的にはそんな時代は来ないだろうと考えている。しかし、可能性としては否定しきれない、というくらいの段階にまでは研究が進んできているのは確かである。
我が国における百寿者の統計を見ると、1975年に500人程度だったのが、いまや10万人に迫る勢いだ。先進国における寿命の伸びから推測すると、21世紀になって生まれた赤ちゃんの多くは100歳まで生きるようになるだろうという論文が数年前に発表された。えらく驚くとともに、さすがにそこまではいかんのとちゃうかという気がした。その直観は正しかったようで、ごく最近になって、老化を遅らせる画期的な技術が開発されない限り、そのような急速な寿命延長はないだろうという論文が発表された。その論文によると、「理想的な長寿国家」での平均寿命は女性が88・68歳、男性が83・17歳と推計されている。最長寿国である日本の平均寿命はそこまであと1~2歳しかないということになるのだが、なんとなく妥当な感じがしないだろうか。
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』(アトゥール・ガワンデ著、原井宏明訳、みすず書房)という、末期がんと認知症をテーマに、人生の終盤をいかに生きるべきかについて書かれた、全米で百万部以上を売り上げた名著がある。さまざまな事例があげられているが、この本の最大のメッセージは、「今を犠牲にして未来の時間を稼ぐのではなく、今日を最善にすることを目指して生きる」だ。このような考え方ができれば、何歳まで生きるか、生きられるかは大きな問題ではない。だから、最初の問いに書いたような占いを受ける必要などありはしない。
とか、えらそうに書きましたけど、いろんなしがらみがあったりして、いまを大事に生きるって、なかなか難しいですよね。