内外ニュース懇談会 講演要約
講演
江戸時代に築かれた日本の文明
德川宗家第十八代当主
(公財)德川記念財団理事長 德川 恒孝 氏
2014年9月に開催した東京懇談会で「江戸時代に築かれた日本の文明」と題し、島国ゆえに開化した、独特な日本文化について熱く語った。
『異文化が通り過ぎず、堆積の島国』
私は19歳の時に2年ほどイギリスで過ごし、帰国してからは日本郵船勤務で、会議やトラブルなどで57カ国ぐらいだろうか、世界中を飛び回っていた。
今はそれをやめて、德川記念財団でもう一度、江戸時代の全体を見直してみたいなと・・・。
日本の素晴らしさの1つは、島国であることだと思っている。
島国文化の1つの特徴で一番面白いのは、「異文化が通り過ぎないで堆積していく」ことだ。例えば、チンギス・カンがヨーロッパまで攻めていき、都市を壊し、財宝を奪い、また帰ってきても、そこに蒙古文明がずっとそのまま遺っていくのか、というと遺らない。
つまり、戦争は略奪行為であり、財宝その他を獲れば、それでおしまいで、通り過ぎていく一過性の嵐みたいなものだと思う。
ところが、日本に入ってくる文化は、島国だからドン詰まり。その時々で中国大陸、朝鮮半島のいろんな文化が、はたまた南から、北から、いろいろな人たちが入ってくるが、これらは逃げ場がないから、そのままずっと文化の層が重なりながら、1つの日本文化をつくっていく。この辺が大陸と随分違うのだ。
だから私はよく申し上げるのだが、江戸時代の後、大陸に雄飛せよ、若者たちよ広いところへ出ろ、島国根性を捨てろ、と島国がむしろ悪いことだと言われた時代が、明治からずっとあったが、この島国には、大陸には全くない、違った文化の堆積があったのだ。
今の日本の文明・文化が、おそらく世界でトップクラスになることができたのは、日本が島国だからだ。また、何よりも海があるから、外からの侵略がほとんどない。これらが独特な日本文化の成立の基礎だと思う。
江戸時代の話に入っていくが・・・。
応仁の乱から始まった長い間の戦国時代(130年間)で、日本はものすごく疲弊し、食料は徴発されるし、非常につらい時代があった。しかし、その後の江戸時代(260年間)に入ってから、日本の平和は一応確立する。
江戸時代(1603年〜)の最初の100年に、日本という国に起こった大きな変革は、まず「武」から「文」へ大転換したことだ。雑兵たちが皆お国へ帰って畑仕事をするようになった。武家も戦ばっかりする英雄豪傑の世界から、行政ができる武士にと、武家の役割自体がすっかり変わっていった。
ソロバンが見事であり、行政能力、裁判能力があり、そういう武家たちがグングン伸びてきた。これによって、1600年から、1700年の元禄文化に上っていく、大変な繁栄時代に入っていく。
人口も、関ヶ原が終わった直後の推定1200万人が、100年後の元禄には3000万人に増えた。1700年時点でのその人口は、世界でも有数の国であり、江戸が100万人都市になるのも元禄のころからだ。これはおそらく世界ナンバーワンの都市の1つだ。
人口増に対して、一番最初に行われた大きなことは治水だ。一番の大事業は利根川。真っ直ぐ東京湾に下りていたのを、千葉県のところで太平洋に出すようにした工事がおそらく最大の難工事で、40年以上かかったと思う。
それまで湿地帯、沼のようなものだった関東平野が、一面のコメができる田んぼにグーッと上がっていき、農地の倍増ができた。
もう1つ、平和がもたらしたもの。日本という国を完全に変えたのが街道だ。東海道、中山道など、これらの街道が日本中に全部行き渡り、そこには必ず一里塚があり、三里か四里ごとに大きな宿場、その間に小さな宿場があるという形で完全に交通網ができた。
そこで大判・小判の貨幣が日本中に行き渡り、小判が通常のビジネスに入ってくるようになった。これが最初の100年の真ん中辺で起こってきた。
もう1つ大変大きかったのは、各藩ごとにいろんな個性のある単位度量衡が、日本中で1つの単位に統一されて、法律もほぼ日本中同じになった。
元禄文化の開花・・・。そこに颯爽と登場した素晴らしい人々。井原西鶴、近松門左衛門、坂田藤十郎、松尾芭蕉、尾形光琳、菱川師宣などなど。戦争が終わって人口が増え景気が良くなり、こんなにキラキラしたのが元禄時代。
その元禄時代が、1700年代に入り、自然災害が相次いで起こり、日本の経済がガラリと変わってきた。
この時出てきたのが8代将軍の吉宗公。今までの大繁栄ブームから、いっぺんに質素倹約の世界へかなり強引に進めた。
ただ、火の消えたような事だけではいけないので、吉宗公はその時に、お金がなくたって人間には楽しみというものがたくさんあるはずだと。金のかからぬ娯楽って、いったい何なのだと考えた。
一番最初に出てきたのが学問だった。金があまりかからないので、熊さん・八つぁんまで『論語』なんか、みんな本を読むことになる。それから、花見、各神社のお祭り、菊づくり、朝顔づくりなどが大変に薦められた。また、寄席もものすごく流行るようになった。
教育の問題では、全国で3万〜4万の寺子屋があったらしい。江戸時代は、どんな人でも読み書き・ソロバンのできることが大変に必要な社会だった。それで、間違いなく世界一の識字率が、江戸中期からずっと日本には続いている。
いま、日本の歴史を振り返ってみて、そういう江戸時代を受けた後の現代を、私らがどういうふうに考えるべきなのか。どういう生き方をして、これからどうしていくんだと。
なにも今、世界中が狂ったように進めている方向だけが正しいのではなくて、日本が日本として、日本の文化をしっかり守りながらやっていく生き方も、当然あるのではないだろうかと思う。
※全文は月刊『世界と日本』第1246号に収録されます。また、要約は週刊「世界と日本」2038号に掲載されます。
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