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地方創生特集

人口減少、超高齢化社会という世界でも未だ直面したことのない社会へと日本は向かいつつあります。自立的で持続可能な社会を創生するために、菅義偉政権では地方創生を最重要課題として位置づけております。内外ニュースでは「地方創生チャンネル」において、週刊・月刊「世界と日本」の執筆者、東京・各地懇談会の講演、専門家のインタビュー記事等の情報を掲載して参ります。

2021年2月15日号 週刊「世界と日本」第2191号 より

15年迎えた銀座ミツバチ

IT介し拡がる地域連携

 

NPO銀座ミツバチプロジェクト理事長 田中 淳夫 氏

《たなか・あつお》

1957年東京生まれ。79年日本大学法学部卒業、(株)紙パルプ会館に入社。2011年専務取締役。2006年「銀座ミツバチプロジェクト」を立ち上げ、10年に農業生産法人(株)銀座ミツバチを設立、代表取締役に就任。著書に『銀座ミツバチ物語』『銀座ミツバチ物語part2』(時事通信出版)など多数。

 

コロナ禍だから見えてきた地域の力

 2020年は銀座の屋上でミツバチを飼い始めて15年目の春、コロナウイルスの広がりで緊急事態を伝えるメッセージが出て、シーズン前に企画していたすべての活動がストップ。つい数カ月前にはオリンピック前の高揚感と共にインバウンドはじめ多くの人が行きかう銀座通りから人が消えた。地下鉄銀座線のホームに降りたとき自分一人だったのは驚きの風景だった。百貨店、ホテル、レストランからバーに至るまで、ほぼ全ての店が扉を閉めた。見事に社会の要請に応えるのが銀座の街である。

 

全国のミツバチ仲間とネットワークが誕生

 こうして下界では経験したことがない世界が広がるが、樹木には花が咲き屋上ではミツバチ達がたくさんの花粉や花蜜を運ぶいつもの風景が広がっていた。人間以外の生き物たちは普通に命の営みを続けている。不要不急が叫ばれる中、私達は密にならないように限られたスタッフのみで養蜂作業を続けていた。

 そんな中、たまたま名古屋長者町ハニカムプロジェクトの友人がこの春も作業をしている様子を知って嬉しくて久しぶりに電話した。次々に電話するとこの環境下でも全国の仲間たちが屋上で作業していることが分かった。そこで様々な悩みや課題をオンラインで語り合おうと5月から毎月定期にWEB会議を呼びかけた。今まで私の携帯でつながっていたそれぞれのプロジェクトが、画面を通して20を超える団体が次々と網の目状につながった。こうして全国ミツバチプロジェクト会議がスタートした。

 会議を受けて同志社大学ミツバチプロジェクトの服部篤子先生は、大学院生達を使って全国のプロジェクト調査を開始。誰がどんな思いでどんな仲間たちと始めたかをまとめてくれた。

 梅田ミツバチでは、Tシャツを購入することで全国ミツバチプロジェクトへ支援金が入る仕組みを作ってくれて、更に12月のお歳暮シーズンに大阪梅田の阪急本店で全国ミツバチプロジェクト仲間たちの蜂蜜販売イベントも共催できた。

 ある時は、熊本ハニープロジェクト代表がボランティアを多数集めて豪雨災害の被災地に入るので会議に参加できないと連絡してきた。そこで全国の仲間たちに募金を呼びかけると直ぐに寄付が集まり高圧洗浄機などの資材を購入して活用していただくこともできた。こうして、今まで点で活動していた仲間たちが、つながることで日本全国を俯瞰して面で考えることができるようになった成果は大きい。地域の課題に向き合って自ら動くプレーヤー達のネットワークは、今後様々な形で動き出すと楽しみにしている。

 

再生可能エネルギーの扉が開く

 このオンライン会議の活用は、地域の仲間たちと再エネという別の扉も開いてくれた。

 東日本大震災から奇しくも10年。震災以前から福島と縁を作ってきたが、原発事故で理不尽な困難を受けてきた様子を見て、福島から再エネで次の社会を作るべきと考えた。そこで2018年に福島市荒井の農地を購入して高さ3.5メートルの高さに間をあけてパネルを設置し、その下で農産物を作るソーラーシェアリング事業を開始。翌2019年には会津美里町の高齢者施設屋根を借りて発電所を作った。屋根を借りた家賃は、ソーラー下で作る農産物等で支払う。100人の入居者と職員100人で食べていただく仕組みで電気と農産物をつなげている。

 この実績から会津電力、飯館電力、徳島地域エネルギー、宝塚すみれ発電等ご当地電力と再エネを販売するみんな電力がNPO会員となった。その1つ徳島地域エネルギーではソーラーシェアリングの下で農薬を使わないコメ作りから養蜂も始めて、再エネ収入の一部で村中に花の苗を配りミツバチと再エネの村として売り出そうと動く。ミツバチ、農薬を使わない農業、そして再エネはとても相性が良かった。

 宝塚すみれ発電所では、ソーラーシェアリング下で作った芋で私たちの芋焼酎「銀座芋人」の仲間になって「宝塚芋人」もできる予定で、今春からは養蜂と共に荒れた里山の間伐材をバイオマスボイラー活用して豊かな森へ再生する事業も走り出す。兵庫県、宝塚市、神戸生協、地元の大学など参加する地域循環共生圏構想にミツバチはぴったりだ。

 最後は、岩手県ジオファーム八幡平。馬術でオリンピックを目指していた30代の船橋慶延氏は10年前に縁のない岩手山の麓で馬牧場を開いた。人に育てられ言葉を理解し30歳まで生きるのにも関わらず、走れなくなると3、4歳で殺処分されて食肉になる現実を見てきた船橋氏は、こうした状況を変えたいと馬のセカンドライフを実現するために馬を連れて家族と移住する。隣の温泉から熱を引いて馬ふんから堆肥を作り、更に植菌してマッシュルームを栽培する事業を開始した。

 当初は全く出荷できずに資金も底をついていつ辞めるかハラハラしていたが、技術が向上して昨年は年間8000万円まで売り上げを伸ばすことができたそうだ。

 この秋から冬にかけて生産が需要に追い付かない状態で、この春4棟あるマッシュルーム棟を更に2棟増設し、また馬ふん堆肥を増やすため、引退馬のみならず競走馬も餌代付きで預かるようになると25頭まで増えてくる。この馬のための厩舎も増設するという計画を聞き、銀座ミツバチではこの屋根にソーラーパネルを設置してマッシュルーム棟に電気を送る自家消費型の事業を提案し進めている。

 東北は冬に仕事が少ないが、ここでは若いママたち20人が働いていて選別、箱詰めに忙しい。今後の需要を見越して障がい者雇用も進めようと話し合っている。馬とミツバチのコラボは多くの人の興味をそそる。彼は2~3年後、近所の耕作されていない広大な場所でも同じ様に牧場、堆肥場、マッシュルーム棟を作り、将来売上10億円を目指すと夢を語る。

 仮に売り上げが10億円を超えると馬420頭の馬厩肥が必要で、東北中の牧場から馬ふんを集めて一大サプライチェーンを作ると壮大な構想を練っている。

 コロナ禍は、突然人々の行動を制限して心を閉ざしてしまったように思う。しかしITの力を得て今までにない連携ができることを証明してくれた。

 会えないからこそ見えてきたネットワークと地域の宝。地球温暖化のみならず早く手を尽くせばよみがえっていく地域社会の風景も見えてきた。

 厳しい状況の今だからこそ、新年に復活する日本の風景を夢見て行動したい。

 


2019年7月15日号 週刊「世界と日本」第2153号 より

実現したい 真の地方分権を
県政推進に三つの政策課題

 

愛媛県知事 中村 時広 氏

 昨年、県内各地に大きな傷痕を残した西日本豪雨災害から1年が経過しました。現在、愛媛県では、国や全国の自治体、企業・団体からの協力も得ながら、1日も早い復旧・復興に総力を挙げています。改めて、被災地への心温まるご支援に厚くお礼申し上げます。現在、私は「防災・減災対策」「人口減少対策」「地域経済の活性化」の3つの政策課題を柱に県政を推進しています。

《なかむら・ときひろ》
1960年愛媛県松山市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、三菱商事に入社。1987年愛媛県議会議員、1993年衆議院議員。1999年より連続3期松山市長、2010年より愛媛県知事(現在3期目)。趣味は読書、スキー、バドミントン。座右の銘は「至誠通天」。

 「防災・減災対策」では、西日本豪雨の発災直後から、「地域を守るということは、人・生活・産業を守って初めて達成し得る」という共通認識の下、第1ステージとして人命救助と水の確保、住居の手当に全力を傾けました。
 特に、宇和島市吉田町では浄水場が土砂に埋没し、約1万5千人の市民に給水できない状況に陥りましたが、大型ろ過機は東京都から、配電盤とポンプは国やメーカーから協力を賜り、半年はかかるとされた水の確保は1カ月で実現でき、仮設住宅の整備にも発災から2カ月で目途をつけたことで、本格的な復興に踏み出すことができました。
 現在は、第2ステージとして産業の再生に向け、グループ補助金等による被災事業者の事業再開支援やかんきつ王国の威信をかけた産地復興に加え、県民の生命と財産を守る公共土木施設の復旧に力を注いでいます。
 また、国からはトップダウン型・プッシュ型によるさまざまな支援を賜り、特に、避難所へのエアコンや簡易トイレの設置は、避難生活の大きな助けとなりました。さらに、甚大な浸水被害をもたらした肱川(ひじかわ)の治水対策を10年前倒して、5年後の完成を目指すとしたことは、流域住民の復興に向けた意を強くするもので、ありがたく思っています。
 しかしながら、大規模災害によって深刻な被害が各地で発生した場合、現在の水道機器の在庫状況では早期復旧が困難であり、水道施設の土砂・浸水災害対策の強化に加え、国が浄水機器等を備蓄・配備する体制整備が急務です。
 南海トラフ地震等の広域災害が想定される中、被災者氏名の報道については、自治体任せにすることなく、国が公表の統一基準を示すべきと考えます。
 さらに、被災状況に応じた柔軟な制度運用も求められます。完成直前に被災した学校給食施設の再建については、最終的には、被災地に寄り添った財政措置が講じられましたが、災害時に財政力の弱い被災自治体に負担が生じない対応をお願いしたいと思います。
 2点目の「人口減少対策」では、出生率の上昇、人口の流入促進・流出抑制の3つの視点が重要です。出生率の上昇に向けては、全国でも先駆的なビッグデータを利用した結婚支援や紙産業集積地ならではの地元企業とタイアップした紙おむつの無料支給など、本県独自の子育てサポートに努めています。
 また、社会増を目指して、中学生に地元企業の魅力を実感してもらう職場体験事業の実施や愛媛の求人・移住総合情報サイト「あのこの愛媛」を活用した移住促進等の取り組みも展開しています。
 その結果、全国で減少傾向にある合計特殊出生率は、愛媛では、平成26年の1.50から昨年は1.55と上昇傾向を示し、本県への移住者数も昨年度1715人と過去最高を更新しています。
 一方で、東京一極集中には全く歯止めがかかっておらず、改善策の具体的成果が求められます。また、国は、外国人材の受け入れを労働者確保の視点で進めていますが、生活者、住民としての総合的な政策展開も不可欠です。
 さらに、人口構造の急激な変化により限界を迎えつつある社会保障制度は、国民不安の払拭に向けた抜本改革を行う必要があります。子育て環境を充実させるため、各自治体が身を削って着手している子ども医療費の無料化は、本来はナショナルミニマムとして国が全国一律に手当てすべき問題です。
 3点目の「地域経済の活性化」では、現役知事で唯一、商社出身である私の経験やノウハウを県庁組織に移植し、企業活動をサポートする補助エンジンとして、7年前に全国に先駆け「えひめ営業本部」を設置しました。初年度、県が関与した成約額は約8億円でしたが、昨年度は約138億円に達するなど、着実に成果を上げています。
 また、観光振興では、今年を「インバウンド飛躍元年」と位置付け、私自身がトップセールスで誘致した大型クルーズ船の松山港寄港、念願であった台湾定期航空便の就航、G20愛媛・松山労働雇用大臣会合や日中韓3カ国地方政府交流会議の開催等のさまざまな機会を通じて、自然や歴史・文化、食といった本県の多彩な魅力を世界へ発信していきたいと考えています。
 加えて、AI、IoT、5G等の先端技術を積極的に取り込み、行政としての活用方策を考えるなど、新分野においても政策立案能力を高めていくこととしています。
 一方、我が国の経済に目を向けると、企業業績や雇用環境の改善等が見られるものの、地方では、依然、景気回復の実感に乏しい状況が続いています。金融緩和や財政出動など、カンフル剤の効果があるうちに経済構造の転換を図るとともに、東京オリンピック後の社会・経済情勢の変化を見据えた準備を進める必要があると考えます。
 我が国が目標に掲げる2020年の訪日外国人旅行者4千万人の達成には、空港の拡張や大型クルーズ船に対応する港湾整備など、地方での受け入れ態勢の構築に向けた国の支援が不可欠です。
 さらに、地方で開発された優良な動植物新品種の海外流出に対し、知的財産権の保護方策とともに、輸出障壁撤廃のためのスピード感ある国の対応が望まれます。
 私は松山市長として11年、愛媛県知事として9年の地方自治経験から、現場視点の知恵や工夫を生かすことで、我が国の直面する課題にも迅速・的確に対応していけるものと確信しております。
 国と地方の関係を見直して、地方への大胆な権限と財源の移譲を行い、真の地方分権を実現することが、ひいては日本全体の活性化につながると強く信じており、国も地方とともに、時代を切り開く志を持って、課題解決に道筋をつけていくことを期待しています。

 


2019年3月4日号 週刊「世界と日本」第2144号 より

観光地改革
観光客の目線で

 

(株)ANA総合研究所取締役会長
(一社)ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構専務理事 小川 正人 氏

 平成30年、ついに訪日旅行者(インバウンド)は3000万人を超えた。目覚ましい伸びであり、日本国内での消費額は、4兆5000億円になる。これに国内旅行者の消費額21兆円を加えると25兆円に達する。日本最大の自動車会社トヨタの売り上げが約28兆円だから、その躍進ぶりは目覚ましく、観光は、わが国にとっての一大産業となりつつある。

 世界中の観光客が各地域を訪れ、そこで直接消費してくれる時代が到来した。地方にとって、大きな好機である。
 一方で、この波をしっかりと受け止めて、真に住民の利益とするためには、供給側の視点に立った産業政策から、「シェアリングエコノミー(共有経済)」に代表される観光客の目線に立った政策への、産業構造のコペルニクス的大転換が必要である。
 地方は昔から、東京に代表される大消費地への食料等の供給を担う基地として存在していた。農業では、収穫した農作物は直ちに農協が集荷し東京等へ送られる。そこでは、スーパー等で売りやすいように見た目がよく、大きさや品質が一定であることが求められる。魚は、豊洲に直送である。地元で味わうことはほとんどできなかった。
 他方、観光客は、一大消費者でもある。それが向こうからわざわざ来てくれるのである。
 私がシニアアドバイザーを務めるフランスのアルザス地方(オ・ラン県、フ・ラン県の2県で構成)では、280万の人口の地域に年間2800万もの観光客が訪れる。そのために多くの努力や工夫がなされ、その成果の1つとして、有名なアルザスワインの60%は、100以上あるワイナリーで直接販売される。流通コストは、ゼロである。
 これに対し日本では、日本酒を直接販売する蔵元は極めて少なく、ほぼ全量が卸売→小売→消費者という流れの中で30%以上の流通コストが生じている。日本には蔵元が1300件もあり、絶好の観光スポットにも成り得るのだが、多くの直接購買客が見込める酒蔵が、現状では酒の供給者としか見なされていない。
 しかし、例外も生まれている。飛騨高山では、12の酒蔵が連携して外観を整え、テイスティング(試飲)を可能にした「飛騨地酒ツーリズム協議会」がある。ここが中心となり酒蔵をワイナリー化して、テイスティングや販売を行い、杜氏(とうじ)による酒造りの工程を紹介する。傍らには酒に合う料理が食べられるレストランと温泉宿がある。これが「観光客目線」である。
 今や旅行者の75%がFIT(Free Independent Travel)であり、欧米の例を見ればこの比率は、まだまだ高まる傾向にある。
 そこで、飛騨高山のライバルは、スイスやカルガリーかもしれない。まず重要なのは、マーケティングである。潜在的な観光客は世界中にいるが、一方で世界中の観光地がライバルである。その中で、勧誘のためのストーリーを作り世界に発信する。
 例えば、大分の国東在住のポールクリスティ氏が主催するツアーには、日本の道を歩くことをテーマに欧米豪を中心に毎年約3000人の訪日客が参加する。彼は、歴史やさまざまな逸話とともに中山道を紹介している。
 つまり、潜在的な消費者の心、感性に染み入る文章をかれらの言葉で発信し、地元の観光地の素晴らしさを伝え、初来訪に導く。
 このようにインバウンドFIT向けマーケティングは、従来のセールス主体の日本人向けのビジネスモデルとは全く異なるものである。
 シェアリングエコノミーに対し、既存の旅館やタクシー業界保護の観点から、猛烈な反対が起きているが、視野が狭すぎるのではないか。そもそも地方旅館の最大の問題は、利用率が低いことである。2017年の資料だが、都市型ホテルの稼働率80%に対して、地方は30~50%に過ぎない。
 これらを一挙に解決するのがシェアリングエコノミーである。
 既存の事業者は、お客を奪われるカニバリゼーション(共食い)が起こると恐れるが、見当違いも甚だしい。なぜなら、これらのシェアリングエコノミーを利用する人々は、まだほとんど地方に行っていない外国人や若者だからだ。
 温泉地の駅に行くと、よく駅に迎えの車が来ているが、これもとても大変な経費である。隣の旅館やついでのある人に頼むと業法違反になる。無駄も甚だしい。
 このようにグローバルスタンダードで、外国人や若い人にストレスのない既存のアプリが使えるようにすることもこれから非常に重要な要素となる。総需要が増えれば経済効果が高まり、旅館の利用率も上がり、既存業者も必ずプラスになる。
 これまでは、地方は生産拠点だったので中央省庁に縦割りに管理されていた。例えば、酒蔵は、財務省。農家は農林省、旅館は厚労省、お客様を迎えに行く車は、国土交通省の管轄である。地域の課題を縦割りの監督官庁の枠にとらわれず横串をさし、潜在顧客へのマーケティングを行い、観光客の増加が地域住民の生活の向上に資するものとするのが、真のDMO(Destination Marketing Organization)の姿である。
 米国にはビジットシアトル、ビジットオーランド等の有名なDMOが各地に存在し、自主財源を持ち、地域社会の経済的恩恵のために当該地域を全世界にマーケティングしている。
 日本がこれからも高い生活水準を維持していくためには、落ち込みが顕著になってきた製造業の製品輸出による外貨獲得を補うためにも、観光産業による域外からの外貨獲得が必須である。地方の観光地はその先兵になってもらいたい。

 


2019年2月4日号 週刊「世界と日本」第2142号 より

観光ビジネス新潮流
交流から共生の時代へ

 

淑徳大学経営学部 学部長・教授 千葉 千枝子 氏

 2018年の訪日外国人旅行者数は3000万人を突破し、過去最高を記録した。西日本豪雨や北海道の地震、台風による関西国際空港の浸水被害など自然災害の多い1年であったが、官民挙げてのプロモーションが功を奏し、2020年目標値の4000万人を射程圏内に捉えた結果となった。一方で懸念されているのが、オーバーツーリズム(観光客の過度な集中)の問題である。一部の人気観光都市では観光客が溢れかえり、需給のバランスも崩れ始めた。民泊に代表されるような新たな観光ビジネスが始動して法整備も進みつつあるが、すべてが途上にある。

《ちば・ちえこ》
淑徳大学経営学部観光経営学科学部長・教授。中央大学兼任講師。大学卒業後、富士銀行に入行。シティバンクを経て、JTBに入社。1996年千葉千枝子事務所設立。運輸・観光全般の執筆、講演活動を行う。NPO法人交流・暮らしネット理事長。著書は『JTB 旅をみがく現場力』(東洋経済新報社)、『観光ビジネスの新潮流』(学芸出版社)など多数。

 2019年は、27年ぶりの新税となる出国税(国際旅客観光税)実施で幕を開けた。さらなる誘客を使途とするが、果たして受け入れ態勢は追いつくのだろうか。
 日本の観光は、これまでの「交流」から「共生」へと大きく舵を切ろうとしている。共に生きる社会の実現に、観光の力が求められている。

深刻化するオーバーツーリズム

 観光立国をめざす日本が今、初めて直面していること。それがオーバーツーリズムである。観光地に人が溢れることで、街の混雑や生活道路における交通渋滞、夜間の騒音、ゴミやトイレの問題、環境破壊など、さまざまな弊害がもたらされる。観光公害と指摘されることもある。
 他国の例で記憶に新しいのは、フィリピン・ボラカイ島の観光客立ち入り禁止措置だ。島内にリゾート施設が続々、誕生して以降、汚水やサンゴ礁の死滅など環境汚染問題が深刻化した。フィリピン政府は以前から、入島する観光客に対して環境税を課して対応してきた。だが、それでも改善はなされず、大統領命で立ち入り禁止を遂行したのである。
 そうしたなか京都では、いち早くオーバーツーリズム対策を打ち出した。特定の時期や時間帯、一部の観光地に観光客の需要が集中することを緩和して、地域住民と共生をはかることを目的に、さまざまな分散化実証事業に乗り出し始めた。
 時間や場所の分散化は、観光産業において永遠の課題でありテーマである。そのため業界団体は、祝日法改正や長旅の推進などを提言して平準化を狙ってきた。
 早朝の市場を巡る青森・八戸の「あさぐる」や、沖縄離島での「朝ヨガ」、インバウンドにおけるナイトタイムエコノミー(夜の観光消費)の促進や広域観光周遊ルートの開発などが、その一例だ。
 しかし分散化は、一朝一夕には成しえない。観光庁は庁内に「持続可能な観光推進本部」を設置した。政府目標の2030年訪日外国人6000万人達成に向けて、オーバーツーリズム対策は避けては通れない課題となっている。

観光地のライフサイクル

 観光地には、製品にみられるプロダクト・ライフサイクルと同じようなライフサイクルがある。そう提唱したのは、カナダの観光地理学者リチャード・W・バトラーである。
 バトラーの言う観光地のライフサイクルとは、新たなデスティネーション(目的地)の開拓・探検の時期から、それに対する関心・関与の時期を経て、開発段階、発展段階、さらには成熟段階へと、観光地が進みゆくことを意味する。
 成熟段階を迎えた観光地は、やがて停滞期を迎え、ときとして衰退に至るわけだが、再構築のいかんでは、地域の再生ないしは低成長、現状維持となる。
 もし停滞の兆しがみられても適切な処置がなされなければ、やがて観光地としての魅力は失せ、減退期を迎えると、バトラーは言っている。特にピークアウト時(頂点に達し、減少に転じる時)においては、受け入れ許容量に左右されることが諸研究により明らかになっている。
 受け入れ許容量でもっとも測りやすいのが、ホテル・旅館の客室数である。だが今、問われているのは泊数だ。入域者数や入込客数を測りつつ、泊数を延長することで、観光消費額も変わってくる。
 また、民泊法(住宅宿泊事業法)では、1年間に民泊営業できる日数が最大180日までと制限されている。民泊施設の届出件数は着実に増えているが、法施行前の約2割に留まるともされ、違法民泊がどれほどの市場規模で存在しているかは未知数である。
 観光地はまず、宿泊需要における収容能力の実態を知り、その適正値を試算しなくてはならない。ここに日帰り客や通過客はカウントされないので、見込みをもって適正な許容量を算出する必要がある。適正な収容能力をはからずして、過度な誘客や分散化はあり得ないのである。

急がれる観光人材育成

 観光人材の育成の急務が叫ばれて久しい。かくいう筆者も、大学教育の現場で観光マネジメント人材育成の旗振り役を担っている。
 観光産業は外縁を広げており、運輸や旅行会社、宿泊施設だけが活躍のフィールドとは限らない。観光を学んだのち、金融機関や不動産、公務員に進むものもいる。観光の知識は、今後の社会人生活できっと役に立つことだろう。
 だが、ものづくりの国と言われる日本では、観光産業従事者の職業的地位は決して高くない。地位向上は喫緊の課題でもある。そのためにも、稼げる観光の仕組みづくりを地域主導で進めることが急がれる。それも老舗や大手の商工関係者だけでなく、地元の若者にも活躍の場を創出してあげることが重要だ。観光ビジネスに胸を張って働ける、地域の環境づくりが欠かせない。
 地方では、これまでのUターンやI・Jターンといった過疎化対策が進められてきたが、観光のノウハウをもった都会生活者や外国人の移住を増やす取り組みも求められる。観光地の分散化が進む一方で、地域間競争は激しさを増す。そのためにも、重層的かつ骨太な地域人材が求められている。
 観光は、交流人口増大のための単なる手段ではなく、もはや国家繁栄の目的の1つである。交流から共生へ。共に生きる道筋を今こそ構築して、やがて訪れるだろう観光停滞期を乗り越えていかなくてはならないのである。

 


2019年1月21日号 週刊「世界と日本」第2141号 より

人口減少問題にどう取り組むか

 

野村総合研究所顧問 増田 寛也 氏

 日本中どこに行っても、人手不足を嘆く声が聞こえてくる。人口減少問題はわが国にとって最大のリスク要因であるが、この問題は時間軸を持ち、日本全体を俯瞰しながら検討することが必要である。人口動態は、中期・長期で異なるし、地域によっても状況や課題が異なる。また、AI、ロボティクス、IoTなど、テクノロジーの急速な進歩は、着実に我々の生活や行動を変えつつある。こうしたイノベーションを最大限に活かすことが不可欠である。楽観論は危険だが、悲観論も益にならない。まず、実態の正確な理解が必要である。

《ますだ・ひろや》 1951年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、建設省入省。95年より3期12年にわたって岩手県知事を務める。2007年、総務大臣就任(~08年)。09年より野村総合研究所顧問、東京大学公共政策大学院客員教授。11年より日本創成会議座長。著書は、『地方消滅』(中公新書、15年新書大賞)など多数。

 2014年5月、私が座長をつとめる日本創成会議は、全国896の市区町村が将来消滅の可能性があることを提言し、様々な方面で反響を呼んだ。
 「消滅可能性」という、あえて刺激的な表現を用いたのは、地方の若者を東京がブラックホールのように飲み込み続け、人口が急減し、なおかつ将来にわたっても下げ止まらない深刻な事態に強く警鐘を鳴らしたかったからである。
 人口減少問題は、わが国の将来に暗い影を落とす。国内市場の縮小、生産年齢人口の減少による労働力不足などは言うまでもなく、地域においてもこれまで行政によって行われてきた様々な施策が、医療や教育といった暮らしに欠かすことのできないサービスも含めて維持できなくなる。空き家や所有者不明土地がさらに増加し、地価の下落が加速することも考えられる。
 ところで、提言から4年以上が経過し、2015年国勢調査に基づく新たな人口推計が公表された。この資料を用い、前回と全く同様の推計を行うと、「消滅可能性都市」は前回の896から930近くまで増加した。東京の23区では2040年にかけて、2010年国勢調査に基づいた前回の推計より大幅に人口を増やすが、それ以外のほとんどの地域はさらに人口を減少させ、消滅の危機が加速しているという結果だった。
 日本の人口が急減する要因は2つある。1つは、20~39歳の若年女性の減少であり、晩婚化、晩産化による出生率の低下である。出生率は2005年の1.26以降、微増を続けてきたが、昨年の出生率は1.43と前年より低下し、出生数も約94万6000人と過去最低を記録した。
 人口減少のもう1つの要因は、地方から大都市圏、なかんずく東京圏への人口移動である。
 地方から大都市圏への人口移動は、そのほとんどは若年層であり、地方は単なる人口流出にとどまらず、人口再生産力そのものを流出し続けたことになる。しかし、その動きは地域によって異なる。市町村レベルで、過去数10年に渡る傾向をきちんと分析する必要があろう。
 若年層が凝集した東京圏は、住宅1軒当たりの面積は全国平均よりも狭く、通勤時間も長い。人口に対して保育所整備も遅れており、子育て環境が良いとは言えない。実際、東京都の2017年の出生率は1.21であり、他の道府県に比べて圧倒的に低い。これを改善するのは困難であり、結果として日本全体の人口減少に拍車をかけている。
 政府は2014年9月、東京一極集中の是正、人口減少歯止めのための抜本的な対策を講じることを目的に、内閣官房「まち・ひと・しごと創生本部」を設置し、同年末には国の「長期人口ビジョン」と「総合戦略」を閣議決定した。全国の自治体も地方版総合戦略を策定している。ここでは、今後重要と思われる2点について考えてみたい。
 1つ目は、地方での雇用創出である。人口減少の最大の要因は、地方において若者が安心して結婚し、子供を持てる収入が得られる、安定した仕事が不足していることである。
 雇用をつくるとなると、すぐに域外からの大規模な事業の誘致、あるいはイベント性のあるものなどに取り組みがちである。しかし、まず自らの地域の現状の産業実態を直視し、足元の生産性を上げ、それを雇用の質の向上につなげていくべきである。
 地方の経済構造の7割近くは地域の生活を支えるサービス産業で占められているが、これらの産業の多くは対面サービスであり、決して生産性は高くない。これは、逆に伸びしろが大きいということを意味する。一般に生産性を向上させることは、雇用が奪われることを連想するが、雇用不安が生じることのない今だからこそ、地域経済の抜本的な改革を進める好機である。
 2つ目は、「結婚・出産・子育て」への切れ目ない支援である。児童の医療費免除といった支援は今後も拡大していくべきだが、これを地域間の競争に持ち込むことは避けることが大切だ。競争が行き過ぎれば、かえって財政を痛めることになる。むしろ、地域ごとの特色を活かした子育て支援のあり方を考えていくべきであろう。
 結婚・婚活支援にも積極的に取り組む必要がある。このようなソフト対策は、これまで政策としてはあまり取り上げてこられなかった。
 しかし、縁談を勧める「世話焼き」が少なくなっている以上、地方自治体や商工会議所がいわゆる婚活に積極的に取り組むことは、少子化の大きな原因である晩婚・晩産化を変えることにつながるだろう。
 いずれにせよ、わが国ではどんな対策を講じても、今後100年間は人口減少が避けられない。しかし、地域経済の縮少は避けなければならない。1人当たりの稼ぐ力を高め、地域外から稼いでその稼ぎを地域内の消費・投資に回す循環型地域経済をつくり出す必要がある。
 地方創生とは、このようなローカルサービスを工夫することにより、地域に新たな付加価値をつくり出すことである。
 1つの例として、エネルギー分野で地域エネルギーを確立することに期待したい。
 この分野こそ、電力会社を経由して富の外部流出が著しい。最近の技術の進展により、木質バイオマスや小水力による分散型エネルギーの構築の可能性が高まった。この取り組みは、長い目で見れば、地域の持続可能性を大いに高める。
 必要なことは、「あれも、これも」と利便性だけを追い求めずに、じっくりと地域資源の堀り起こしにつとめることである。

 


2019年1月7日号 週刊「世界と日本」第2140号 より

「郷土教育」で思考力の鍛錬を
地域の魅力を自らの言葉で発信せよ

 

EY新日本有限責任監査法人 経営専務理事 大久保 和孝 氏

 人はそれぞれ自分が生まれ住んだ地域に愛着を持っている。しかし、出身地の魅力をきちんと語れる人は少ない。郷土の「環境の素晴らしさ」や「料理のおいしさ」を語ることはできても、地域固有の魅力を言葉で伝えることは難しい。地元の人々が漠然と感じている愛着だけでは、地域外の人を呼び込むことはもとより、地元の若者を繋ぎ留めることにも限界がある。過去を懐かしむだけで、具体的な未来が描けなければ、地域は魅力を失う。気づけば多くの人々が地域外へと出て行き、過疎化が進行する。

 特に問題なのは、自分の住む地域の出来事や環境変化に無関心で、具体的な地域の未来を描けない住民が多いことだ。それは衰退していく地域に共通している。問題意識を持っていれば、無関係に思えることでも、様々な解決策が浮かび、新たな行動も生まれてくる。
 しかし、地方自治体が作成する総合計画を見ても、地域の歴史とは無関係なスローガンや施策が並び、悲観的な未来しか描けない住民が多いことも事実だ。
 では、地域住民が、自分の地域のことを自分事化し、自ら積極的に行動していくために必要なことは何か。まず、地域の魅力を、自らの言葉で語れるようになることだ。そのためには、地域の歴史を踏まえた、その地域ならではの魅力を、より多くの人と共有できるように言語化する必要がある。ただし、地域の歴史や文化を語り継ぐだけでは不十分だ。
 固有の歴史的背景や文化が、現在の社会課題の解決のヒントになりうることを示し、未来に繋げることだ。そのストーリーが人々の共感を生む。何がその地域固有の資源なのかに気づき、それをどう活かしていくか。
 未来志向の新たな視点で捉えながら、5年後、10年後の地域の姿を具体的に描いていくことができれば、地域の子どもや若者、さらには、地域外の人々にも地域の魅力を伝えることができるようになる。そういった視点から、自らの地域について一度整理してみることだ。
 さらに、地域住民の具体的な行動へと繋げていくためには、郷土に根差した考え方や行動様式など、いわばその土地の風土を自分事化しつつ、環境変化に適応できるような、教育・啓蒙活動の機会の提供が必要となる。
 ただし、教育委員会が作成する郷土教育の副読本のような、地域の史実や産業の成り立ちを紹介するだけの教育では効果はない。地域の良さを「伝える」のではなく、「伝わる」ような“しかけづくり”がカギを握る。その前提には、地域に根差す文化的な歴史を未来に繋げるストーリーを描くための、思考力のトレーニングを行うことだ。
 郷土の史実を、知識や情報としてだけでなく、未来に向けた具体的な行動に繋げる要素として習得するためには「リベラルアーツによる思考力向上」が効果的だ。リベラルアーツは、知識を生かす思考力の鍛錬の場であり、古典との対話を通して作者と自分の考えを対比させて考えることで、思考力向上を図るものだ。
 興味のない分野の知識や難解な文書を自分事と捉え、自分の考えと比べながら対話することで、自らの考え方を整理し研ぎ澄まし、思考力を磨く―。こうした一連の思考の訓練の過程こそがリベラルアーツであり、思考力のトレーニングに最も有効な手段である。
 例えば、哲学者ニーチェの書物は、日常生活とは関係のない難解な哲学書と捉えてしまいがちだが、一つ一つの文章に自分の考えや悩みを当てはめ、作者と対話するつもりでお互いの考えをぶつけながら向き合うと、時に新しい考え方や解決策が浮かび、新たな行動へと繋がっていく。
 このリベラルアーツによる思考力の鍛錬を、郷土教育として実践することだ。地域の史実や産業を単に知識として提供するだけの教養講座ではなく、住民一人一人が郷土の歴史を自分の未来に当てはめながら、地域の可能性や未来を語り合える機会を作ることだ。
 また、こうした思考力の向上と対話は、異なる価値観を持つ人々との円滑な対話も可能にする。すなわち、自分とは異なる価値観の人の意見でも自分に置き換えて考えられるようになり、そこから新たな協働や新しい発想が生まれ、イノベーションも起きてくる。
 郷土の歴史を踏まえつつ、地域以外の人々との対話を通して、その地域の未来を創造していく―地域の人が主体的に動いてこそ、地域は活気づき、同時に、地域以外の人々をも巻き込むことができる。
 こうしたリベラルアーツ教育のカギを握るのは、各市町村の教育委員会に所属する学芸員の存在だ。専門知識が必要な学芸員は、地域外から採用されていることが多い。“よそ者”視点で地域の歴史や文化を研究しているため、地域の外部から見たその地域の本当の良さを十分に理解している。
 このような学芸員の知見を未来へ向けた社会課題解決の場に活かすべきだ。若者や子供を中心に地域住民を巻き込み、地域の真の魅力を再発見し、地域の良さを自分事化する。そうした場やプロセスこそが郷土教育であり、真の郷土愛を育む。
 デジタル化の進展に伴い、知識の共有はテクノロジーに代替される。しかしそのような時代だからこそ、これからは、人間そのものの付加価値がより一層求められるようになる。地域の活性化のカギは、産業・観光地・企画といった物理的なものではない。地域の外へ向けて、その地域に根差す本質的な魅力を発信できる人材を一人でも多く育成することだ。
 こうした人材こそが、老若男女を問わず、広く人々を引き寄せ、地域の付加価値を高め、地域の活性化の起爆剤になる。漠然としたイメージではなく、言葉で地域の魅力を発信し、多くの人々が共感する未来図を示すことができるリーダー人材が、地域を支えていく時代となる。その人材育成の根底にあるものが郷土教育だ。
 歴史や文化を知り、覚えることが郷土教育ではない。地域の歴史や文化との対話を通して地域の課題を自分事化し、未来に導いていく人材の育成こそが、過疎化する地域に最も必要な要素であり、そのような人材を育てることが郷土教育だ。教育内容と教育方法の双方とも、抜本的に見直す時期に来ている。

 


2018年10月1日号 週刊「世界と日本」第2134号 より

地域活性の鍵は「食」にあり
―「ガストロノミーツーリズム」で世界の胃袋を掴め―

 

(株)ANA総合研究所取締役会長
(一社)ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構専務理事 小川 正人 氏

《おがわ・まさと》 1954年生まれ。78年慶応義塾大学経済学部卒業後、全日本空輸(株)入社。広報室長、秘書室長、執行役員営業本部副本部長、2011年上席執行役員名古屋支店長を経て、15年4月より現職。ANAグループの基盤である地方活性化に邁進している。(公社)日本観光振興協会国内観光促進委員会委員長。

 2017年の訪日観光客数は、2869万人を突破し、東京オリンピックが開催される2020年の目標とされる4000万人は指呼間(しこかん)となってきた。
 旅行形態も、団体型で旅行代理店が仲介する、いわゆる「BtoB」から、施設が直接ホームページで集客する「BtoC」を経て、今や、ツイッターやインスタグラム等のSNSによる口コミで観光客が集まる「CtoC」が主流になってきている。
 最近では、長野県山ノ内町の温泉に入る猿「スノーモンキー」や、山口県長門市の小さな岬に数百の鳥居が並ぶ「元乃隅(もとのすみ)稲荷神社」など、インスタ等の情報をチェックして、アクセスの悪い所にも数十万単位で外国人が押し寄せている。
 今や地方からの訪日旅行客へのアプローチは、第2段階に入ったと言えるだろう。これからの課題は、こうした、いわゆるいちげんの外国人等にいかにリピーターになってもらい、長期に滞在してもらうか、ということである。
 点を面に変え、地域に長期滞在させる有効な解決策の1つが「ガストロノミーツーリズム」である。その土地の気候風土が生んだ食材・伝統・歴史などによって育まれた「食」を楽しみ、その土地の食文化に触れることを目的とする。国連の世界観光機関(UNWTO)が地域社会の持続可能な発展、雇用の促進を果たすうえで重要な役割を果たすとして推奨しており、欧米を中心に多くの取り組みがなされている。
 UNWTOは、ガストロノミーツーリズムの優位性を次のように述べている。
 (1)地域の特色を生かすことで、他地域と差別化することが可能
 (2)観光客に新たな価値観、体験を与えられる
 (3)観光資源が未開発な地域でも取り組める
 (4)旅行内容の紹介が容易で、ストーリーを語りやすい
 (5)地域のブランド力を高め、再訪意識を高められる
 海外での成功例をいくつか述べよう。
 まずは、フランスの東の端、ドイツ、スイスとの国境地帯にある美しい地域アルザスの例である。アルザスは、約180万人の人口の地域に約1800万人の観光客が訪れる世界有数の観光地である。西はヴォージュ山脈、東はライン川に囲まれた細長い地域であり、ワイン畑と点在する村々、木組みの家がそのまま残る美しい町並みは、それだけで一見に値する風景である。
 その地域に大小1000以上、主なものだけでも100を超えるワイナリーと30のミシュランの星付きレストランがある。同地を訪問する理由を観光客に尋ねると、第1位の伝統的な街並みが広がる風光明媚な村を訪ねる(61%)に続き、食とワイン(43%)が第2位に入っている。
 村ごとにあるワイナリーは、どこもホスピタリティにあふれ、試飲の後に説明を受け、ワインを購入することができる。気の利いたグッズや自家製のチーズ等も販売している。この結果、販売額の約6割が店頭での販売という。
 フラッグシップレストランである「オーベルジュ・ド・リル」は、シェフの中のシェフと言われるマルク・エーベルランの下、親子2代で50年以上もミシュランの三ツ星を取り続けている。同地方のイローゼンという小さな村にあり、アクセスが悪いにもかかわらず世界中から客が訪れ、半年先まで予約が一杯という。
 自治体も努力している。各村々を花で飾り、ランクをつけて奨励している他、シーズンである6~9月には、毎週末ワイン畑の絶景の中を歩きながら、各ポイントでワインを飲み、お腹いっぱいのアルザス料理を食べる「ガストロノミーウォーキング」というイベントも実施される。有料だが毎週300~500人が楽しんでいる。
 また、スペインのバスク州の北部にあり、ビスケー湾に面し、フランスとの国境にあるサン・セバスチャン市は、美しい避暑地として知られるが、一方でガストロノミーの聖地として有名である。4つの三ツ星レストランを持つ高級レストランの宝庫だが、この町をひときわ有名にしているのが、ピンチョスである。
 ピンチョスとは、小さく切ったパンに少量の食べ物がのせられた軽食のことである。海の幸をはじめとして様々な食材が豊富なこの町には、実に多種多様なピンチョスがあり、食欲をそそる。ずらっと並んだ飲食店は、それぞれ特徴のあるピンチョスを揃えており、それを立ち飲みのワインやビールで楽しむのである。談笑しながら1つの店にじっくりいても良し、少しずつ楽しみながらはしごしても良し、そんな夜の過ごし方が多くの観光客を惹きつけているのである。
 日本でも成功例が出てきている。観光庁の調査によると、訪日外国人が訪日前に期待する第1位が、日本食を食べることである(約70%)。あとはこれを地方に持っていくだけである。
 外国人に人気の飛騨高山では、飛騨地酒ツーリズム協会が所属する12の酒蔵の外観を古い町並み風に揃え、英語での説明や試飲、販売を行っている。作った酒は、ほとんど問屋や小売店に収める酒蔵が多い中、地域の酒蔵が揃って観光を意識した店づくりをする例は珍しい。
 また、加賀、山中温泉の「かよう亭」は、10室しかない高級料理旅館だが、世界47カ国から訪れる客で年間稼働率80%以上を誇っている。日本の代表的なオーベルジュといえよう。
 観光庁のテーマ別地方誘客事業に選定された「ONSEN・ガストロノミーツーリズム」は、アルザスのガストロノミーウォーキングに想を得て、温泉地を拠点に日本酒を飲み、土地の食物を食べながら、ゆっくりと歩くウォーキングで、2017年に開始以来、地方の温泉地での開催は26回を数え、5000人以上が参加している。
 日本の旅行消費額は、観光庁によると、2018年で日本人約21兆円、外国人4兆円の計25兆円である。日本人は横ばいだが外国人のそれは、高い伸び率を見せている。外国人にさらに地方に来てもらい、この恩恵が及ぶためには、政府の後押しも必要である。
 既成概念を排し、日本各地に3000以上ある温泉地の町並みを整備したり、1300ある酒蔵を、生産拠点から観光拠点としての魅力を持たせ、町並みに組み込むよう奨励していくことも重要である。地方にガストロノミーを中心とした個性と魅力を持たせて訪日客を呼び込み、長期滞在に結びつけることは、新しい国家プロジェクトと言えよう。


2018年7月2日号 週刊「世界と日本」第2128号 より

涼風インタビュー
「魁のまち・水戸」めざして

 

茨城県水戸市長 高橋 靖 氏

 

 水戸市は、東京から100キロメートルの距離にある、関東平野の北東端に位置する茨城県の県庁所在地。古くから交通の要衝の地にあり、水戸徳川家の城下町として繁栄し、以来、行政、経済、文化等の都市機能を集積しながら発展してきた。この特色ある水戸市を、多彩な事業展開でけん引し続けるリーダー、高橋靖水戸市長に話しを伺った。


《たかはし・やすし》
1965年茨城県水戸市塩崎町生まれ。日本大学法学部卒業。明治大学大学院政治経済学研究科修士課程修了。衆議院議員秘書。95年水戸市議会議員(3期)。2005年茨城県議会議員(2期)。11年水戸市長に就任。現在2期目。

偕楽園(好文亭)
偕楽園(好文亭)

―水戸市の特徴は?
 県内最大の人口を有し、商業・サービス業を中心とする第3次産業に特化した産業特性を持つ。年間商品販売額および小売業店舗数、商圏人口は県内最大規模を誇る。
 また、主要路線のJR常磐線をはじめとした複数の路線が乗り入れているほか、常磐自動車道と北関東自動車道の2つが通るアクセス性の良さもある。茨城空港や茨城港が近接するなど、陸・海・空の広域交通ネットワークも形成されており、国内外につながるゲートウェイとしての機能を有している。
 水戸市には、日本三名園の一つである偕楽園や弘道館をはじめとして、歴史的にも貴重な史跡が数多く残っており、これらの地域資源を活かした風格ある歴史まちづくりにも注力している。
 以外かもしれないが、「オセロ発祥の地」でもある。2016年に開催された「第40回世界オセロ選手権大会」を契機に、大規模市民イベントの開催や国内タイトル戦の誘致を展開するなど、オセロをツールとした水戸のまちの魅力向上に取り組んでいる。

 

―市長として、新規事業を展開する原動力は?
 私は、11年の東日本大震災直後の混乱の中、多くの市民の負託を受け、水戸市長に就任した。最重要課題として、大きな被害を受けたまちの復旧・復興に全庁一丸となって取り組んだ。
 また、私は、生まれ育ったまち・水戸に恩返しをしたいとの思いから政治の道を歩んできた。市民が抱く不安を払拭し、安心を肌で実感できるまちづくりを進め、全ての市民が安心して暮らすことのできるまちを実現したいとの強い思いが原動力となっている。

 

―観光の振興について、特に力を注いでいることは?
 水戸市では、日本遺産である「偕楽園」や「弘道館」など水戸徳川家ゆかりの歴史、水戸芸術館から発信される芸術文化、市街地に残る千波湖の水や緑をはじめとした多くの自然など、水戸ならではの豊かな魅力を有している。
 現在、2023年度の観光交流人口450万人の目標達成に向け、これら観光資源を効果的に活用しながら、水戸を代表する「水戸黄門まつり」や「梅まつり」など、各種まつりの魅力向上やイベントの展開に取り組んでいる。
 水戸ならではの資源を磨き上げ、魅力ある観光拠点の形成を推進し、さらには、インバウンド観光にも力を入れている。これまでの観光交流人口の推移を見ると、東日本大震災の影響で11年には大幅に減少したが、16年には約374万人と順調に増加している。
 このことは、既存の祭りの魅力を高め、「水戸まちなかフェスティバル」や「水戸黄門漫遊マラソン」等の新規イベントを開催するほか、外国人観光客の受入体制の整備や積極的なプロモーションを展開するなど、新たな集客を図ってきたことが大きな要因と考えている。
 あわせて、プロスポーツチームの「水戸ホーリーホック」や「茨城ロボッツ」との連携によるホームゲームへの誘客促進とともに、戦略的な情報発信として、フェイスブックやYouTube等のSNSの活用、マスコットキャラクター「みとちゃん」を活用したPRによって、相乗的に本市のイメージアップを図ってきたことも、誘客効果があったものと考えている。
 今後のさらなる観光交流人口の増加に向けては、多様化するニーズを捉え、黄門まつりリニューアルをはじめ、コンベンション誘致や魅力ある食文化の発信に努める。
 また、水戸城大手門の復元等による弘道館・水戸城跡周辺地区における歴史まちづくりをはじめ、“いつでも、来て、見て、楽しめる”観光拠点の形成に取り組んでいきたい。

千波湖南側から偕楽園を臨む
千波湖南側から偕楽園を臨む
弘道館全景(旧水戸藩の藩校)
弘道館全景(旧水戸藩の藩校)

―水戸市の将来ビジョンは?

 東日本大震災からの復旧・復興はもとより、少子化に伴う人口減少、超高齢社会の到来など時代の課題に対応できる自主・自立した水戸市をつくっていくため、14年に将来的なまちづくりビジョンとして策定したのが、「水戸市第6次総合計画―みと魁(さきがけ)プラン」である。
 このプランでは、「笑顔にあふれ快適に暮らせる安心都市」、「未来に躍動する活力ある先進都市」、「水戸ならではの歴史、自然を生かした魅力ある交流都市」という3つの都市づくりの基本理念のもと、将来都市像に「笑顔あふれる安心快適空間 未来に躍動する 魁のまち・水戸」を掲げている。
 水戸らしさの原点ともいうべき、歴史と伝統、そして、郷土を愛する心を軸とした先人の思い、英知を敬い、私たち市民が何事にも魁の精神で取り組んでいくとの思いを込めている。
 また、特色として、新たな目標数値に「観光交流人口」、「生活圏交流人口」を設定したほか、時代の変化に対応できるコンパクトな都市構造を展望した都市空間整備構想、水戸の成長と発展の礎となる人づくりや交流人口の拡大と活性化による経済の活性化を目指した4つの重点プロジェクトを打ち出した。
 「みと魁プラン」の着実な推進により、福祉・教育をはじめ、産業経済、医療、防災、社会基盤など、様々な分野にわたり大きく進展させることができたものと自負している。しかし、いまだ道半ば。引き続き、まち自体の個性と魅力、活力を高め、あらゆる分野にわたり、先進的な発展をリードできる力強い水戸市をつくっていくため、市民とともに、プランの実現に全力で取り組んでいきたい。

 

―県の中心都市として、今後水戸市が果たす役割について。
 水戸市は、08年に近隣8市町村とともに県央地域首長懇話会を設立し、広域観光の推進や環境問題に取り組んできた。現在、人口減少など、地域が抱える共通の課題を検討し、定住促進や地域活性化を目的とする定住自立圏の取組を推進している。
 また、20年の県内唯一の中核市移行に向けた準備を進めており、本市の都市力強化を図ることはもとより、水戸都市圏のリーダーとして、県央地域全体の発展と住民福祉の向上につながる波及効果を生み出していきたい。
 人口減少、超高齢社会が進行する中、様々な施策を力強く進め、将来にわたって持続可能な魁のまち・水戸の実現をめざしていく。


2018年1月15日号 週刊「世界と日本」第2117号 より

梶山 弘志 地方創生大臣への提言
日本の温泉地を「食」で元気に!

 

(株)ANA総合研究所取締役会長
(一社)ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構専務理事 小川 正人 氏

 日本の地方が、インターネットで世界と直接つながる時代になった。インバウンド6000万人時代を見据え、観光の持つ大きな経済効果が、現実のものになってきた。各地に3000以上ある温泉地は日本の地域の財産であり、キラーコンテンツでもある。温泉地に世界から多くの人を迎えるための攻めの政策が必要である。
 CNNの「一生で一度は行きたい風景」等にアップされた、123基の鳥居が連なる山口県元乃隅稲成神社は、お世辞にもアクセスがいいとは言えないが、外国人を中心に年間50万人を超える観光客が訪れる。長野県地獄谷の温泉に入る猿や、北九州河内藤園なども同様である。
 このように観光客の流れは、いわゆるBtoB(Business to Business)からBtoC(Business to Consumer)を飛び越えて、一気にCtoCの時代に突入している。地域の素晴らしいコンテンツを体験した人が、インターネットを通じて発信し、これに様々な方がSNS等を通じて「いいね」と賛同してくれれば、多少アクセスが悪かろうが、世界中からお客様が来てくれる時代になったのである。
 このような、CtoCの時代には、地道に見えても真に魅力ある地域(=コンテンツ)をつくって世界に発信していくことが何よりも重要である。行政の役割はこうした地域づくりへの支援を行い、温泉地を美しく再生させるための政策をつくり、予算を投入することである。また、世界の人がこぞって活用しているスマホ決済や、シェアリングエコノミーなどへの対応の支援も必要である。
 欧米では、観光は既に大きな経済の柱として位置づけられており、なかでも「食」「ワイン」等は、大きな観光の中心に据えられている。フランスのアルザス地方は、ドイツとスイスの国境にあり、西はヴォージュ山脈、東はライン川に囲まれた細長い地域である。ここに100を超えるワインセラーと30の星付きレストランがある。
 北に州都ともいえるストラスブールがあり、南に宮崎駿の「ハウルの動く城」のモデルにもなった美しい街コルマールがある。ここに年間1200万人もの観光客が訪れるのである。観光にも大変力を入れており、それぞれの町を花で飾り、コンテストを実施するなど美しさを競わせている。
 6月から9月までの観光シーズンには、毎週末にガストロノミーウォーキングを実施し、各回、300~500人が参加している。参加者は、ワイン畑の絶景の中を歩きながら、アルザスワインを飲み、地元の食材をふんだんに使った料理を堪能している。
 車を規制し、トラム(路面電車)を走らせ、町の中心部は歩くようにさせている。各町を花で飾り、市庁舎では蜜蜂を飼うなど町づくりにも力を入れている。
 そうなると経済波及効果も大きい。あるワインセラーに話を聞くと売り上げの60%が直接店で売れるそうだ。残りは25%がレストランに納入、15%が輸出とのこと。流通経費がいらずに小売できるので利益も大きい。観光と産業の相乗効果が生まれているのである。
 このような美しく環境の良い都市には、企業も進出する。三菱重工、リコーなど日本企業も含め多くの企業が進出している。一方、日本の酒蔵は90%が流通へ出荷し、酒蔵自体が販売している所は稀である。多くは観光との相乗効果は生まれていない。
 私は、ここ数年ANA総研の会長として地方活性化に取り組んで来たが、地域には、差別化できるコンテンツが必要であると、かねがね考えてきた。そのなかで導き出した回答が、インバウンド向けのキラーコンテンツともいえる温泉を拠点に、食、酒、各地の絶景を歩いて楽しむONSEN・ガストロノミーウォーキングである。
 昨年9月に地域活性化に力を入れているANA総研やぐるなびが中心となり、別府市、長門市、弟子屈町等の温泉を持つ自治体の首長に発起人を買って出ていただき、温泉を所管する環境省の協力を得て、「一般社団法人ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構」を立ち上げた。
 実質初年度となる昨年は、全国13カ所でONSEN・ガストロノミーウォーキングを実施した。アルザス発祥で、欧米で人気のあるガストロノミーウォーキングに想を得て、温泉地を起点に、地元の美味しいものを食べ、地酒を楽しみながら、ウォーキングの目線で、各地の絶景、歴史、文化を楽しむというものである。
 参加者の年令が多岐にわたっていて、女性のグループやベビーカーを押したファミリー、ネットで知ったという学生や外国人など様々な方々が自分のペースで歩き、各地の絶景を見ながら、地元で調達した食に舌鼓を打ち、酒を楽しんだ。最後は、温泉でリラックス・・・参加者は、大満足である。
 実施に当たって、スタッフといろいろな温泉地に伺ったが、山あり、海あり、田園風景あり、日本の地域の景色の多様性と美しさには、改めて感動の思いであった。食の方も各地が独自の個性を持っており、肉あり、魚あり、新鮮な旬の野菜あり、地元の湧水で作られた美味しいお酒あり、これらの豊かさ、多様性も世界に誇れるものである。
 一方、バブルの残滓(ざんし)ともいうべき廃業した旅館や、放置された廃屋が景観を阻害しているし、車中心の町づくりの結果、歩く旅行者にとって不親切な所も多い。実に惜しいと思う。温泉地の多くが国立公園と重なっており、景観整備の観点から、予算をもっと使いやすくするなど地域に応じて柔軟に活用し、さらに充実したものにすべきである。
 ONSEN・ガストロノミーウォーキングは、日本に3000以上ある温泉地の素晴らしさを世界に発信するコンテンツである。このコンテンツを充実させてonsenという言葉をninjaやsushiなどと同様に世界に定着させていきたい。
 点を面に変えて、外国人が行きたくなり、さらには長期に滞在したくなるような美しい温泉地をつくり、かつての湯治文化を取り戻したいと思っている。
 インターネット時代の技術者は、よりよい環境で働くことを求めている。いつか、アマゾンやグーグルのアジア本社が、大分県の別府や岐阜県の飛騨高山に来ることも夢ではないと考えている。


2017年12月4日号 週刊「世界と日本」第2114号 より

「大政奉還150周年記念」に思う

 去る10月14日は、150年前の慶応3年(1867年)に、江戸幕府15代将軍德川慶喜が天皇に対して、「従来之旧習を改め、政権を朝廷に帰し奉り」と上表した、いわゆる「大政奉還」を行った日にあたる。
 この日を記念し、「大政奉還150周年記念委員会」が設立された。「岡山県高梁(たかはし)市」が主催、「山田方谷を広める会」「岡山県・二松学舎大学」「山田方谷の志を学ぶ国会議員連盟」が後援し、二松学舎大学「中州記念講堂」を会場とし、300人の出席者が集い、記念行事が開催された。
 その趣旨は、大政奉還の時代と現代が、混迷の時代として類似していないか。大政奉還の志を、将来への礎とする。大政奉還と縁故を持つ都市の連携、その志を語り継ぎ、地域活性化に繋げていくこと。
 今から150年後の未来志向を企図するもので、この趣旨に沿って、德川慶喜の曾孫、水戸德川家15代当主である德川斉正氏が「大政奉還150周年に思う―水戸德川家を貫くもの」と題して基調講演を行った。
 なお、基調講演が行われた後、山田方谷の直系子孫である野島透氏がコーディネーター、德川家広氏(德川記念財団理事)、板倉重徳氏(板倉勝静(かつきよ)〈大政奉還時老中首座〉子孫)、山本博文氏(東京大学史料編纂所教授)、一坂太郎氏(萩博物館資料室長)をパネリストとするパネルディスカッションが行われ、その後の「未来志向の大政奉還」を参加者一同が確認した旨の東京宣言、大橋洋治記念委員会共同会長(ANAホールディングス(株)相談役)による閉会挨拶で会は閉じられた。

撮影:スタジオ.ライト.ハウス郡山貴三

水戸德川家を貫くもの

基調講演
水戸德川家15代当主 德川 斉正 氏

 

  水戸の德川斉正です。ご承知の通り、家康公が我ら一門の祖で、その11番目の末っ子が頼房(よりふさ)公であり、水戸德川家の初代となる。その15代が私で、その手前14代圀齋(くになり)が父、その1つ前の13代圀順(くにゆき)が祖父。そして、その連れ合いが、慶喜公の11番目の娘。つまり、最後の将軍は曾祖父となる。
 初代の頼房公は、非常に豪放磊落な方で、家康公の制止も聞かずに、お堀で泳いだり、けんかが強かった。
 そういう性格を見抜いたのか、家康公は、「膝下に置いて懐刀といたせ」と、いわゆる参勤交代のない江戸定府とし、領地は、常陸国の水戸25万石となった。頼房公は京都御所に4回も参内した。この4回の参内の背景には、乳母「武佐(むさ)」(後陽成天皇の女御・中和門院前子(さきこ)の女官)の存在とその影響があり、頼房公には「将軍は我らの親類頭であるが、主君は天皇である」、という意識があった。
 その実子光圀公だが、実は兄がいた。それが頼重公で、京都の公家から後に、讃岐高松松平家15万石の初代藩主となった。
 光圀公は明暦3年(1657年)の冬ごろから、司馬遷の『史記』の「伯夷(はくい)伝」を読んで非常に感銘を受け更正し、『大日本史』を編もうと決断。この事業は光圀公の時代には完成せず、明治39年まで編纂が続けられた。隠居した時、権中納言の位を授けられた。中国で権中納言相当の人間は黄色い門から宮殿に入るので、黄門様と呼ばれるようになる。なお、黄門様の印籠の本物は、水戸の德川ミュージアムに展示している。ぜひご覧になってください。
 9代藩主齋昭(なりあき)公は、水戸の偕楽園をつくった。「我等は三家・三卿の一として、幕府を輔翼すべきは今更いふにも及ばざることながら、若し一朝事起りて、朝廷と幕府と弓矢に及ばるるが如きことあらんか、我等はたとひ幕府に反くとも、朝廷に向ひて弓引くことあるべからず。是は義公(光圀公)以来の家訓なり。ゆめゆめ忘るることなかれ」と実子慶喜公に伝えている。


 さて、慶喜公は齋昭公の7男坊で、一ツ橋家に入り、将軍となった。私の大叔父が慶喜公に「なぜ大政奉還をなさったのか」と訊いたところ、「あの時は誰がやっても、ああなったんだよ。ああするしかなかったんだ、と答えた」と聞いている。慶応3年(1867年)に慶喜公は31歳で大政奉還をした。
 幕末には、官軍側にも幕府軍側にも、非常に血の気の多い尖った連中がたくさんいた。そこさえ整理がつけば、あとは日本人同士仲良くやればいい。鳥羽伏見の戦いの最中、幕府の後ろ盾になっていたフランス軍のレオン・ロッシェ総督と会って「自分はこれ以上戦わない」と宣言する。
 薩摩はイギリス軍、幕府はフランス軍。日本人が代理戦争をすれば、どっちが勝っても、どちらかの国の植民地になってしまう。あるいは、東日本と西日本に分けられ、「ボンジュール」「ハロー」が交わされたかもしれない。
 それは慶喜公も重々承知していたし、朝廷方も、承知していた。だから、そろそろ手を打つぞとなった。
 明治8年に明治天皇が、島津家より先に水戸家にお越しになられた。「花ぐわし 桜もあれど此やどの 世々のこころを 我はとひけり」という御製をお詠みになられている。
 明治天皇のお感じになった大政奉還とは別に、大政奉還150年を迎えた今、慶喜公への評価とは関係なく、「ああするしかなかったんだ」という言葉を、深く吟味していく必要があると思っている。

山田方谷と備中松山藩

 土佐藩の山内豊信(容堂)が「大政奉還建白書」を提出、その後、慶喜が二条城に10万石以上の大名を招集し、諮問した上で「大政奉還」は実行された。
 この過程で、備中松山藩は大きな役割を果たした。10月14日に行われた記念行事に、その足跡をみることができる。
 「建白書」を受け取ったのは、松山藩主板倉勝静。当時、勝静は老中を取りまとめる老中首座の職にあった。建白書の受け取りから諮問までの過程で交わされた議論の中で中心的役割を果たした勝静を支えたのが、漢学者山田方谷。
 方谷は藩の財政責任者に登用され、藩政改革を断行。その改革が評価され、勝静は幕政へ参画できたとも言われ、その勝静を真に支えたのが山田方谷であった。
 そしてこの方谷の下、多くの弟子を輩出したが、その一人が三島中洲であり、中洲はその後、漢学塾「二松学舎」(現二松学舎大学)を明治10年に創立している。
(記・千葉榮爾)

2017年10月16日号 週刊「世界と日本」第2111号 より

「ともに創る ともに育む」まちづくり

金沢懇談会

 

石川県野々市市長 粟 貴章 氏

 内外ニュース金沢懇談会9月例会は21日、ANAホリデイ・イン金沢スカイで行われた。「選ばれる“まち”をめざして」と題し、石川県野々市市の粟貴章市長が、市の歴史から、現状、まちづくりの課題、取り組みまで、「少しでも皆さんに野々市に関心をもってもらいたい」と熱く語った。(講演要旨は次の通り)

《あわ・たかあき》
1960年石川県野々市町(現・野々市市)生まれ。83年日本大学法学部卒業。84年参議院議員秘書。91年石川県議会議員(3期)。2007年野々市町長に就任。11年野々市市長(市制施行で町長2期目より初代市長へ)。現在、町長時代より通算3期目。

 

産学官連携により新たな価値を

 野々市の現状から紹介すると、面積は13.56平方キロメートルで、石川県の面積の0.32%を占める。人口は、平成27年の国勢調査で5万5099人。石川県で一番人口密度が高く、かつ人口は増え続けている。金沢工業大学や石川県立大学があることから、若い人が多い。
 「野々市をどう思っているか」と、私が町長になった時に住民の皆さんに聞いたところ、若干自分の町への愛着が薄いのではないか、と感じた。
 新しい人が野々市に来られ、野々市の歴史をあまり理解していないからではないかという思いもあり、皆さんに歴史を意識してもらえる活動をしてきた。
 市北部にある御経塚(おきょうづか)遺跡は、今から3000年から3500年前の史跡と言われているが、縄文時代の後期から晩期、野々市に集落があり、人が住んでいたことを現している。
 また、野々市の地名の由来だが、鎌倉末期の『三宮古記』という書物に「野市」と書いてあり、これが転じて野々市になったと言われている。
 中世の石川県、金沢を中心とした地図では、北陸道と、金沢から白山本宮に続く白山大道が交差するところが野々市で、当時から賑わいのあった交通の場、要衝として栄えてきた。
 700年ほど前に、鎌倉幕府を倒した足利尊氏に従って手柄を立てた富樫高家が、1335年にこの加賀の国の守護となり、1488年まで野々市に守護所を置いた。
 富樫の系図も含め、中世の野々市のイメージがもてるように漫画本を刊行したが、さらに富樫の研究を深め、皆さんにわかりやすくお知らせできるようにしていきたい。
 野々市は平成23年11月11日に、単独で市制を施行した。野々市の歴史や先人のアイデンティティを我々が引き継いでいかなければ、市制を施行した意味がなくなるのではないかという思いがある。とりわけ歴史の中から、今を生きる我々が何をしていかなければならないかを、市民の皆さんと一緒に考えていきたい。
 市になった時に総合計画を策定したが、その時に市民の皆さんが、野々市のことをどのように思っているかアンケート調査をした。その結果、「明るい町」や「便利な町」ととらえている人が非常に多かった(図1参照)。その反面、野々市の特徴や、一体何が有名なのかを、はっきり言える人が少ないという状況もあった。
 また、東洋経済新報社の『都市データパック』という本では、毎年、全国の都市の、安心度、利便度、快適度、住居水準充実度などを中心とした「住みよさランキング」が発表される。野々市が町から市になり、ランキングの対象になった時に、いきなり総合で2位になった。今は、それが5位か6位になっている(図2参照)。
 これらのデータから見えてくる課題として、野々市に住んでいる人に、ずっと住み続けてもらえるような、しっかりとした政策をつくっていくことと、「住むなら野々市」と選んでもらえる努力をしていかなければならないと感じている。

図1
図1
図2
図2

 野々市市の第一次総合計画には、「ともに創る ともに育む」というサブタイトルをつけた。野々市には新しい方もおり、地域に対する愛着が少し希薄なところがあるので、これから一緒に自分たちの町を作っていこう、町づくりに参加していただこうという思いでこのタイトルにした。
 総合計画の基本的な考え方を3つにまとめた。
 1つ目は、「市民協働のまちづくり」。具体的に言うと、市が主催する会合や地元の行事に参加するなど、自分のできることを少し前進させてほしいという思いで、これを推進している。
 2つ目は「野々市ブランドの確立」で、単にブランド性の高い商品を作るだけでなく、野々市の人や物、他の人に紹介できるようなものをたくさん作っていきたいという思いで、1つの柱にしている。
 3つ目は「公共の経営」で、お客様のことを考えて商売されている民間企業の発想を取り入れ、行政を経営していきたいと考えている。
 総合計画の具体的なプロジェクトは、大きくは3つに重点を置き、施策の展開を行っている。
 1番目が「やってます! 市民協働プロジェクト」で、嬉しいことに市民の皆さんが自発的に取り組んでいる事業が、市内にたくさんある。
 その1つが、旧北国街道に昔のような賑わいを再現しようという「北国街道 野々市の市」というイベントである。行政からはほとんど補助金は出さずに、沿道の人たちが中心になって企画した。
 また、金沢工業大学をはじめとした学生や地域の方が協力し、食の魅力を発信する「トミシェ」というイベントもある。さらに、地域住民や学生の協力の元、古いお店をリノベーションした本町の「2丁目カフェ」などのコミュニティカフェが開設され、今、地域の皆さんに非常に活用されている。
 2番目が「応援します! 産業づくりプロジェクト」で、企業や大学と連携し、野々市ならではの基幹的な産業を根付かせていく産業づくりに取り組んでいる。
 1つの例が、金沢工業大学の「アントレプレナーズラボ」(写真参照)で、起業家や起業を希望する人がこの場を利用し、さまざまな試みを展開している。
 3番目が、市民が活躍できるような地域づくりを目的とした「つくります! 活躍の場所プロジェクト」だ。
 これまで行政だけの取り組みであった事業を、民間と連携するPFI(Private Finance Initiative)事業として、小学校や給食センターを整備した。
 現在は、旧北国街道に新しい図書館をつくるなど、本市の中央地区を再整備するための事業を展開している。
 これからは市民と行政、行政と企業、行政と行政など、さまざまな取り組みの中で連携をしなくては、新たな価値の創造はあり得ない。
 そのため、それぞれの役割をしっかり果たしながら連携を強化していく、こうした姿勢が大事ではないかと思っている。

金沢工業大学「アントレプレナーズラボ」
金沢工業大学「アントレプレナーズラボ」

2017年6月19日号 週刊「世界と日本」第2103号 より

「本屋、はじめました」

人が行き交う、本屋という空間

 

書店「Title」店主 辻山 良雄 氏

撮影:齋藤陽道
撮影:齋藤陽道

《つじやま・よしお》 1972年神戸市生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、㈱リブロ入社。中核店舗の店長を経て池袋本店統括マネージャー。2015年同店閉店後退社。2016年荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店「Title」をオープン。『朝日新聞』書評、カフェや美術館のブックセレクションも手掛ける。著書は『本屋、はじまめました』(苦楽堂)。

 

 Title(タイトル)は、東京都杉並区の荻窪駅から西に歩くこと10分と少し、青梅街道沿いにある新刊書店です。築70年の古民家を改装して作った店で、1階は本屋とカフェ、2階がギャラリーになっています。
 オープンしてちょうど1年経った2017年1月10日、出版社の苦楽堂より『本屋、はじめました』という本を上梓しました。前職の大型書店の話から、店をオープンするにあたっての細かな準備の話、店を開いてみて考えたことなど・・・。
 そうして刊行された本は、出版関係者のみならず、何かを自分で始めたい人や、自分の生き方を見つめ直したいと思っている人など、様々な人に手に取って頂いているようで、「本を読んで来ました」と店頭でお声かけされることも増えました。
 「一冊の本を書くということは、こんなにも多くの人との繋がりをつくるのだ・・・」ということを、本屋を経営している身でありながら、改めて思い知らされる日々です。
 「こんなに本が売れない時代に、よく個人で新刊書店を開きましたね」と店を開店する前も、開店してからも、事あるごとによく言われます。確かに本が売れなくなったということは、数字だけ見ればその通りで、伝えられている書籍の売上金額は毎年、前年の数字を割りつづけ、閉店する「町の本屋」の話も後を絶ちません。
 しかし店頭に立っていると、それでも売れている本は数多く、本を買う人は何冊もまとめて買っていかれます。つまり昔とは違い、本は嗜好品となり、誰もが本を買う時代ではなくなっているということでしょう(現にTitleの前の通りも人通りはありますが、ほとんどの方は素通りします)。
 それならば、本を買う人にきちんと情報を届け、そうした人に、どこからでも来てもらえるような店づくりをすればよいと思いました。
 Titleのホームページには「毎日のほん」というコーナーがあり、そこでは毎朝、本を1冊紹介しています。これは毎日行うことに意味があります。
 これだけ情報にあふれている現在では、「この人は何かしらそれにかけている」ということが伝わらないと、人の心は動かせません。ましてや店舗まで足を運んでいただくことはできません。
 Titleではこの「毎日のほん」以外にも、その日に入った本も数冊、SNSを通じて紹介していますが、絶え間なく本の紹介をすることで「この店はこうした本に力をいれているのだ」と、それを見る人にわかってもらえます。
 「昨日、紹介されたこの本はありますか」と店頭で聞かれることも多いのです。同じ紹介文はオンライン・ショップにも使用しているので、紹介した本は店に来た人だけでなく、住む地域を問わずにご購入いただいています。
 Titleのお客さまは、もちろん店の周りに住んでいる方が中心ですが、「Titleが出す情報」を媒介とするならば、あらゆる地域に住む方が、お客さまの対象になってきます(出張のついでに店に足を運んでくださる方もいれば、インターネットで本を買うリピーターの方もいます)。
 インターネットは本の敵だという意見もありますが、宣伝にお金をかけず、レジやオンライン・ショップのシステムも安価に利用できることを考えると、それをうまく使えば個人で店を開くというハードルを下げることができると思いました。
 他の大型店や、ネット書店でも売っているような本を、「どうせならこの店で買いたい」と思ってもらえる店になるためにはどうすればよいのでしょうか。
 それには当たり前ですが、「本」のことをよく知る必要があります。
 たとえば普段の食事はファストフードで済ます人も、大事な日には料理に精通した、丁寧な仕事をする店を選ぶと思います。本も同じで、「この店の人はこの本のことをわかって並べている」と思わせる店では、自然とお客さまの財布の紐も緩んできます。
 本の紹介はそれに適した言葉か、本がきれいに並べられているか、隣に置かれている本との違和感はないか、それを見つけた時に、落ち着いた環境であったかどうか・・・。当たり前のことばかり書きましたが、特に必要ではなかった1冊の本を、店に来た人が買おうと思うには様々な要因があり、本に付加価値を付けるのは、その店次第ということだと思います。
 Titleは東京の外れにある店ですが、お客さまには本に関する体験を深めて頂こうと、著者を呼んでのトークイベントも頻繁に行っており、2階のギャラリーでは作家の生原稿や原画を展示しています。
 店が本屋だけであれば、本を買えばそれで用事が済みますが、その本に関して誰かが熱く語るのを聞き、その本から広がる世界を「展示」という形で見ることは、また別の体験です。
 トークイベントのあとは、店のそこかしこで何となく小さな輪ができて、先ほどまで話されていたことについて、お客さま同士が感想を言い合ったりする姿をよく見かけます。その体験が忘れられず、イベントに何度も足を運ばれるお客さまも多く、そのお客さまが好みそうなイベントがあるときは、前もってこっそりとお教えすることもあります。
 Titleくらいの小さな店であれば、積極的にお客さまに話しかけなくても、自然な雰囲気で会話が進みます。そうした空間の中ではお客さまも消費者というよりは、一人の人格を持った個人として見えてくるので、店を続ければ続けるほど、本を通じて知り合った人が増えていくという感覚でしょうか。そこでは、著者も読者もあまり関係はなくなってきます。
 店は本を売ることでお金をいただき、それを生活するための「商売」として行っていますが、どうやらそれだけではないような気がしてきました。
 お金の授受だけではなく人間性の交換、そうしたことがどこかにないと個人の店はうまくいかないのではないかと思います。それは、個人の店は「安さ」「便利さ」だけで、お客さまとつながっているものではないからです。利便性でつながっているだけでは、もっと安くて便利なものができれば、すぐにそちらに流れていきます。
 それよりは店に来るお客さまのことを知り、その上で商品のことをよく知った、血の通った店であることが求められますし、店をやっていても楽しいでしょう。そうした人の行き交う本屋を目指して、これからも本を売り続けていこうと思います。

 


2017年4月3日号 週刊「世界と日本」第2098号 より

地方創生と地域活動

お酒でつながる福島と山口

田中 淳夫 氏

 この春、銀座でミツバチを飼って12年目を迎えます。ちょうど干支が1回りした訳で、こんなに長く続くとは考えもしませんでした。

 この間、マルシェやフォーラム、さらには「ビーガーデン」と称する屋上庭園に地域の苗を植えた事で、地方との縁が広がりました。特に震災前に農業生産法人として農地を借りた福島とは、原発事故後ますます強い絆で結びつきました。

 一昨年、ひょんなご縁で安倍昭恵夫人の養蜂を首相公邸でお手伝いをする事になりました。折角ミツバチを飼ったのであれば、花を植えませんか? という事で福島市の菜の花を植えていただきました。この事がきっかけで福島で酒米を作り、山口(長州)でお酒に醸し、銀座で売る企画が持ち上がりました。

 そして昨年の5月と10月、銀座の私たちとともに昭恵夫人、「長州友の会」の皆さんが田植え、稲刈りのため福島に駆けつけました。

 両日とも福島市長、JAふくしま未来組合長、土湯温泉女将さん会、地元の中学生たちなど100人以上が田んぼに入る一大イベントとなりました。

 こうして地元では5年間休んでいた田んぼを掘り起し、環境に優しい特別栽培米として苦労しながら育ててくれました。

 収穫後、全袋検査をして山口の永山酒造へ送り、年明けに、今度は銀座から山口へ仕込みに出向きました。意気に感じて応援してくれた永山社長は「困っている福島の農家を全国の蔵が応援すれば良いんだ!」と杜氏を口説き、純米吟醸3000本の仕込みが実現しました。

 精一杯働いた後のお酒が一番美味しい! のは万国共通、だから

「精一杯」と名付けたのです。

 こうして、以前から課題を抱えていた福島を、銀座を介して、遠くの山口が応援するコラボが実現しました。

 奇しくも長州、江戸、会津と歴史的“縁”のある3地域が、震災の様々な苦難を乗り越えて、友情の証として誕生したお酒を飲み干して、さらなる出会いを作りたいと思います。

((株)銀座ミツバチ社長)

 


真ん中的視点の思考力で

大久保 和孝 氏

 社会の価値観が大きく変化し、「正解のない問い」が溢れる一方、テクノロジーの進化によって、課題の解決方法は、より高度化、効率化した。そのため、深く考えずに、安易な正解を求めるようになった。

 結果だけを求め、自ら判断、決断することを避け、言い逃れのための手段だけを考える、思考停止の状態が社会に蔓延している。

 問題の本質を突く、根本原因を探ることなく、形式的で表面的な対応をしただけで、問題解決に取り組んだつもりになる。

 日本の戦後教育は、「期待される」正解を覚えることに注力してきた。与えられたものを器用にこなす人材が評価され、また人材教育の中心は知識の習得に偏り、自ら考える力を奪ってきたことは否定できない。

 しかし、唯一の解が見いだしにくい時代において、マニュアル通りの画一的な対応しかできない人材は環境変化から取り残されるだけでなく、社会の成長の阻害要因ともなりうる。

 「正解のない問い」に応えるためには、白でも黒でもない、真ん中の視点で物事を考えることのできる思考力を身につけることだ。

 真ん中的な思考力とは、中庸という意味ではなく、新しい発想を生み出す視点を指す。

 例えば、スターバックスは、職場でも家庭でもない場を求めることで急成長した。人口減少時代において、観光客や移住者を増やすだけでなく、少数であっても繰り返し訪れるリピーターをいかにつくるかといった、今までの画一的な思考から抜け出す習慣をつけることだ。

 真ん中的視点の思考力を身につけるためには、対話が最も重要な手段となる。どのようになりたいのか、関係者間で“あるべき姿”や共有のビジョンを明確にした上で意見をぶつけ合い、解決策を考え抜くことで、新しい発想が生まれる。

 また、意見をぶつけ合うためには、参加者の質問力がカギとなる。いい質問をするためには、想像力を鍛え、自分ごととして考え抜く力をつけることだ。

 真ん中的視点を念頭に、批判ではなく提案を、理想や評論ではなく具体策を、失敗を恐れずに行動することで、前向きな社会を作る。

 このような思考が、日本の教育に最も求められることではないだろうか。

(新日本有限責任監査法人・経営専務理事)

 


「あんのう芋」宣伝隊長

園田 東 氏

 私の故郷は、鹿児島県の種子島です。鉄砲伝来やロケット打ち上げ、「あんのう芋」などで有名な所です。早いもので、故郷を離れ、40数年が経ちましたが、数年前より関東種子島会において「あんのう芋宣伝隊長」の命を受け、島の発展に貢献する活動に取り組んでいます。

 あんのう芋は、独自の濃厚な甘みとしっとりとした食感が人気となり、やや高価ですが、好評を得ております。特に焼き芋にすると、スイーツのようになります。

 もともと、あんのう芋は、種子島の北東の海沿いに位置する、「安納」で栽培されており、その土壌の影響で美味しくなると言われています。作物は、最適なストレスを与えられると、栄養素をより多く取り込む性質があります。安納地区の土壌は、潮風により、塩分やその他のミネラルが適度に含まれており、それが、最適なストレスとなっています。

 また、あんのう芋は、他の薩摩芋と比較して水分量が多く含まれています。水分量が多いと、加熱により水分が蒸発し、糖度が濃縮され甘みが増します。

 しかし、近年、あんのう芋の特徴を損ねたものが市場へ供給されるようになってきています。その背景には、建築業者の新規参入や安納地区以外、種子島以外での栽培があります。

 重機での大量生産や他の地域で栽培をするようになり、市場への供給量が増え、種子島経済を一時は助けましたが、弊害として品質悪化を招き、人気の陰りが出始めています。益々、本来のあんのう芋のブランド確立の必要性が高まっています。

 このような状況を打破するため、高品質なあんのう芋の安定供給の仕組み作りに着手いたしましたが、高品質なあんのう芋は、安納地区でしか栽培できず、一部の生産者しか利益を得ることができません。それでは全体の利益にならず、とはいえ、現状の状態が続けば、あんのう芋の価値が下がってしまいます。このようなジレンマの中、打開案を模索しているのが現状です。

((株)アルファジャパン社長)


2017年3月6日号 週刊「世界と日本」第2096号 より

ONSENとグルメで日本を元気に

-「ONSEN・ガストロノミーツーリズム」の勧め-

 

(株)ANA総合研究所 代表取締役副社長 小川 正人 氏

 2016年は訪日外国人の数が2400万人を超え、濃淡はあるものの、じわじわと地方へも訪問客の増加がみられている。言うまでもなく、高齢化による人口減少に見舞われ、後継者もままならない地方の産業が多い中で、観光は地方創生の切り札とされて久しい。

《おがわ・まさと》

1954年生まれ。78年慶応義塾大学経済学部卒業後、全日本空輸(株)入社。広報室長、秘書室長、執行役員営業本部副本部長、2011年上席執行役員名古屋支店長を経て、15年4月より現職。ANAグループの基盤である地方活性化に邁進している。(公社)日本観光振興協会国内観光促進委員会委員長。(一社)ONSEN・ガストロミーツーリズム推進機構専務理事。

 切り札は「観光」である、という掛け声の割に、外国人目線から見て東京、京都、大阪のいわゆる「黄金ルート」に比べ、地方には、いま一つコンテンツが不足しているのが現状だ。

 確かに、絶景ポイント、映画のロケ地、サルが入る温泉など、各地域の努力により、あるいは、SNS等が切っ掛けになって、魅力のある「点」は増えつつある。

 しかしながら、これらが「線」、あるいは「面」として繋がっていかないため、地方での長期滞在に結びつかず、東京に滞在しながら各地に日帰りで行く外国人も多いという。

 この現状を打破する切り札の一つが「ONSEN・ガストロノミーツーリズム」である。

 近年、地域に根差した食の魅力に触れることを目的としたガストロノミーツーリズムは、欧米を中心に世界各国で多くの取り組みがなされている。国連も地域社会の持続可能な発展、雇用の促進に重要な役割を担うとしてガストロノミーツーリズムを推奨している。

 ガストロノミーツーリズムで先行する欧米では、「ファーム・トゥ・テーブル」という、生産者の顔が見える農場からの取れたての肉や野菜を食材とするレストランが人気を集めている。美味しい食材の宝庫である日本の地方にも、地域の新鮮な食材をその土地で楽しんでいただく「ファーム・トゥ・テーブル」は、ぴったりであろう。

 日本食を楽しみに訪日する外国人は数多い。観光庁「訪日外国人消費動向調査(2015年版)」によると、『訪日外国人が次回、日本でしたいこと』は、

(1位)日本食を食べること   59.3%

(2位)ショッピング      48.9%

(3位)自然・景勝地 観光    43.5%

(4位)温泉入浴        43.4%

(5位)繁華街の街歩き     30.9%

 という結果だった。

 この調査にあるように、温泉入浴も、「訪日で次に日本でしたいこと」の上位に入っている。

 取れたての日本の食材を、その地域で食べ、ONSENを体験することは、訪日外国人にとってキラーコンテンツと言える。

 こうした流れを加速させるべく、ANAグループで地域活性化を担うANA総研や、食の検索情報サイト大手の「ぐるなび」等が、温泉の振興に力を入れる環境省の協力と、日本のガストロノミーツーリズムを推進する日本観光振興協会の特別協力を得て「ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構」を立ち上げた。

 現在、温泉地は多くの課題を抱えている。日本は掘れば温泉が出ると言われるほどの温泉大国だが、かつては、大型バスで温泉客が乗り付け宴会で大騒ぎをする、いわゆる団体旅行が主流であった。

 この需要に応えるため施設は大型化し、食事も大量に供給できる、お仕着せのセットメニューが大半を占める。このため、そもそも個人客の長期滞在には不向きとなっている旅館も多い。

 今、こうした団体旅行の需要は、高齢化社会の進行とインターネット時代の到来によって、大きくその数を減らしており、どこの温泉地もかなりの危機感をもっている。

 もちろん、中には、早い段階で思い切って部屋数を減らし、富裕層や外国人に的を絞って成功している有名旅館や、黒川温泉のように街が一体となって、看板を撤去するなど独特の雰囲気を作り、温泉手形として相互にお風呂を開放しあう等、街ぐるみで際立った個性を持つことに成功している例もある。

 一方、前述の大規模旅館の多い温泉街では、箱物産業の常で、大きいほど維持費もかさみ、空室が出やすい。対策のため安い宿泊費のお客様を多くとってキャッシュフローを改善しようとすると、上質のお客様の離反を招くという悪循環を招いてしまう。

 廃業して廃墟となった旅館は、景観に深刻なダメージを与えている。こうした状況もあって、温泉地の観光客数は全体でみると逓減している。

 また、食の方も農協や漁協に一括で納めた方が、生産者にとっても都合がいいため、美味しいものは築地に集まる傾向にある。造り酒屋も、とりわけ有名どころは、造れば全部売れるため、新酒の時期等を除いて一般の消費者には門戸を閉ざしているところも多く、ましてや欧米人が訪問してテイスティングや、購入ができるようなところは、数少ない。

 欧米では、毎週のように「ガストロノミーウォーキング」と称して、300〜500人が40〜50ユーロ(約5000円)を支払って、ワイングラス片手に、各地の絶景の中を歩きながらフルコース料理を楽しんでいる。

 温泉地を拠点として、地域の絶景を見ながら取れたての食材を食べ、グラス片手に地域のお酒を飲みながらウォーキングする「ONSEN・ガストロノミーウォーキング」は、日本にぴったりの風景であると確信している。

 自分の足で歩いてもらうので、二次交通や箱物がいらず、長期滞在が誘発される、まさに地域にお金が落ちる仕組みである。私たちの機構にも40以上の自治体から問い合わせが来ている。

 最近では、地域にこだわりを持つ料理人の方や、観光客を意識した造り酒屋さんも徐々に増えてきて、地域や観光への意識も高まってきている。

 我々の取り組みが、切っ掛けとなって、地域が活性化し、地方に眠る日本の宝(=温泉、景色、食、酒)が、世界にアピールされることを切に願っている。


2017年2月6日号 週刊「世界と日本」第2094号 より

新春インタビュー
ANAのDNAはチャレンジ精神

 

ANAホールディングス(株) 代表取締役社長 片野坂 真哉 氏
インタビュアー 政治ジャーナリスト 細川 珠生 氏

 昨年3月、国際線定期就航30周年を迎えたANA。2017年、新たな年を迎えた「新春インタビュー」第3弾として、日本が誇るリーディングエアラインであり、経済界のトップランナーである、ANAホールディングス(株)代表取締役社長の片野坂真哉氏に、「明日の経営に向かって」と題し、国際線進出の経緯と課題、そして、新しいことに挑戦し続ける成長力の秘訣を、政治ジャーナリストの細川珠生氏がお聞きした。

片野坂真哉社長(右)と細川珠生氏
片野坂真哉社長(右)と細川珠生氏

世界のリーディングエアラインを目指し

 

 細川 国際線定期就航30周年を迎えられ、この間に19カ国、41都市を結ばれたわけですが、これまでを振り返られていかがですか。

 片野坂 私が入社した時(1979年)は国内線だけの会社でした。入社6年目の時に東京本社に転勤になりましたが、その配属先が「何としてでも国際線定期便に進出したい」という悲願に取り組む部署でした。

 それまで国内線ではシェア50%でトップでしたが、国際線はチャーター便だけだったので、1986年に初めて成田からグアムに定期便が飛んだ時の感激は、今でも忘れられません。

 細川 国際線の定期便を就航させることは、エアラインとしての念願でもあるわけですね。

 片野坂 おっしゃる通りです。最初の国際路線は、成田からグアムとロサンゼルス、ワシントンDCでした。

 ワシントンDCはアメリカの首都ですが、どうして先発の会社は飛んでいなかったのだろうかと思いながらも、継続して飛び続けたことで、今では政府関係者や金融機関のトップの方も含め、非常に多くの方にご利用いただける路線に成長しました。

 細川 いつでも順風満帆とはいかなかったそうですが、継続させるにはかなりのご苦労が多かったのではないでしょうか。

 片野坂 2004年頃まで、国際線はずっと赤字でした。やはり後発のハンディがあり、例えばロンドンに飛ぶのに、ヒースロー空港はすでにいっぱいなので、最初はガトウイック空港でした。

 また、シドニーに飛んだ時は、最初は週1便からのスタートだったので、1泊2日か7泊8日のツアーしかできませんでした。

 赤字続きの国際線について、社内には撤退論もありましたが、国際線をやめようという社長は、一人もいませんでした。国内は少子化が進み、競合他社や他交通機関との競争が激しい一方で、アジアを中心に世界の経済成長は著しく、日本企業もグローバル化が進むなど、経営が苦しくても、国際線を続けてきてよかったと思います。

 細川 先発の会社が利用している空港に入れないということは、発想を転換しますと、新しい地域を開発できることにもなりますね。

 片野坂 その通りです。中国がいい例で、先発が北京と上海を押さえていたので、北京に入るには大連経由になったり、その他、広州や青島、直近では武漢など、結果的には中国の11都市に乗り入れるようになりました。

 私は、お客様の多いところだけを飛ぶのではなく、お客様の選択肢を増やすことでお役に立てるよう、新規路線を飛ぶべきだと思っています。

 細川 新規路線の開拓など、御社ではグローバル化を進めてますが、人材育成におけるグローバル化では、どういう視点から取り組みを始められたのですか。

 片野坂 1999年に、スターアライアンスに加盟しましたが、これがグローバル化に非常に大きく貢献しました。ルフトハンザやユナイテッドなど世界的な航空会社が、どのように飛行機の運航ダイヤを作っているのか、また、マイレージが大事であるかなど、いろいろなことを教えてもらいました。

 細川 世界の航空会社と提携をするのは、逆にお客様の奪い合いになってしまう懸念はなかったのですか。

 片野坂 ユナイテッドとルフトハンザとは、ジョイントベンチャーで一緒にセールスができるなど、国という壁がとれました。お客様の側から言えば、コードシェア(共同運航便)ということで、ANAでもユナイテッドでも、ニーズに合った便を選択できるなど利便性が向上します。

 細川 スターアライアンスへの加盟により、人材育成の面で影響を受けたり、学ばれたことでは、どんなことがありますか。

 片野坂 まず学んだことは、誰に対しても自分の意見をしっかり伝えるということです。それから、例えばルフトハンザの人と一緒に生活をするので、スタッフ同士がお互い仲良くなりますね。そして、加盟会社に人材を送り込んだ結果、今では英語で外国人と対等に会議に参加したり、話し合える人が増えました。

 また、中国やミャンマーにも飛んでいます。社員も外国に駐在することで、現地の人との文化の違いを肌で感じ、体験して日本に戻ります。単に英語が話せるだけではなく、相手の国の習慣や文化を理解する人が増えていくことが大事ではないかと思います。

 細川 世界では今、日本のサービスが注目されています。世界の人を相手にすることで、これまでの日本のやり方を変えたり、改善されたことはありますか。

 片野坂 私たちのサービスコンセプトの中に、「インスピレーション・オブ・ジャパン」があります。これはスパークリング(楽しい経験)、ケアリング(寄り添う心)、ジャパンクオリティー(日本らしさ)を現しています。

 現在、訪日外国人が非常に増えています。機内等では和食を勧めてしまいがちですが、苦手な人もいるので、客室乗務員や空港のラウンジスタッフたちも、外国の人に対する心の壁を取り除くよう努める必要がありますね。


細川珠生氏
細川珠生氏

平成7年に『娘のいいぶん〜がんこ親父にうまく育てられる法』で、日本文芸大賞女流文学新人賞受賞。「細川珠生のモーニングトーク」(ラジオ日本)に出演中。千葉工業大学理事。聖心女子大学卒。

新たな需要を作り出したLCC
日本文化を発信する場の航空会社

 

 細川 羽田空港の離発着枠がいっぱいで、東京都内の上空を飛ぶようになるなど、羽田の拡張が注目される一方で、非常に経営が厳しい地方空港もたくさんあります。そういう点で、例えば国際線と国内線の地方をセットにするなど、日本の地方の活性化に貢献できるような方法もあるように思いますが・・・。

 片野坂 日本の航空会社が地方から海外に路線をつくることは、なかなか難しいようです。実はANAも昔は福岡から、大連やバンコクにも飛んでいましたが、コスト的に合わずに止めてしまいました。

 また、ANAの国際線は需要の多い成田や羽田、関空、中部などからしか飛んでいませんが、現在、グループ会社には2つのLCC(格安航空会社)があり、バニラが成田、ピーチが関空ベースです。

 加えて、ピーチは沖縄から台湾に飛んだり、千歳からまた路線を広げますし、バニラは台湾からホーチミンに飛ばしたり、函館にも就航するなど、地方の活性化にも役立っていると思います。

 細川 安い航空運賃の会社を持つことは、お客様が取られるのではないかと思うのですが、そういうことはないのですか。

 片野坂 結果的にそれはほとんどありません。LCCは今まで飛行機に乗ったことがなくても、「値段が安いなら乗ってみよう」とご利用になられる方も多いです。LCCのお客様は女性や外国人、若年齢層の方が多いので、ANAのようなビジネスマンが多い機内とは雰囲気が違いますね。

 LCCは新たなお客様、需要を作り出していると言っていいでしょう。その証拠に、ピーチは2年目で、バニラも3年目で黒字化を達成しました。この2つのLCCも大切にしていきたいと思います。

 細川 もう少し大きな視点で航空会社の仕事を考えますと、日本の文化を発信し、日本のことを海外の方に理解してもらうことは、外交上とても大切と思います。

 飛行機は単なる移動の手段ではなく、日本の文化を伝える場でもあるので、航空会社の果たしている役割は、とても大きいなと思っています。

 片野坂 そうおっしゃっていただけると、我々もとても励みになります。今、中国からのお客様が増えていますが、これまで中国では日本のマイナス面の情報が多く流されていたと思います。しかし中国の方が実際に日本に来てみると、食べ物はおいしいし、清潔で、日本人はとても親切だということを体験し、こうした情報をツイッターで本国の友人に送っています。こうした旅行者などを通して、両国の相互理解が大きく進むのではないかと期待しています。

 細川 子どもたちが将来、航空会社に入りたいと思った時、いろいろな分野の仕事があり、夢もあると、航空会社に私はとても期待をしておりますが・・・。

 片野坂 ANAグループには関連会社が約70社以上あり、旅行会社や整備系の会社、空港、コールセンター、機内食を作るANAケータリングサービスという会社もあります。

 総合職も客室乗務員やパイロット、整備士も来ていただきたいと思っていますが、例えば料理の好きな人は、機内食の会社でパンや和食を作ることもできるので、世界に興味のある人は、ぜひANAグループの会社を受けていただきたいと思います。

 また現在、北京の清華大学と私たちの会社は交流があり、清華大学の学生さんが羽田空港で数カ月研修をしています。将来の中国を担う若い学生たちが、一生懸命に日本のことを勉強してくれているのはうれしいことです。

 細川 ANAグループとしてはこういう資質、あるいは、考えをもっている人に来てほしい、ということはありますか。

 片野坂 航空会社は一見、華やかで楽しそうに見えるようですが、サービス業ですから、いろいろなお客様と接点を持ちます。お客様から直接お叱りを受けたり、機内で迷惑行為が起こることもあります。そのため、お客様をおもてなしする仕事であるということを、学生時代にアルバイトなどで体験している人が向いているかもしれません。

 それから外国からのお客様が増えていますので、私は言葉を流暢に話すことも大事だと思いますが、結局片言でもいいので「ニーハオ」などと呼びかける、こういうマインドを持った人に来てほしいですね。

 また私は2005年から4年ほど人事部長をしていたことがあり、採用面接をしていました。その時の選考基準は、明るくて元気で積極的な人です。それを「あんしん、あったか、あかるく元気」というキャッチフレーズにして、社員にも呼び掛けています。さらにこのフレーズが長く愛されているので、今ではANAの「社員行動指針」の中でも使っています。

 細川 「あんしん、あったか、あかるく元気」というフレーズなら、どんな職場にも合いますし、その精神があると仕事も楽しくなりそうですね。

 片野坂 加えてこれから必要なのは、やはりイノベーション、AI(人工知能)ですね。新しいことに、どんどん挑戦してほしいなと思います。

 細川 今の新しい技術革新もうまく取り入れて、よりよいものができればいいですね。ただし、AIなどがどんどん普及してくると、サービスの質も変わってくるのではないかと思われますが。

 片野坂 実は私、サービ担当の時に、機内サービスで一つ失敗をしました。機内のお料理をタッチパネルで選べるという方法を導入したのですが、タッチパネルの反応等の問題で、お食事の提供までに4時間くらいかかってしまうことがあり、すぐに取りやめました。

 アラカルトメニューでいつでも何でも食べられるという、夢のような狙いだったのですが(笑)。

 この時に出てきた声として、お客様は客室乗務員と「何がお好きですか」などと、会話を楽しみながら料理を選んでいることがわかりました。やはり私たちはお客様との会話の中で、サービスを高めていくことが大切です。

 細川 御社で培った「おもてなし力」は、これからますます増える訪日外国人や観光客、特にオリンピック・パラリンピックの時には非常に貴重なパワーになりますね。

 片野坂 非常に大切なことで、今、そこに向けても準備をしています。例えば空港でも文字を大きく、ユニバーサルデザインにしています。車イスの方がスムーズに動けるにはどうしたらいいかなど、調査のため、開催国に視察に行っています。

 細川 日本が今、経済活性化するためには地方と、それから地方を含んだ日本全体、そこに外国の方に来ていただく。また、日本人ももっと海外に出て、いろいろなことを学び、刺激を受け、それを人生や仕事に生かすためには、航空会社はなくてはならない存在だと思います。そのためにまずは安全第一で、これからもますます新しいことに挑戦し続けて、発展していってほしいと思います。

 片野坂 ANAでは、グループ会社の新入社員を集め、羽田の格納庫の中で、飛行機の側で入社式を行っています。私は毎年、といってもまだ2回ですが、そこでの第一声として、「安全、これが一番だ。ここで胸に刻んでくれ」と言うことにしています。航空会社は安全が第一です。一番大切です。

 

 細川 本当にそうですね。今日はたいへん興味深いお話をありがとうございました。


週刊「世界と日本」2017年1月16日 第2093号より

<山本 幸三 地方創生大臣への提言>

 

小さな集落が輝くような視点で

農業生産法人 (株)銀座ミツバチ 代表取締役社長 田中 淳夫 氏

 銀座の屋上でミツバチを飼って、11年目が経ちました。桜の咲く頃、私達の養蜂シーズンが始まります。また、都会の消費者と地方の生産者を結ぼうと、マルシェやフォーラムを開催して9年になります。

 さらに、もう1つの活動である、ミツバチの蜜源づくりのための「銀座ビーガーデン」と称する屋上菜園が多数誕生し、今では1000平方メートルを超え、そこには沢山の地域から頂いた苗が植えられています。銀座という場所がら、保育園児等の子供たちから、夜のクラブのママや新橋の芸者さんに至るまで、農作業のお手伝いをしてもらっております。

 反対に、私たち「銀ぱち仲間」も定期的に秋田、新潟、福島、長野、広島、島根など様々な地域を訪ねるようになり、そこから地域の多様な課題も見えてきました。今では毎週のように、行き止まりの限界集落と言われるような場所を訪ねて、資源はもとより、魅力的な人たちに出会っております。

 1つの例が、秋田県由利本荘市の三ツ方森集落の猪股さんご夫妻です。ここは江戸時代から今まで変わらず、5軒の集落でした。最初に訪ねた4年前は9人でしたが、今は6人になってしまいました。

 毎春広大な山焼きをして、時には家まで焼いてしまっても、止めるという選択肢はなく、今でも下流域の集落の皆さんのお手伝いを受け、賑やかに続けています。

 秋にこの山のわらびの根を掘り、でんぷん質のわらび粉を取ります。しかし、1キログラムの根っこから500グラム、1トン掘っても50キログラムしか取れません。根を砕き、洗いながら水にさらすこと10回以上かけて粉を取り出します。

 こんな苦労が実ってか、数年前には京都の老舗とつながりをもち、全て売れるようになりました。最初は馬鹿にしていた息子さんも、家族を連れて町から定期的に帰ってきて手伝いをするようになったそうで、猪股さんはそれが良かったと笑います。

 思うに、地域には、何もないのではなく、猪股さんのように、辞めずに掘り続けてきたからこそ見えて来るものがあります。行き止まりの限界集落であって、高齢化が極限まで進んでいても、実はそこに暮らす人々が生き生きと活躍することで、人が集い、はじめて新しい何かが生まれます。

 提言したいことは、1つ。こうした地域の産物を理解して購入してくれる消費者へ、しっかりと行政が助成をして、つなげることを考えて欲しいのです。現在の制度は、生産する側には補助金が当てられますが、それが直接消費者とつながることがありません。

 以前、東北のある地域で白いソバ畑の中を進みながら、「新蕎麦の季節にまた来たい」と話したら、これは補助金をもらって漉き込むだけさ・・・と聞き、思わず固まりました。収穫しても理に合わないのかもしれませんが、地域の皆さんは、これでは元気が出ません。

 たとえば、この新蕎麦を食べる側に補助金が出たら、いかがでしょうか?

 そのためには6次産業化を進めなければなりませんが、蕎麦がどんどん売れると、作る人たちは前を向き始めると思います。例えば、この集落の美味しい蕎麦定食1000円を食べると500円のキャッシュバック、ついでに山菜とリンゴ付き!となれば、うわさを聞きつけてこうした集落にも消費者が足を運ぶようになるでしょう。

 その地域に人々が訪ねることでお金が落ちて交流が広まり、さらに進めば短期の山村留学やガストロノミーツーリズム(食文化観光)等にも発展するだろうし、都会の人々も田舎に親戚ができたような形でつながることで、双方の人々の暮らしは豊かになります。

 以前、秋田内陸縦貫鉄道に乗車した時、集落の皆さんが手品、ハモニカ、民謡を披露してくれました。お陰さまで単に移動する手段の赤字ローカル線も、美しい車窓と目の前の地元の皆さんのおもてなしで、とても充実した時間を過ごすことができました。

 地域に残る、こうした温もりや資源も、守る時代から利用する時代へと変わってきました。さらに、インバウンドをグローバルに、直接招致することができる時代となりました。

 つまり、消費することが地域の経済を潤し、さらには、都会の人々の生活も潤いのあるものに転換できれば両得ということです。

 一歩進んで、これだけITが発展した中で、地域の素材を消費すると、その地域のポイントが貯まり、地域の野菜や果物、お酒、田植え、稲刈り、山菜取りや祭りにも招待など、個々につながる仕組みが作られると、消費することが地域を支えることになります。

 もっと進めて、この地域で取り組んでいる風力発電や小水力発電、バイオマス発電のエネルギーまで、消費することでポイントがもらえれば、生活の一部が集落とつながる仕組みができます。

 祖父母や両親の故郷だけでなく、気に入った地域とつながることによる縁も、あるかもしれません。もちろん、こうした仕組みづくりや、都会と地方の集落をつなぐコーディネーターにも助成が必要でしょう。

 GDPとしては、巨大な生産物が動くわけではないので、成果は見えにくいのですが、末端の小さな集落に少しでも身銭が入る方法が確立できれば、地域の自立を生む方法もつくれるかもしれません。

 何よりも大事なのは、地域の人々の満足度が確実に上がるということです。小さくても地域の夢が叶うようになれば、他の地域も刺激を受けます。

 ここ数年の年末、ふるさと納税が話題に上りますが、単に返礼品ありきでなく、そこに顔の見える関係づくりが構築できれば、地域の風景も変わっていくのではないでしょうか。

 イタリアのスローフード大会に、日本人養蜂家として招かれたことがありました。30年前のイタリアの農村は貧しかったと聞きましたが、スローフード運動の広がりで、都会から人々が訪ねて来るようになりました。

 それに呼応して、農村は農機具を片付けて、家にペンキを塗り、庭に花を植えて、農家レストランなどを運営するようになり、農産物以外の収入を生み、若者が戻ったり移住したりと、どんどん風景が変わっていったと聞きました。

 一方、日本の田舎もまだ壊れていません。都市化が進んだアジアの地域からきた人々は、日本の農村風景は美しいと感じるはずです。私たちも、もうだめだと思わずに、まだ間に合うと考えれば、今からやるべきことは山ほどあります。

 だからと言って巨大な施設を作るということではなく、小さな小さな集落の皆さんが輝くような視点で政策を捉えていただけますよう、小さな願いごとを、大袈裟ですが“提言”と言う名を借りてお願いする次第です。


週刊「世界と日本」2016年1月18日 第2069号より

<石破 茂 地方創生担当大臣への提言>

真の地方分権型社会の実現を 

愛媛県知事 中村 時広 氏

 石破地方創生担当大臣におかれましては、日々、全国を駆け回られ、地方の活性化のために懸命に取り組んでいただいており、深く敬意と感謝の意を表します。

 さて、地方は、これまでも少子高齢化にともなう人口減少と向き合いながら、さまざまな課題に対処し、地域を元気にするために知恵をしぼってきました。

 私も松山市長として11年、愛媛県知事として5年、地域の活力向上に全力を注いできたところであり、地方創生は我が国の未来を開く極めて重要な取り組みと考えております。

 愛媛県におきましては、県庁内に営業本部を立ち上げ、ものづくり企業の営業活動や農林水産物等のブランド化と販路拡大をサポートしてきたほか、えひめ結婚支援センターでの結婚支援やサイクリングを切り口とした観光振興など、人口減少を意識しつつ、地域活性化に向けた本県独自の施策を積極的に展開し、実績を挙げてきました。

 こうした経験を踏まえ、地方の現場で行政にたずさわる者として、今回、石破大臣に三つの提言をさせていただきたいと思います。

 一つ目は、地方における人口の減少や経済の低迷は待ったなしという状況を鑑みて、国政の場面で地方創生を最重要課題として取り上げていただき、スピーディーに各種施策を展開されてきた石破大臣の手腕は高く評価しておりますが、地方の目指す究極は、地方に権限と財源を大胆に移譲した、真の地方分権型社会を実現することであります。

 日本が戦後の荒廃から立ち上がる時代においては、限られた財源の中で社会基盤を全国あまねく整備するため、中央集権体制が最も合理的でした。

 しかしながら、一定の基盤整備が進んだ今日、地方がそれぞれの特色を生かした個性ある政策を推進することが重要であるのに、中央集権体制のままでは、さまざまな規制が障害となったり、せっかくの財源も使途に制約があったりして、地方の創意工夫が十分に生かされていないのが現状であります。

 地方分権の推進が言われて久しいのですが、これまで権限移譲は部分的なものにとどまり、肝心な権限は依然として国が持ち続けており、財源移譲も進んでいません。

 かつて小泉内閣において、地方分権の推進をうたい実施された三位一体改革では、3兆円の税源移譲があったものの、地方交付税が5兆円余り削減されるなど、ふたを開けてみると、地方が自由に使える財源が大幅に削減された苦い経験があります。

 本県では、毎年、地方の政策展開の足かせとなっている国の規制や制度に対し、県内市町とともに現場感覚からの提言を行っており、昨年12月にも23項目の「えひめ発の地方創生実現に向けた提言」を発表したところですが、このような提言の必要がなくなることを期待しています。

 二つ目は、地方創生の枠組みにおける地方に対する実効性のある支援であります。

 各地方自治体では、人口ビジョンや総合戦略を策定し、地方創生の実現に向けた取り組みを加速させている中、国においては、迅速に地方の支援を行うため、省庁間の難しい調整を重ね、必要な地方創生交付金を創設されたことは、地方の実情を把握された上での対応と大変ありがたく思っています。

 これらの交付金では、地方の先駆的事業に対して支援するスキームが一部取り入れられるなど、従来の補助金のようなメニュー選択型の一律支援から一歩進み、地方がアイデアを競い合う形となっております。

 さらに、単年度で完了しない事業にも活用できるなど、その用途が一層地方の創意工夫に資するものとなるようお力添えをいただけると、ますます地方のやる気が引き出せると思います。

 今後、地方創生は実行段階を迎えますが、かつて経験したことのない急激な人口減少を克服するためには、現場目線で前例にとらわれない斬新なアイデアによる効果的な取り組みを推し進め、人口流出の抑制や出生率の向上につなげていくことが何よりも重要であり、総合戦略に掲げた数値目標やKPI(重要業績評価指標)の達成に向けて、成果を積み上げていかなければなりません。

 国費を支出する以上、一定の要件があることはやむを得ないとしても、「知恵は現場にあり」とのスタンスで、可能な限り自由度の高い制度設計と運用をしていただき、地方の思い切った施策の力強い後押しをお願いしたいと思います。

 三つ目は、東京一極集中の是正を図るための、国による積極的な取り組みの推進であります。地方創生を目指す中で、国と地方の施策が呼応することで非常に大きな効果が期待できるものがあり、とりわけ、東京一極集中の是正はその面が強いと考えております。

 東京から地方への人の流れをつくり、地方で活躍してもらうためには、国家戦略として、企業の本社機能の地方移転や日本版CCRC(編集註=高齢者居住コミュニティ)等の推進が不可欠であり、国においては、企業や高齢者はもとより、受け入れる地方の立場に立って、こうした施策を展開していただきたいと思っています。

 また、政府関係機関の地方移転については、昨年、政府主催の全国都道府県知事会議で、安倍総理大臣や石破大臣から前向きな発言をいただいたところであります。各省庁からさまざまな意見があるとは思いますが、石破大臣を中心に議論を進められ、厚い壁を破っていただき、一つでも多くの提案が実を結ぶことを御期待申し上げます。

 政府が掲げる一億総活躍社会の実現に向けては、地方創生こそがメインエンジンであり、地方は全力でこの課題に立ち向かう所存ですので、国におかれましても、石破大臣の卓越した手腕と強力なリーダーシップのもと、確固たる信念をもって、地方とともに取り組んでいただきますようお願い申し上げます。


2015年10月5日号 週刊「世界と日本」第2062号 より

初秋インタビュー
地方創生と女性の活躍

 

昭和女子大学 理事長・学長  坂東 眞理子 氏
インタビュアー 内外ニュース取締役 企画担当  紺田 康夫

 これまで編集部として、多様性の中にも「国の道筋を明確にしていく」という方針のもと、特に、「地方創生」と「ダイバーシティ=女性躍進の現在と今後」について、さまざまなテーマを取り上げてきた。そこで今回は、内閣府男女共同参画局の初代局長として女性の活躍を支え、さらにトリプルミリオンセラー『女性の品格』の著者としても名高い、昭和女子大学学長で理事長の坂東眞理子さんに「地方創生と女性の活用」について伺った。

坂東眞理子氏(右)と紺田康夫
坂東眞理子氏(右)と紺田康夫

《ばんどう・まりこ》

昭和21年富山県生まれ。44年東京大学卒業。同年総理府入府。60年内閣総理大臣官房参事官、平成6年総理府男女共同参画室長、7年埼玉県副知事、10年在オーストラリア連邦ブリスベーン総領事、13年内閣府男女共同参画局長。15年昭和女子大学理事、16年同大学女性文化研究所所長、同大学大学院生活機構研究科教授、17年副学長、19年学長、26年理事長に就任。主な著書に、『女性の品格』、『日本人の美質』、『女性の知性の磨き方』など多数。

地方が日本の将来を変える

 紺田 坂東さんは著書の中で、日本人の美質、国民性について多く語られていますが、今の日本の現状、特に地方の課題をどのように捉えていますか。

 坂東 中世に「都市の空気は人を自由にする」という言葉がありましたが、これは、中世では農民たちが農地に縛られていたのが、都市に行くと自由になるという意味です。

 日本も高度経済成長時代は、若い男性たちも地縁に縛られているよりは、都市のほうが自分の能力が発揮できると、「星雲の志」を抱いて都市に出てきていました。

 実際、1960〜70年代は、高度経済成長の果実を、公共投資を通して都市から地方に循環させることで、あるいは工場の地方誘致などで、都市と地方の格差をつくらず、国土の均衡ある発展が保たれていました。

 しかしバブル崩壊後は、分配すべき都市の富が少なくなってきた中で、公共投資もやせ細り、工場はグローバル化の競争の中で海外に出ていってしまい、都市から地方への富の分配がうまくいかなくなりました。

 では、地方はどうすればいいのでしょうか。

 私は、今や地方は、都市、あるいは中央から富を分配されるのを待っているのではなく、自分たちで工夫して何かを生み出したり、「あそこはいいな」と思われるような、その土地ならではの魅力をアピールし、都市や他の国から資本やお客を引き付ける覚悟が必要だと思います。

 しかし残念ながら、いまだに高度経済成長時代の残り香を追い求め、どうしたら中央からお金をとってこられるかと考えている人のほうが多いのではないでしょうか。

 また、今の地方の課題は、その土地に生まれ育った人、特に長男や跡継ぎなどの男性を引き留め何とかその地域を盛り立て、再生しようとしていることです。

 しかし、地方に一番足らないのは「ダイバーシティ」であり、女性やよそ者、周辺にいる若者をいかに巻き込むかにかかっているのです。そういう点で、地方創生とダイバーシティは、共通するところがとても多いのです。

 紺田 確かに日本にいると日本の良さがなかなかわからないように、その土地に生まれ育った人にとっては、その土地の良さに気付かないことも多いのでしょうね。

 坂東 そうですね、東日本大震災「3・11」の時に、被災者たちが救援物資をきちんと並んで、しかも「ありがとう」と言って受け取る様子や、コンビニやスーパーから物を奪うのではなく、落ちて床に散乱している商品を棚に戻している様子が世界中に報道され、「日本人の国民性はなんて素晴らしい」と、世界の人たちから高く評価されました。

 ただし、こうした行動は、私たち日本人が評価されようと思ってやっているのではなく、日ごろから身に付いている「当たり前」のことであり、それが世界の人には驚きであり、評価されたのです。

 これを地方創生と結びつけると、地方それぞれに魅力があるのに、そこで暮らしている人にとっては「当たり前」だと思ってしまい、自分では自信を持てず、評価していないのです。

 例えば、よく言われることは、日本の津々浦々、どこに行っても、夕食にマグロのお刺身が出されますが、それを「おもてなし」というのはおかしいですね。その土地の食材を使った郷土料理を出してこそおもてなしであり、よそ者を引き付けるのです。

 従って、その土地の何がよそ者を引き付けるストロングポイントかを見つける「目利き」が地方には求められています。

 紺田 地方創生のカギは、「よそ者」にあるということでしょうか。

 坂東 そうですね。別の視点を持った人が大事です。もう1つは女性の活用です。

 1986年に男女雇用機会均等法が施行されて30年になりますが、この法律は女性たちの人生を大きく変えたと思います。さらに91年には育児休業法ができ、最近では子供がいても働くのは当たり前だという考えが、少しずつ定着してきました。

 ところが1人の女性が生涯に産む子供の平均数の合計特殊出生率は「1・42」と、あいかわらず低いままです。先進国で出生率が「2」を上回っているのはアメリカとフランスだけですね。

 少子化の最大の理由は、男性の生涯非婚率が増えていることです。その理由として、若者たちの正規雇用が少ないために、不安定な所得のために結婚できないと言う人もいます。これは国が政策として、解決しなければならない課題です。

 もう1つは、それこそ地方の男性に奮起を促したいのですが、コミュニケーション能力を上げて、「結婚力」、「婚姻力」を持ってもらいたいですね。

 しかし本当は、結婚しやすいのは都市よりも地方なのです。適齢期の男性がいれば、親戚縁者が世話をやきますし、たとえ男性の収入が少なくても家はあるし、3世代同居のほうが女性も子供を産んでも働きやすいのです。従って私は、将来の日本を変えるのは都市ではなく、「地方」だと思っています。

 

 


インタビュアー
インタビュアー

かわいい子には旅をさせ、魅力ある地元に戻す努力を

 紺田 つまり、女性にとって働きやすく、しかも子育てと仕事を両立しやすい環境である地方の力を創生することが、日本を元気にしていくのですね。

 坂東 実際に女性の継続就業率が高いのは北陸3県で、出産後に仕事を辞める割合が高いのは埼玉県、千葉県、神奈川県などの東京周辺の県と、奈良県や滋賀県などの大阪周辺の県です。

 私自身もそうでしたが、地方から東京に出てきて結婚した女性たちが子育てをしようとすると、周りに知っている人やサポートしてくれる人がいないので、子育ても孤独で大変です。

 しかも、子供を保育園に預けて働きたくても、保育園に空きがないので、女性は子育てのために、出産後に仕事を辞めざるを得ません。一方、地方ではすでに少子化で保育園は定員に満たず、子供を預けやすい状況です。

 ただし地方の問題は、母親や嫁として働く子育てサポート体制は充実していても、個人として女性が能力を発揮するチャンスが少ないことです。それは地方のほうが、まだまだ女性の能力、適性に対する偏見が強く、女性たちは自分が満足できる仕事に就くことができないからです。さらに働いていても能力を評価されないので、不満が残ります。

 そういう現状を見ている地方の若い女性たちは、いくら出産後も働ける環境や子育てのサポート体制が整っていても、やはり都市に出ていってしまいます。そのため結婚適齢期の若い女性がいないから、ますます男性の未婚率が高くなるという悪循環に陥っているのです。

 紺田 地元に残った長男や男性たちが結婚できないと、ますます少子高齢化が進み、地方創生どころではなくなってきませんか。

 坂東 東京大学大学院客員教授の増田寛也先生は、昨年のレポートで「20〜39歳の女性を地元に引き止めなければならない。そういう人たちが地元から出ていくと、そこは消滅してしまう」という問題提起をされていますが、まさにその通りだと思います。

 これまで地方の人たちは、あまり女性のことは考えないで、長男をいかにガッチリと家に抱え込み、地元に定着させることばかり考えてきました。

 しかし私は、これからの地方創生には、地方にバイタリティある若者たちを確保する必要があると考えています。

 そのためには、そこで生まれ育った息子たちを、「家に残れば車を買ってあげるから」などと言って、家に縛り付けて囲い込むのではなく、「かわいい子には旅をさせろ」ではないですが、かわいい子ほど外に出して苦労させ、「やっぱり地元のほうがいい」とわかって戻ってくれるほうが、親許にがんじがらめにしているよりはずっといいと思います。

 紺田 それこそ、男性ならお嫁さんと一緒に戻ってくれれば、その「よそ者」であるお嫁さん、つまり女性を活用することもできますね。

 坂東 先ほどもお話ししましたが、地方の魅力、良さをわかってくれるのは、そこに生まれ育った人ではなく、むしろ「よそ者」なのです。特に現在は、女性のよそ者のほうが、その土地の強みをアピールする力を持ち、発揮している例が多いですね。

 例えば、地域おこし協力隊として島根県隠岐の島に移住して地域の活性化にかかわったり、東日本大震災の被災地の復興で力を発揮しているのも、よそ者の女性たちです。

 このように地方は、今まで能力を発揮する機会のなかった女性を大事にすることで、男性には見えなかった、気づかなかった新しいビジネスチャンスが生まれてくるでしょう。

 さらに、地方の女子も、一度は地元を離れ、外の世界を見てから地元の良さを知ってもらい、ボーイフレンドを連れて帰ってくることを、みんなで応援するよう柔軟な考えを、ぜひ地方の人たちに持ってもらいたい。

 そのようにして、バイタリティある若者をどんどん取り込んで、そういう人たちと一緒に地方創生に向けて頑張ってもらいたいと思います。

 紺田 どうもありがとうございました。


2015年8月17日号 週刊「世界と日本」第2059号 より

「まち・ひと・しごと創生」は・・・
国と地方が認識を共有し、総力で

地域の“本気”取り組みに期待

 

経済産業省大臣官房審議官地域経済産業政策担当  若井 英二 氏

はじめに

 わが国は、世界に先駆けて人口減少・超高齢社会を迎えている。

 地方における人口減少は地域経済の縮小につながり、それが更なる人口減少を招くという、悪循環が生じるおそれが高まっている。また、そうした状況を放置すれば、地方からの人口流入によって活力を維持してきた東京圏においても、いずれ競争力が低下していくことは明らかであり、地方創生はわが国全体として早急に対処すべき問題である。

 「まち・ひと・しごと創生」とは、地方がこうした悪循環から脱却し、地方と東京圏とが同時に活力を保つ道を探る取り組みである。

 こうした状況を踏まえ、国としては、昨年9月のまち・ひと・しごと創生本部の設立以降、最大限のスピード感をもって、政策の方向性をとりまとめてきた。


まち・ひと・しごと

創生法の概要

 昨年成立した「まち・ひと・しごと創生法」は、その第1条において、「人口の減少に歯止めをかけるとともに、東京圏への人口の過度の集中を是正」することを、大きな目的として掲げている。

 その実現のためには、(1)生活を営む基盤である地域社会の形成、(2)地域社会を担う多様な人材、(3)地域における就業機会の確保の3つを一体的に推進すること、すなわち「まち・ひと・しごと」の創生が重要であるとしている。

 「まち・ひと・しごと」の創生は、総合的・計画的に取り組まねばならない課題なので、国が2020年までを見通した政策パッケージである「まち・ひと・しごと総合戦略」を閣議決定することを定めている。

 ただ、地方創生の取り組みの主役は、あくまでも地方、特に基礎自治体である。このため、まち・ひと・しごと創生法においては、全ての地方公共団体に「地方版総合戦略」の策定に取り組んで頂きたいという考えから、都道府県のみならず、市町村に対しても努力義務規定を置いたところだ。


まち・ひと・しごと

創生長期ビジョンの概要

 まち・ひと・しごと創生法の規定を踏まえ、国は、昨年末、長期ビジョン及び総合戦略を閣議決定した。

 長期ビジョンにおいては、人口減少時代が到来しているという基本的な認識を国民が共有することの重要性を述べている。

 このため、国としては、国民の結婚・出産・子育てに関する希望が叶えられれば、出生率が1.8程度まで向上するとの見通しを示したうえで、若い世代の希望の実現に全力を挙げることとした。あわせて、2030年〜40年頃に出生率が人口置換水準である2.07まで向上すれば、60年には1億人程度の人口を確保することが可能であるとの見通しも明らかにした。


まち・ひと・しごと

創生総合戦略の概要

 総合戦略においては、人口減少と地域経済縮小の悪循環というリスクを克服する観点から、東京一極集中を是正する、若い世代の結婚・出産・子育ての希望をかなえる、地域の特性に即して地域課題を解決するという基本的な視点のもと、「まち・ひと・しごと」の創生と好循環の確立により、活力ある日本社会の維持を目指している。

 このため、次の目標に対応する施策を提示している。

 (1)2020年までの5年間で、地方での若者雇用30万人分創出などにより、「地方における安定的な雇用を創出する」

 (2)現状、東京圏に10万人の転入超過があるのに対して、これを20年までに均衡させるための地方移住や企業の地方立地の促進などにより、「地方への新しいひとの流れをつくる」

 (3)若い世代の経済的安定や、働き方の改革、結婚・妊娠・出産・子育てについての切れ目のない支援などにより、「若い世代の結婚・出産・子育ての希望をかなえる」

 (4)中山間地域等、地方都市、大都市圏における各々の地域の特性に応じた地域づくりなどにより、「時代に合った地域をつくり、安心な暮らしを守るとともに、地域と地域を連携する」

 こうした基本目標を達成するために、19年度までの5カ年にわたる政府の施策をとりまとめ、それぞれの施策毎に重要業績評価指標(KPI)を設定し、その評価・検証(PDCA)のサイクルをきちんと回すこととしている。


地方版総合戦略の

策定と国の支援

 いつの時代も日本を変えてきたのは地方である。地方創生においても、地方が自ら考え、責任をもって戦略を推進する観点から、今後、地方公共団体が、地域の特性を踏まえた「地方人口ビジョン」と「地方版総合戦略」を策定することとしている。

 こうした地方の取り組みに対して、国は、「地域経済分析システム」を開発・提供することによる「情報支援」、小規模市町村へ国家公務員を派遣する地方創生人材支援制度や地方公共団体の相談窓口となる地方創生コンシェルジュの選任による「人的支援」、地方創生の取り組みを支援する新しい交付金や地方財政措置などの「財政的支援」により、地方公共団体を支援することとしている。


おわりに

 人口減少・超高齢化というピンチをチャンスに変える。地方創生は、日本の創生である。国と地方が、国民とともに基本認識を共有しながら総力をあげて取り組むことにより、新しい国づくりを進め、この国を次の世代へと引き継いでいくことが、今の世代に課せられた責務である。地域の皆さんの「本気」の取り組みを心から期待する。

(なお、本文中の意見にわたる記述は筆者個人の意見であり、国としての見解ではないことを申し添える。)


2015年7月20日号 週刊「世界と日本」第2057号 より

人口減少社会 地方と東京の総力戦で挑め

 

東京大学公共政策大学院客員教授  増田 寛也 氏

 本年6月に発表された2014年の合計特殊出生率(以下、出生率)は1.42で9年ぶりに減少、出生数も100万3532人と過去最低、死亡者数は127万3020人と過去最高を記録した。いよいよ我が国が本格的に人口減少社会に入ったことになる。

《ますだ・ひろや》

1951年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、建設省入省。95年より3期12年にわたって岩手県知事を務める。2007年、総務大臣就任(〜08年)。09年より野村総合研究所顧問、東京大学公共政策大学院客員教授。11年より日本創成会議座長。著書は、『地方消滅』(中公新書、15年新書大賞)など多数。

 私は昨年来、人口減少問題について警鐘を鳴らし続けてきた。政府も担当大臣を置いて大規模な対策に乗り出し、今年は、全国の自治体が長期の人口ビジョンと、総合戦略を策定することになっている。以下、今後対策を進めていくにあたっての、重要な視点をいくつか述べてみたい。

 日本の人口減少の要因は2つある。1つは20〜39歳の若年女性の減少であり、晩婚化、晩産化、少子化による低出生率である。すでに団塊ジュニア世代は40代に到達しており、それより下の世代では女性数は急速に減少するため、それが今後の出生数の減少に直結するであろう。

 もう1つの要因は、高度成長期以降の地方から大都市圏、特に東京圏への人口移動である。累積約1147万人(1954年〜2009年)の転入者のほとんどは若年層であったことが、地方から人口減少が始まり、しかもそのスピードが非常に速かった原因である。

 一方、若年層が凝集した大都市圏は、住宅・通勤環境が悪く、保育所整備の遅れなどもあり、超低出生率となっている(東京都の2014年の出生率は1.15で全国最低)。

 地方から東京圏への若者の人口移動が、日本全体の人口減少に拍車をかけたと言える。

 さらには、2020年の東京五輪を終える頃から、地方から移動してきた人たちが75歳以上の後期高齢者に到達し始める。

 25年には、埼玉県が現在の54%増、千葉県が51%増など、周辺地域も後期高齢者が激増し、一都三県の合計で175万人の増加という、これまで経験したことのない規模とスピードの高齢化に、東京圏は直面することになる。

 対策として、まずは結婚・出産・子育てのさらなる環境の整備が求められるだろう。

 子を持てない理由の大きな1つに、若者の所得が低いことが挙げられる。若者の所得を向上させるために、特に地方において安定的な仕事・雇用を創出することが、従来の結婚・出産・子育て対策に加えて重要なことである。

 しかし、仕事をつくる、雇用をつくるとなると、すぐに域外からの大規模な事業の誘致や、イベント性のあるものに取り組みがちである。本当の意味で仕事や雇用を考えるのであれば、まず自らの地域の産業の実態はどうか、現状をどう改善するのか、生産性をどう上げていくのかに目を向けるべきである。

 地方の経済構造の大半は、地域の生活を支えるサービス産業(バス・タクシーなどの交通、物流、小売、宿泊、医療・介護・保育等)で占められているが、これらの産業の生産性は、製造業や諸外国のサービス産業に比べて低い。

 これは、逆手に取ればこれからの伸びしろが大きいということである。また、現在多くの地方は深刻な人手不足に陥っているが、雇用不安のない今だからこそ、地域経済の抜本的な改革を進める好機とも言えるだろう。

 その上で、地域の資源を活かした、新産業の開発などを検討すべきある。水準としては、夫婦合わせて600万円程度の収入を目指したい。

 東京圏の高齢化問題で、最も危惧されるのは人材不足である。

 私どもの計算では、2025年には医療・介護人材として、東京圏で少なくとも80〜90万人の増員が必要である。本来、介護は地方自治体が各々対応する問題であり、東京圏の問題も一都三県それぞれが対策を行うべきだが、問題はそう単純ではない。

 現在でも介護職の有効求人倍率は、全国平均2.31倍に対し、東京都は4.06倍と最も高い。仮に、東京都が増加する高齢者にあわせて、介護供給能力を増強しようとすれば、必要な人材を都内だけで確保することは難しく、地方から集めることになるだろう。

 そうなれば、若者の地方から東京への流出は加速し、地方消滅が一気に進むことになる。この問題を国家レベルで考える必要があるのはこのためだ。介護職の処遇と職場環境の改善を図るとともに、ロボットの活用など、もっと医療介護サービスにおける人材依存度を引き下げる取り組みが必要だ。

 また、訪問介護を効率よく提供できるよう、空き家なども活用して徒歩圏内に高齢者の集住化を進める取り組みも考えられる。特に、都心部では、高度成長期に建てられた団地を中心に高齢化が進み、4人に1人が1人住まいとなることが予測されている。

 医療福祉拠点としての大規模団地の再生も急務である。外国人の介護人材の受け入れや、元気なうちから地方に移住することに関心を持つ人々への情報提供も重要であろう。

 今後数十年間、人口減少は避けられない。政府の試算でも、2030年に出生率1.8、2040年に2.07を実現できたとしても、人口減少が止まるのは今から75年後の2090年頃である。

 人口減少という環境の中で、少子化対策や高齢化対策を講じていくためには、住民の合意形成に果敢に取り組む、自治体首長のリーダーシップが何より重要である。

 この厳しい現実をむしろ改革へのチャンスと捉えて、各地域が人口急減を少しでも緩和し、縮小社会への賢い対応を考え始めることを期待したい。

 

 


2015年7月6日号 週刊「世界と日本」第2056号 より

地域から革命を 「まち」から始まる地方創生

公共インフラの経営改革を

 

新日本有限責任監査法人パートナー  黒石 匡昭 氏

 地方創生は、いうまでもなく現下の国家的テーマである。石破大臣が先頭に立ち、地方に「自ら考え、自ら責任を持つこと」を要求している。「自ら将来に対して責任を持ち、攻めの一手を考えよ」と、“自立”を促している。素晴らしいことだと思う。しかし実態はどうであろうか。

《くろいし・まさあき》

昭和46年生まれ。大阪市出身。大阪大学経済学部卒。平成11年公認会計士登録。監査法人系コンサル部門にて、民間企業向け・公的部門向け各種アドバイザリー業務に幅広く従事。国や地方公共団体等の各種委員を多数歴任し、各種政策・制度設計にも関与。著書は『地域力の再生』『改正PFI法解説』『(日経グローカル)自治体改革最前線』など多数。

 戦後何十年にもわたって、国におんぶに抱っこ状態だった地方公共団体のほとんどは、地方政府というには忍びないほど、現場での政策立案能力は劣化してきてしまっている。地方創生交付金の大部分が「プレミアム商品券」としてばら撒かれてしまっているのがその証左である。“先駆的”なアイデアがなかなか出てきていないことについて、担当大臣もおかんむりの様子である。

 政府が内閣官房に設置した「まち・ひと・しごと創生本部」。非常に意義深い名称である。魅力的な「しごと」がないと、「ひと」が定着しない。魅力的な「ひと」がいないと、そもそも「しごと」も起こってこない。まさに、にわとりが先かたまごが先かの議論ではあるが、いずれにせよ、刻々と「まち」は崩壊し始めている。

 道路・橋梁・水道などの「ハードインフラ」。教育・医療介護福祉といった「ソフトインフラ」。ともに、確実に物理的疲労、制度疲労により朽ちはじめている。

 「攻め」の一手を考えるのもいいが、「守り」の施策から目を背けていていいのだろうか、というのが筆者の主張である。

 「ひと」や「しごと」が集うための前提としての「まち」が滅びていたら、話にならないではないか。「ひと」や「しごと」が輝くためには、「まち」が生活や産業の“基盤”として、しっかりしておかねばならない、という問題意識に集中したい。

 その「まち」の代表格である、公共インフラに着目していただきたい。これまで、つくることばかりに熱心だった、公共インフラ(ハードインフラ)の世界において、静かに、小さな革命が起こっているのをご存じであろうか。

 その革命の筆頭は、空港分野である。わが国は、公共事業として空港建設がなされてしまったこともあり、全国に100以上の空港がある。これらの多くが、施設のポテンシャルに比して有効に利用されているとは言えず、閑古鳥が鳴いている。

 そんな中にあって、関空・伊丹、仙台空港が“コンセッション”という新しい枠組みを利用して、実質民営化が図られようとしている。

 これまでは、こういった公共インフラの管理者は、国もしくは地方公共団体という官だけに制限されていた。これを法制度的にブレイクして、民もこれに関与できるようになった。静かながら大きな規制改革なのである。

 まさに現在、運営権者としての民間事業者が公募され、審査中である。来年には、新しい運営権者による新しい経営が始まる。

 この運営権者となる民間事業者とは、今後数十年にわたっての当該インフラ運営に責任を持つことが要求され、更新投資を含め経営全般に取り組んでいこうとする者である。そこには、民間的な発想によるビジネス感覚がいかんなく発揮されるだろう。

 本気で旅客・物流を増やすため、本気でLCCを含めたエアラインを誘致するだろうし、また魅力的な商業施設等やビジネス目線での動線が考慮されたターミナルビルに改修されるだろう。周辺地の再開発もフルに企画されるであろう。文字通り、「インフラビジネス」が開放され、開花するのである。

 空港だけではない。困窮する地方鉄道などの分野でも同様である。

 今年の4月、『京都丹後鉄道』がリニューアルオープンを果たした。旧「北タンゴ鉄道」は、わが国最大最悪の赤字第三セクター鉄道で、どの鉄道事業者にも相手にされなかった問題路線であった。そこを、従前の発想を飛び越えて新たな上下分離スキームを設計し、民間の長距離バス事業者をオペレーターとして新たに迎え入れたのである。

 民間的ビジネス発想が、いかんなく発揮された。新たなコンセプトで魅力的に集客広報され、北タンゴを訪れたことのない客が列をなし始めている。まさに民の力による地方再生である。これをきっかけとして、新たな人の対流が発生し、にぎわいが創出される。地方創生そのものといっていい実例である。

 空港、鉄道、有料道路、港湾といった交通の起点となる公共インフラの経営改革は、新しい「ひと」のにぎわいを興す。もっともっと、有効活用できるチャンスがあるのである。

 一方で、水道・下水道インフラが末期的状況にあるのをご存じであろうか。

 水道・下水道の事業者は、地方自治体(約1500事業体)である。バラバラで経営していることもあり、非効率が生じているのはいうまでもないが、現実にも、更新投資ができずに管が破裂する事件が頻発している。

 なんとか維持しようとしたとしても、総括原価主義ゆえに、料金値上げが必至である。消費税増税であれだけ騒ぎになっているのに、わが国はまだまだインフラコストを上げていくつもりなのである。

 ソフトインフラの代表格である医療分野も同様である。

 医療分野は経営主体がバラバラ(国立病院、自治体病院、大学病院、社会福祉法人、民間病院等)で、どこの病院でも医療機器・医療設備のプライド競争が繰り広げられる。

 本来なら地域医療を最適化するためには、機能別に各病院が役割分担して定められた機能を果たすことに専念し、重複投資や機器設備の有効活用が図られるべきである。ところが、バラバラの主体の多くはそれぞれ協力し合うこともなく、医療資源を無駄遣いし続け、医療保険財政は破たんの危機である。一方で、地方の医療過疎で苦しんでいる現実もあるのに。

 いま、水道をはじめ、医療をはじめ、「まち」が壊れ始めている。「まち」の崩壊を食い止めないと、地方創生はありえない。あらゆる産業、生活の基盤となるもの、インフラの崩壊をどう食い止めるか、どう有効活用するかが、いま、問われている。


2015年4月20日号 週刊「世界と日本」第2051号 より

人口減少、超高齢化の克服に・・・

コンパクト+ネットワーク

 

国土交通省総合政策局政策課長  青木 由行 氏

 我が国は、人口減少、超高齢化という大きな課題に直面しており、質の高いサービスを住民に提供し、新たな価値を創造し続けるには、中長期的な国土のあり方を見据えた構造的なアプローチを必要としている。

 国土交通省は、平成26年7月に「国土のグランドデザイン2050」を公表し、「コンパクト+ネットワーク」というコンセプトを提示した。

 今後、地域が生き抜いていくためには、各種機能をコンパクトに拠点に集約し、ネットワークでつなぐことが重要である。また、人・モノ・情報の交流は、それぞれの地域が多様であるほど活発化するため、各地域が「多様性」を再構築することが重要で、いわば「対流促進型国土」をめざすべきと考えている。

 こうした考え方は、昨年末に策定された国の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」にも盛り込まれ、現在、各地域の特性に応じて具体化する段階に入っている。

 第1に、一定の集積がある都市における「コンパクトシティ」の形成である。

 我が国では、これまでは都市への人口の流入と市街地の拡大を前提として、まちづくりが行われてきたが、今後は、人口減少を前提としなければならない。

 地方都市においては、大幅な人口の減少が見込まれており、拡大した市街地のままでは、一定の人口密度に支えられた生活サービス施設が成立しなくなる。地域産業の生産性の低下も懸念される。

 また近年、地方部において公共交通機関の利用者の減少に歯止めがかからず、今後、公共交通ネットワークの縮小やサービス水準の低下が懸念される状況である。

 コンパクトなまちづくりと連携して医療、福祉、商業等の都市機能の集積へ地域公共交通によるアクセスを確保することが重要だ。これには、民間事業者に依存した従来の枠組みでは限界がある。

 このような課題認識に立って、医療、福祉、商業等の生活サービス機能や居住を集約した、コンパクトなまちづくりを目指す「都市再生特別措置法の一部を改正する法律案」と、地方公共団体が先頭に立って、関係者合意のもとに持続可能な地域公共交通ネットワークを作り上げるための「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律の一部を改正する法律」が昨年制定され、それぞれ昨年の8月1日、11月20日に施行された。

 現在、多数の市町村が改正法に基づく計画づくりの検討を開始しているが、現場でコンパクトシティ形成を進めるには、中心市街地の活性化、医療・福祉、公的不動産の再編、住宅、農林業、金融など多方面の施策と連携していく必要がある。

 そこで、関係省庁による「コンパクトシティ形成支援チーム」を去る3月19日に設置し、市町村を強力に支援することとした。

 第2に、過疎地域等における「小さな拠点」の形成である。

 過疎地域等では、人口減少に伴いコミュニティ活動が衰退し、生活サービス機能の提供に支障が出る集落が今後増えていく。これには、生活支援機能、交通・物流の拠点機能、雇用創出機能等を「小さな拠点」にコンパクトに集約し、デマンド交通等の交通ネットワークで周辺集落を支えることが有効である。

 国土交通省では、これまで「小さな拠点」の先進事例の調査・紹介や拠点形成ノウハウの蓄積・周知などの取り組みを行ってきた。また、地元農水産品の直売、商品開発・加工・販売まで行う6次産業化の拠点機能や、行政、医療など暮らしに必要な機能を持つ「道の駅」を支援している。

 加えて、今国会に「小さな拠点」の形成を推進する施策を盛り込んだ「地域再生法の一部を改正する法律案」が提出され、国全体で「小さな拠点」の形成・運営を本格的に支援していくこととしている。

 その際には、各々の集落を存続したい、そこに住み続けたいという住民の意思を尊重すべきであり、「小さな拠点」は集落からの移住を誘導・促進するものではない。また、集落に現に居住している人のみならず、近隣に居住している親族などが、将来を含めて集落を支える意思と力を持っていることにも留意すべきであろう。

 「小さな拠点」では、必要となる拠点施設は廃校や旧役場等を改修して有効活用することが主であり、必要となる交通ネットワークも、既存の道路ネットワークを活用した公共交通ネットワークの再構築が主となる。

 第3に、一定の圏域人口を維持する「連携中枢都市圏」の形成である。

 今後、人口が減少する中で、特に地方部においては、圏域内の複数の市町村が連携し、住民サービスの水準を一定の圏域人口で支える必要がある。例えば、救命救急センターや大学は、圏域人口を30万人確保できないと立地が難しいとの指摘がある。

 このため、圏域内市町村は、それぞれがコンパクト化して効率性を高めつつ、行政、民間事業者、関係団体等を含めた多様な連携を、交通ネットワークを活用して実現し、一定の圏域人口を確保することが必要である。

 これから具体的な制度設計を行っていくが、重要なのは、市町村間、あるいは集落と都市部の間は一方が他方に依存するのではなく、お互いに支えあっているということである。集落の生活は都市部のサービスに支えられているが、都市部のサービスは、集落を含む広域的な需要によって成立している。

 また、集落にいずれ帰ることを前提に、地方の都市部に踏みとどまって仕事をしている人も、集落が維持されなくなると大都市圏に流出してしまうであろう。これを防ぐためにも連携して一定の圏域人口を維持する制度が必要と考えている。


<資料PDF>

コンパクトネットワーク.pdf
PDFファイル 141.4 KB

地方創生情報お役立ちリンク集

首相官邸 まち・ひと・しごと創生本部 http://www.kantei.go.jp/jp/headline/chihou_sousei/

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