特別企画
内外ニュースでは「特別企画チャンネル」において、週刊・月刊「世界と日本」の執筆者、東京・各地懇談会の講演、専門家のインタビュー記事等の情報を掲載して参ります。
2025年3月3・17日号 週刊「世界と日本」2288・2289号 より

《かわの かつとし》
1954年生まれ。防衛大学校を1977年に卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦隊司令官、統合幕僚副長、自衛艦隊司令官、海上幕僚長を歴任。2014年に第5代統合幕僚長に就任。2019年4月、退官。
1 自衛隊の統合化への歩み
報道によれば常設組織である統合作戦司令部が今年度末の3月24日に発足するとのことである。自衛隊統合化の懸案であった統合作戦司令部が実現することになったことは、かつて統合化に携わった者として感慨無量である。しかし、ここまでたどり着くには長い道のりが横たわっていた。そこで、先ずここに至るまでの自衛隊の歩みを今一度振り返ってみたい。
1954年に防衛庁・自衛隊が発足し、昨年で70年を迎えたが、発足当初から自衛隊は政治的には55年体制の下に置かれることになった。55年体制とは与党は自民党そして野党第一党は日本社会党という体制である。当時、日本社会党は自衛隊違憲の立場であり、外交防衛政策としては「非武装中立」を主張していた。また、国民世論も自衛隊違憲論が多数を占め、その意味で「非武装中立」論も一定の支持を集めていた時代だった。しかし議会制民主主義の国において、野党第一党が自衛隊違憲の立場というのは防衛政策を進める上で極めて重大な支障をもたらすことになった。すなわち違憲である自衛隊の存在を前提にした議論には応じないということになる。その結果、与党自民党も自衛隊を動かそうとすると国会、国民世論の猛反発を覚悟しなければならないため、そのような発想は、一部災害派遣を除き思案の外ということになる。その結果、自衛隊は存在すれども動かない時代が約40年近く続くこととなった。
その状況が一変したのが1990年の湾岸危機である。冷戦終結直後、イラクのサダム・フセイン大統領が隣国クェートに武力侵攻した事案である。当時のブッシュ米大統領(父)は国連決議を得て多国籍軍を編成し、原状回復を図ろうとした。そして当時経済大国第二位の日本にも参加を求めたのである。自衛隊を動かすという発想がなかった当時の日本政府は大混乱をきたし、日本中に論争を巻き起こした。しかし議論すれども結論は出ず、結局130億ドル(約1兆7000億円)を拠出したにも関わらず、国際社会から評価されなかった。さすがに国際的孤立を恐れた日本政府は1991年の湾岸戦争の終結を受けて、戦後処理の名目で掃海部隊をペルシャ湾に派遣した。これを契機に自衛隊は「存在する自衛隊」から「動く自衛隊」となり、「オペレーションの時代」に入ったのである。
それ以降、PKO、阪神淡路大震災への災害派遣、2001年の同時多発テロを受けてのインド洋補給オペレーション、イラク・クウェートへの派遣、今に続く海賊対処行動、2011年の東日本大震災への災害派遣そして北朝鮮への弾道ミサイル防衛等、一連のオペレーションが続くことになる。
オペレーションの時代になると、当然それに対応できる組織編成への要請が起きてくる。それまでは、制服自衛官の最高位としての統合幕僚会議議長とそれを補佐する統合幕僚会議事務局が存在したが、統合部隊を編成する時以外はオペレーションに関する権限はなく、陸海空がそれぞれでミッションを遂行する態勢であった。しかし、実任務が多様化すれば、当然陸海空が協力しながら任務を遂行しなければならない。その結果2006年にオペレーションに関して実質的権限を有する統合幕僚長のポストと統合幕僚監部が発足したわけである。自衛隊の統合化は、オペレーションの時代を迎えたことによる必然の結果と言える。ただ、統合作戦司令部の創設については懸案として残されていた。
2 統合作戦司令部の創設と日米同盟
統合幕僚長の役割は大きく言えば、一つは自衛隊の最高指揮官である総理大臣そして防衛大臣への軍事面からの助言・補佐であり、もう一つは、政治サイドからの命令を自衛隊部隊に実施させる役割である。この後者の役割を統合作戦司令官は担うことになる。
統合幕僚長は、制服自衛官の最高位のポストであるが、指揮官ではない。従来はミッションごとにその都度、統合任務部隊が編成され、司令部を構成する指揮官、幕僚等もその都度任命する仕組みだった。東日本大震災の災害派遣を例にとれば、発災後直ちに10万人を超える統合任務部隊が編成され、陸自東北方面総監を指揮官とし、増強幕僚を海空自衛隊からも派遣した。しかしその結果、指揮官、幕僚が初顔合わせというケースも当然起こってくる。軍事的合理性の観点からも問題だった。
米軍の場合は、制服組トップの統合参謀本部議長が大統領、国防長官を軍事的に補佐し、インド太平洋軍等の地域統合軍及び戦略軍等の機能統合軍の指揮官が大統領、国防長官の命令を受けてオペレーションを遂行する。その意味では、統合作戦司令部の設置により規模は異なるが、仕組みとしては米軍と同様となる。
統合作戦司令官の新設により、統合幕僚長のカウンターパートとしてワシントンの統合参謀本部議長がおり、一方、統合作戦司令官の作戦レベルのカウンターパートとしてハワイのインド太平洋軍司令官が位置付けられ、極めてクリアな関係が構築される。
従来は陸海空自衛隊が米軍のそれぞれのサービスと緊密な関係を築いてきたが、それに加えて統合作戦司令部が創設されれば、インド太平洋軍との間で共同作戦計画等の詳細が調整されることになろう。その意味で、日米防衛関係はワンランクアップした関係になるものと期待している。
この関連で、在日米軍司令部の作戦司令部化が計画されているようである。その詳細については知る立場にはないが、そうなれば統合作戦司令部にとっての日常的な調整先は在日米軍司令部となろう。その場合、在日米軍司令官と第7艦隊司令官、沖縄の第3海兵遠征軍司令官等との指揮関係はどのように整理されるのか、個人的には関心があるところだ。
トランプ政権で国防次官に就任したエルブリッジ・コルビー氏も著書「アジア・ファースト」で、「統合化された軍事力を持った日本」を期待すると述べている。
いずれにしても日米同盟は、「統合作戦司令部」の創設を契機により効果的な統合オペレーションの遂行に向けた新時代を迎えることになる。
2025年2月17日号 週刊「世界と日本」2287号 より

《やぎ ひでつぐ》
1962年生まれ。早稲田大学法学部卒、同大学院政治学研究科博士後期課程研究指導認定退学。憲法学専攻。教育再生実行会議や法制審議会民法(相続関係)部会の委員を歴任。『宿命の子 安倍晋三政権クロニクル』に「(戦後70年談話を評価する論文を)八木秀次さんが書いてくれた」との安倍氏の生前の発言が掲載。
2014年11月、オーストラリアのトニー・アボット首相がミャンマーのネービドーで開かれた東アジアサミットの際に漏らした発言だ。
アボット氏は日本の安倍晋三首相とブルネイのボルキア国王と立ち話をしていた。そこに中国の李克強首相が近付き、安倍氏の存在に気付くと「日本は歴史問題を克服できていない。真剣に反省していないし、謝罪もしていない」と説教を始めた。アボット氏はボルキア氏に語るように冒頭の発言をした。李氏は不愉快そうに立ち去った。
アボット氏は同年1月、スイスのダボス会議でも安倍氏を呼び出し、「私はつくづく思うのですが、日本は戦後、平和国家として立派にやってきた。世界はそれを真正面から認めるべきです」「日本はもはや戦争で行ったことに対して謝り続ける必要はない」と告げていた(以上、船橋洋一著『宿命の子』文藝春秋)。
歴史は現代に生きる者に教訓を与えてくれる。しかし、一部の国は歴史を持ち出して自らが被害者であると強調し、道徳的優位性や政治的優位性を確保しようとする。歴史を武器にして相手を支配しようとしている。日本はここから脱して国際社会で指導力を発揮すべきだ、とアボット氏は安倍氏に伝えたのだ。
今から10年前、戦後70年の節目に当たって安倍氏が発表した首相談話はアボット氏の助言などを背景にして作成された。それは「戦略的な歴史観」とでもいうべきものであった。
今年は戦後80年の節目に当たる。そうしたことから新たな首相談話を発出することが議論され始めている。
林芳正官房長官は「現時点では新たな談話を発出するかは決定していない」としたが、公明党の斉藤鉄夫代表は「戦後80年、被爆80年の節目の年に(談話を)出すべきだ」と述べている(1月22日)。
新たな談話の必要を訴える背景には安倍首相談話が戦後50年の村山富市首相談話を「上書き」したことへの不満が垣間見える。村山談話は「侵略」や「植民地支配」に「痛切な反省」と「心からのお詫び」を述べ、その後の卑屈な「謝罪外交」を決定付けた。
昨年12月の日中外相会談後、中国側は日本の岩屋毅外相が「歴史問題では『村山談話』の明確な立場を引き続き堅持し、深い反省と心からの謝罪を表明する」と述べたと発表した。岩屋氏はその後、この発表は「正確ではない」とし、「歴史認識に議論が及んだ際に、石破茂内閣は平成7年の村山談話、安倍首相談話を含むこれまでの首相談話を引き継いでいると説明した」と中国側の認識を修正した。
しかし、最新の安倍談話があるにも関わらず、村山談話に言及したことは不用意であり、中国には好機到来と映ったはずだ。中国が歴史を「支配者」にして日本を従わせるには、村山談話は有効な道具となるが、それを「上書き」した安倍談話は障害でしかない。村山談話に引き戻すことが必要と考えているようだ。
改めて安倍談話の主要部分を見てみよう。まず「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました」と世界の近代史を俯瞰してみせた。その上で「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気付けました」と日本の役割の意義を説いた。
その後、第一次大戦後、「新たな国際社会の潮流が生まれました」とし、しかし、「日本は、世界の大勢を見失っていきました」とした。そして満州事変以降を「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった。進むべき進路を誤り、戦争への道を進んでいきました」と批判的に位置付けた。
村山談話の「侵略」や「植民地支配」の語は「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇も行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」と、日本を主語にせず、国連憲章にも示される国際社会の大原則を遵守する文脈で用いた。その上で「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」と大原則の共有を誓ったとした。
そして「自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります」と戦後70年の「平和国家」としての歩みに誇りを持ち、堅持すると宣言した。
村山談話が述べた「痛切な反省」と「心からのお詫び」は「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」との文脈で踏襲したが、同時に「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と謝罪の世襲を断つと宣言した。
そして「だからこそ」、「『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」と述べ、その後、「戦後80年、90年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく、その決意であります」と将来をも展望した談
話であることを強調した。
談話は一部の日本の保守派に批判はあったが、広く国内外に受け入れられた。そして日本の外交・安全保障政策を「軍国主義」への回帰との警戒心を持たずに受け入れ、国際社会で指導力を発揮する背景を作った。それを意図した「戦略的な歴史観」だった。
あれから10年、日本を取り巻く国際環境は変わっていない。日本への期待は高まっている。安倍談話に加えるべきものはなく、新たな談話は屋上屋を重ねるだけだ。首相は「安倍談話を継承する」と述べればよい。
2025年2月17日号 週刊「世界と日本」2287号 より

《ながしま じゅん》
中曽根平和研究所研究顧問・元空将。1960年、東京都生まれ。防衛大学校を卒業後(29期)、航空自衛隊に入隊。筑波大学大学院修士課程修了。ベルギー防衛駐在官、国家安全保障局・危機管理担当審議官などを歴任し、2019年に退官。著書に『新・宇宙戦争』(PHP新書)、『ウクライナ戦争と激変する国際秩序』(共著・並木書房)がある。
宇宙の戦闘領域化
近年、宇宙は科学技術のフロンティアとして、また経済成長の推進基盤としてその活用が進み、人工衛星を使った測位(GPS)、通信、放送、観測(リモートセンシング)を通じて、人類の持続可能性(サステナビリティ)にとって不可欠な空間領域となっている。
それは、宇宙が誰でも自由に、そして安全に利用し得る国際公共財と位置づけられる所以であるが、宇宙関連の技術進化と宇宙の商用・民間利用の拡大は急テンポで進んでいる。今後、新たな資源の獲得を図る国家や企業間の競争、敵対、輻輳が進み、人類の活動が宇宙依存をより強める中で、宇宙は国家間の衝突や対立の舞台になる危険と隣り合わせの状況にあると言えよう。
宇宙の軍事利用は、米ソの宇宙開発競争の端緒となったスプートニク・ショック(1957年10月)前後から始まったが、不用意な宇宙アセットへの攻撃がお互いの偵察監視や衛星通信に大きな影響を与えることから、21世紀初頭まで、宇宙は軍事的な挑戦を控える「聖域」とみなされた。しかし、2007年1月に中国は対衛星兵器(ASAT,Anti-Satellite weapons)を用いた人工衛星の破壊実験を強行し、世界の宇宙関係者に大きなショックを与えた。何故なら、その実験の結果、軌道上に残置される不要な人工物体としての宇宙デブリ(ゴミ)が平和的な人工衛星にも破壊的な被害を与える危険性を高めたからである。
宇宙空間の安定的利用を求める西側諸国は、改めて宇宙システムの脆弱性を認め、宇宙アセットの抗堪性(レジリエンス)を高める必要性を痛感することになった。そして、軍事面でも、指揮通信、画像情報、ナビゲーション、早期警戒という作戦・戦闘面での宇宙の不可欠性が一層強まる中、2018年、米国は初の「国家宇宙戦略」において宇宙空間を軍事作戦の対象となる「戦闘領域」と位置づけたのである。
宇宙における抑止
世界的に、情報通信技術(ICT)や先進技術の急速な進化によって、従来の陸海空の戦闘領域と宇宙空間やサイバー空間の連接性が強まり、仮想空間の攻撃が現実空間にも死活的な影響を及ぼすことが現実のものになりつつある。その現状を踏まえて、軍隊では戦闘領域を区別せず、あらゆる領域での優位性を獲得するための変革が続けられている。しかし、国際公共財としての宇宙の安全を確保するという観点から、危険な宇宙デブリの発生を伴うような物理的な戦闘を生じさせないことは、責任ある国家として抑止と対処の大前提であることは言うまでもない。そのため、攻撃者に攻撃の成果に見合わないコストを計算させることで、物理的な宇宙アセットへの攻撃を思いとどめさせる拒否的抑止のアプローチが妥当なものと考えられ、宇宙システムに関する脆弱性を排除し、そのレジリエンスを高めることへの努力が重視されるようになった。
具体的には、先ず、宇宙物体の運用・利用状況及びその意図や能力を把握する宇宙状況の監視(SDA)態勢を強化し、宇宙の監視・管理を通じて攻撃主体の特定、すなわち敵の帰属(アトリビューション)特定の正確性と迅速性の実現が急がれる。
次に、軍および民間企業、学界、同盟国が提携し、最先端のデュアルユース(軍民両用)技術を宇宙システムへ積極的に導入し、あらゆる領域における技術競争で優越性を確保する。
最後に、宇宙における技術の急速な進化と民間能力の増大を背景として、中露をはじめ新規参入国との競争に米国だけで勝利することが困難な現状において、多国間の相互協力、国際パートナーシップの強化を実現して、協調的な宇宙抑止・防衛態勢を確立することが求められている。
日本の進むべき道
日本は、二国間レベルでは日米同盟、多国間レベルで日米豪印の協力枠組み「クアッド(QUAD)」、そして米国が主導する有志国レベルの「アルテミス(Artemis)計画」などの既存の宇宙協力のための基盤を拡充し、それらの抑止主体を有機的かつ効果的に機能させることで、宇宙抑止の実効性を確保していくべきであろう。既に、日米両国は、宇宙空間での攻撃に対しても、米国の対日防衛義務を定める日米安保条約第5条を適用することを確認している。また、首脳会合の機会を有するQUADでは、宇宙協力を通じてインド太平洋地域の安定と繁栄に寄与する具体的なイニシアチブが期待されている。
同盟国としての米国では、トランプ新政権が誕生し、その宇宙政策の方向性について未だ不透明ではあるが、前トランプ政権では、72年ぶりとなる新たな軍種としての宇宙軍の新設、最終的に有人火星探査の実現を目指すアルテミス計画の始動など、強力なリーダーシップの下で大胆な宇宙政策が実現された事実が思い出される。これらを踏まえれば、今回の就任演説において火星探査への強い意志を示したトランプ新政権は、宇宙の安全保障についても同盟国、友好国との連携・協力の強化を図り、対宇宙兵器の開発を進める中国、ロシアに対しては宇宙での攻撃態勢への転換を含む強硬な立場を示すことが想定される。
日本は、米新政権の宇宙政策の変化を冷静にとらえ、宇宙安全保障面で民間部門が果たす役割が増しつつあることに鑑み、宇宙政策を省庁横断的に統括し、米国及び友好国との政策協調を柔軟かつ迅速に進め得る政策・作戦司令塔として一元的な調整組織が必要となるであろう。日本は、事態の推移を傍観するだけでは変化の早い宇宙の安全は確保できず、グローバルで国家横断的な宇宙施策の立案とその実現の加速化が求められている。